一方で、クライドという男性は一体どのような人物だったのでしょうか?クライドの生い立ちや性格について紹介します。
クライドの本名と家庭環境
クライドの本名はクライド・チェストナット・バロウと言います。クライドは1909年3月24日に貧しい農家の8人兄弟の6番目の子として、テキサス州ダラス近郊のテリコで生まれました。
両親が忙しく躾もされず育つ
貧しい家でしかも8人兄弟という事もあり、両親は忙しくて躾をする余裕もありません。この時代は世界恐慌の真っただ中で、どれだけ働いても暮らしは良くならないような時代でした。
そのため、クライドは粗暴な性格として知られていて、子供の頃から動物虐待する姿が近所の住民に目撃されていました。兄弟も同じように荒々しい性格をしている者が多かったようです。
乱暴な性格だったために、彼に寄ってくる者も殆どいなかったのではないでしょうか。
17歳で兄が所属するギャングに入団
そして、クライドは17歳の時に兄が所属していたギャングの仲間の一員になりました。彼の初犯は世間がクリスマス前で賑わっていた季節に、店から七面鳥を盗んだ事でした。
その後いくつかの罪を重ねていたのですが、彼は1926年に自動車窃盗の容疑で一度逮捕されています。
ギャングについて興味のある方はこちらの記事も参考にしてください。
ボニーアンドクライド|二人の出会い
このように別々の人生を歩んでいた二人はどのようにして出会い、行動を共にするようになったのでしょうか?
ボニーが働くカフェにクライド来店
ボニーアンドクライドの出会いは、ボニーがウエイトレスとして働いていたカフェにクライドが偶然来店した事に始まります。それは、ボニーが20歳の時でした。
ボニーがクライドに一目ぼれ
ボニーはクライドを一目見た瞬間に、彼が醸し出す犯罪者の「危険な香り」に魅了されてしまいました。まさに一目惚れと呼べるものでした。
夫が刑務所に収監されているとはいえ、結婚しているのにも拘らずアプローチしてしまったボニーは人に惚れやすい性格だったのかもしれません。
ボニーとクライドが行動を共にするようになる
一方でクライドもボニーを完璧な女性だと感じた事で、何かと自分の助けになると考え行動を共にする事にしました。
しかし行動を共にして束の間、クライドは自動車窃盗の容疑で逮捕され、2年間の収容を余儀なくされました。その間、ボニーはクライドを脱獄させるために奔放したのですが、実現に至りませんでした。
ボニーアンドクライドの犯行手口
ボニーアンドクライドが犯した犯行は、一体どのような手口で行われていたのでしょうか?
宝石商・銀行強盗
ボニーアンドクライドの犯行手口はあまりにも単純なものです。宝石商や銀行を狙って正面突破を図るという後先を考えない乱暴な方法でした。
普通に考えればすぐに捕まりそうなやり方なのですが、捕まらなかったのにはある大きな理由があります。
警察が来る前に最新式の車で逃走
クライドが強盗をしている間はボニーは外の車の中で待機し、すぐに逃走を図れるような段取りをしていました。
この時代の警察は州単位で動いていたために、隣の州に逃げられた場合は手出しが出来ないという制限があり、逃走のしやすさも彼らの犯行の成功率を上げる要因でした。
ボニーアンドクライドの愛車「フォードV8」
ボニーアンドクライドが愛車として選んだのは「フォードV8」です。フォードV8は当時最新型の高性能マシンで、フォードV8の最高速度に警察車両は追い付く事が出来ませんでした。
フォードV8で颯爽と逃亡し、警察を置き去りにして隣の州に逃げるというのが彼達の手口です。
フォードV8が非常に優れていたため、フォードの社長に「フォードV8のスピードが素晴らしいので、非常に仕事がし易い」といった趣旨の手紙を送ったという逸話があるのですが、真偽の程は不明です。
邪魔をするものは射殺
また、ボニーアンドクライドの手口は荒々しいやり方で、彼達の邪魔をする者は容赦なく全て銃殺するという単純明快なものでした。
クライドの暴力的な性格も相俟って、強盗殺人という罪を繰り返していました。
犠牲者13人
彼達によって銃殺されてしまった犠牲者は13人にのぼります。その犠牲者の殆どが警察関係の人たちでした。
ボニーアンドクライドとバロウギャング
ボニーアンドクライドが強盗殺人を繰返すうちに、その考え方に同調する者が集まり、「バロウギャング」という犯罪集団が結成されていました。