ボニーアンドクライドとは
ボニーアンドクライドとは、女性のボニーと男性のクライドのカップルの事です。彼達は普通の人生とは違う波乱万丈の人生を歩んだとされていて、現在においても沢山のメディアで取り上げられるほど人気があります。
特に人々の心に刻まれた最期のシーンは、後世に語り継がれるほどの強烈なインパクトを私達に与えています。
ボニーアンドクライドはアメリカの連続強盗殺人犯
ボニーアンドクライドは一言で言えばアメリカで生まれた強盗殺人の犯人です。銃社会アメリカという国の性格を考えた場合、強盗殺人を犯した犯人は数えきれない程数多く存在します。
そんな中でボニーアンドクライドが有名になったのは、普通の強盗殺人犯が持ち合わせていない魅力が沢山あったからです。
ボニーアンドクライドは男女ペアで人気に
まずボニーアンドクライドが人気になった理由のひとつは、時代背景を考えた場合にとても珍しい男女ペアでの強盗殺人犯だったという事です。
この時代の強盗殺人を起こすような犯人は男性グループが殆どだったため、男女のペアという物珍しさが人々に強烈なインパクトを与えていました。
ボニーアンドクライドが人気となった社会的背景
ボニーアンドクライドが人気となった理由として、この時代のアメリカを取り巻く社会的背景も大きく影響していました。
ボニーアンドクライドのスタイリッシュな犯行
この時代は治安も悪くギャングと呼ばれる犯罪に手を染めるグループが横行していたために、犯罪率がとても高い時代でした。彼達は暴力的な犯罪を起こす事が多く、とにかく力が正義といったイメージの犯罪集団です。
一方、ボニーアンドクライドという若いカップルが宝石商や銀行を襲って愛車のフォードV8で華麗に走り去る様子は、この時代珍しいスマートさがありました。
フォードV8で警察を置き去りにするその姿が格好良く映るのはもちろんですが、襲う対象が宝石商などのお金持ちであって庶民には被害がない事も人気に拍車をかけていました。
ボニーアンドクライドの反社会的な行動に憧れ
この時代のアメリカは、反社会的な行動に憧れるような風潮があった事もボニーアンドクライドが人気となった一因です。この時代、人々は政府や行政に不信感を持っていました。
そのように不信感を持っている民衆は、些細なきっかけで暴動を起こす傾向にあります。この時代のアメリカも例に違わずに暴動が繰り広げられていました。
世界恐慌による疲弊
この時代は世界恐慌での大不況の世の中で、日々の暮らしも満足に送る事が出来ずに人々は疲弊し、政府や権力者への不満が募っていた時代でした。
そのような時代に、群衆はヒーローを待ち望んでいました。
禁酒法によるギャングの横行
禁酒法が発令され、裏のルートで売買される闇酒でマフィアが台頭してきた事で、警察や行政が明らかにマフィアと裏で繋がっていた事も行政への不信感が募る要因でした。
怒り狂う群衆は我慢の限界を迎えていました。
ボニーアンドクライドが英雄視される
そのような社会的不安が渦巻いていた時代、金と権力の象徴である銀行を襲っては最新鋭の車で華麗に警察を出し抜く姿は、まるでヒーローのように人々の目に映りました。
アメリカ人の性格として、ヒーローに憧れる人が多いと言われていますので、まさに彼らはヒーローとして羨望の眼差しを向けられていました。
また、強盗殺人を犯すのは大概が男性だったため、女性の強盗殺人犯といった珍しさも相俟ってボニーの人気は非常に高いものでした。
ボニーアンドクライド|ボニーの人物像
ボニーという女性は一体どのような人物だったのでしょうか?ボニーの生い立ちや性格について紹介します。
ボニーの本名と家庭環境
ボニーの本名はボニー・エリザベース・パーカーと言います。1910年10月1日にテキサス州ローウェナで生まれました。
家族構成は両親と兄弟の5人家族でしたが、1914年に父親が死去した事でダラス近郊のセメントシティーにある祖母の自宅に移りました。
成績優秀だが手の付けられない癇癪持ち
学生時代のボニーは成績優秀でしたが、一方で逆上すると手を付けられない癇癪持ちという性格を持ち合わせていました。鉛筆を盗んだ同級生を叩きのめしたという話もあります。
一度頭に血が上ると見境を無くしてしまう性格の持ち主だったようです。そのような性格だったために、あまり周りとはコミュニケーションを取れていなかったのかもしれません。
16歳で同級生と結婚
ボニーは16歳の時に高校の同級生であったレイ・ソーントンという人物と結婚したのですが、ボニーが19歳の時にレイは銀行強盗の容疑で刑務所に収監されてしまいました。
学生結婚ということで、あまり後先を考えない性格だったのかもしれません。
離婚を考えたボニーですが結局籍はそのままだったために、実はボニーアンドクライドとして活躍していた時もボニーはレイと婚姻関係にある状態だったのです。
ボニーアンドクライド|クライドの人物像
一方で、クライドという男性は一体どのような人物だったのでしょうか?クライドの生い立ちや性格について紹介します。
クライドの本名と家庭環境
クライドの本名はクライド・チェストナット・バロウと言います。クライドは1909年3月24日に貧しい農家の8人兄弟の6番目の子として、テキサス州ダラス近郊のテリコで生まれました。
両親が忙しく躾もされず育つ
貧しい家でしかも8人兄弟という事もあり、両親は忙しくて躾をする余裕もありません。この時代は世界恐慌の真っただ中で、どれだけ働いても暮らしは良くならないような時代でした。
そのため、クライドは粗暴な性格として知られていて、子供の頃から動物虐待する姿が近所の住民に目撃されていました。兄弟も同じように荒々しい性格をしている者が多かったようです。
乱暴な性格だったために、彼に寄ってくる者も殆どいなかったのではないでしょうか。
17歳で兄が所属するギャングに入団
そして、クライドは17歳の時に兄が所属していたギャングの仲間の一員になりました。彼の初犯は世間がクリスマス前で賑わっていた季節に、店から七面鳥を盗んだ事でした。
その後いくつかの罪を重ねていたのですが、彼は1926年に自動車窃盗の容疑で一度逮捕されています。
ギャングについて興味のある方はこちらの記事も参考にしてください。
ボニーアンドクライド|二人の出会い
このように別々の人生を歩んでいた二人はどのようにして出会い、行動を共にするようになったのでしょうか?
ボニーが働くカフェにクライド来店
ボニーアンドクライドの出会いは、ボニーがウエイトレスとして働いていたカフェにクライドが偶然来店した事に始まります。それは、ボニーが20歳の時でした。
ボニーがクライドに一目ぼれ
ボニーはクライドを一目見た瞬間に、彼が醸し出す犯罪者の「危険な香り」に魅了されてしまいました。まさに一目惚れと呼べるものでした。
夫が刑務所に収監されているとはいえ、結婚しているのにも拘らずアプローチしてしまったボニーは人に惚れやすい性格だったのかもしれません。
ボニーとクライドが行動を共にするようになる
一方でクライドもボニーを完璧な女性だと感じた事で、何かと自分の助けになると考え行動を共にする事にしました。
しかし行動を共にして束の間、クライドは自動車窃盗の容疑で逮捕され、2年間の収容を余儀なくされました。その間、ボニーはクライドを脱獄させるために奔放したのですが、実現に至りませんでした。
ボニーアンドクライドの犯行手口
ボニーアンドクライドが犯した犯行は、一体どのような手口で行われていたのでしょうか?
宝石商・銀行強盗
ボニーアンドクライドの犯行手口はあまりにも単純なものです。宝石商や銀行を狙って正面突破を図るという後先を考えない乱暴な方法でした。
普通に考えればすぐに捕まりそうなやり方なのですが、捕まらなかったのにはある大きな理由があります。
警察が来る前に最新式の車で逃走
クライドが強盗をしている間はボニーは外の車の中で待機し、すぐに逃走を図れるような段取りをしていました。
この時代の警察は州単位で動いていたために、隣の州に逃げられた場合は手出しが出来ないという制限があり、逃走のしやすさも彼らの犯行の成功率を上げる要因でした。
ボニーアンドクライドの愛車「フォードV8」
ボニーアンドクライドが愛車として選んだのは「フォードV8」です。フォードV8は当時最新型の高性能マシンで、フォードV8の最高速度に警察車両は追い付く事が出来ませんでした。
フォードV8で颯爽と逃亡し、警察を置き去りにして隣の州に逃げるというのが彼達の手口です。
フォードV8が非常に優れていたため、フォードの社長に「フォードV8のスピードが素晴らしいので、非常に仕事がし易い」といった趣旨の手紙を送ったという逸話があるのですが、真偽の程は不明です。
邪魔をするものは射殺
また、ボニーアンドクライドの手口は荒々しいやり方で、彼達の邪魔をする者は容赦なく全て銃殺するという単純明快なものでした。
クライドの暴力的な性格も相俟って、強盗殺人という罪を繰り返していました。
犠牲者13人
彼達によって銃殺されてしまった犠牲者は13人にのぼります。その犠牲者の殆どが警察関係の人たちでした。
ボニーアンドクライドとバロウギャング
ボニーアンドクライドが強盗殺人を繰返すうちに、その考え方に同調する者が集まり、「バロウギャング」という犯罪集団が結成されていました。
クライドがリーダーのバロウギャング
「バロウギャング」という名が表すように、その犯罪集団のリーダーはクライドが務めていました。
また、そのメンバーの一員としてクライドの兄のバックや義姉にあたるその嫁のブランシェもチームメンバーとして所属していました。
バロウギャングのメンバーは何度か入替っていますが、ボニー、クライド、バック、ブランシェは何時も一緒でした。
ボニーアンドクライドは常に複数で行動
ボニーアンドクライドが罪を犯す時には、彼らのチームに所属していたメンバーも含めてどのような時でも複数人で行動を起こし、それぞれが自分の役割を全うしていました。
実際には2人だけの犯行ではない
実際の犯行は複数人で行っていましたが、ボニーとクライドは犯行を起こす際に何時も主要メンバーとして参加しており、2人で共に行動していたために2人のイメージが非常に強くなっています。
ボニーアンドクライドの逃走劇
犯行を繰り返していたボニーアンドクライドですが、どのように逃げ続けていたのでしょうか?
ボニーアンドクライド逃亡の日々
ボニーアンドクライドは何時も警察にマークされる存在であり、ずっと身を潜める日々を送っていました。
警察も無能ではないために、徐々に彼達は追い詰められていきました。
ボニーアンドクライド信望者が逃亡の手助け
しかし、警察はボニーアンドクライドを中々捉える事は出来ませんでした。彼達はこの荒廃した時代に現れた英雄であり、熱心な信望者も沢山いたのです。
ボニーアンドクライドはそういった信者に匿ってもらうなど逃げる為の手助けをしてもらっていました。
後にボニーアンドクライドを匿った罪で起訴された人物が23人もいる事が、どれだけ彼達が英雄のような扱いだったかを物語っています。
クライドの兄バックの死
順調に見えた逃亡生活も長くは続きませんでした。徐々に彼らは追い詰められていくのです。そしてついに壊滅への一歩となる出来事が起こってしまいました。
まず、逃亡生活の最中に兄のバックが警察との銃撃戦で大きな傷を負ってしまい、その傷が原因で帰らぬ人となりました。そして立て続けにその妻ブランシェも逮捕されてしまいました。
バロウギャングメンバーの逮捕
メンバーも次々に逮捕され、彼らのチームは壊滅状態になりました。
しかし、ボニーアンドクライドはそのような状態でも支援者の力を借りて、何とか逃げ続けていました。