石井紘基とは?政界の闇を暴こうと奮闘した末に刺殺された現代の侍
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ほとんどの政治家が触れることさえ躊躇うタブーに、命をかけて挑んだ現代の侍ともいえる石井紘基という人物は、一体どのようにして出来上がったのか。それは石井紘基のルーツを紐解くことで明らかになってくるのです。
石井紘基の経歴
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石井紘基は1940年に生まれ、東京都世田谷区で育ちました。学生時代には学生運動に熱中し、安保闘争でほとんどの国会議員が逃げ出す中、たった1人でデモ隊の最前線で警察官を抑えようと行動した日本社会党書記長の江田三郎の姿見て、政治家としての道を歩むことを決意しました。
石井紘基はまずはじめに、日本社会党の活動に参加しました。大学内でも自治会委員長となることで学生運動のリーダー的存在になっていったのです。その後、早稲田大学大学院法学研究科を経てモスクワ大学の大学院に進み、帰国後は江田三郎の息子である江田五月の秘書として政界へ足を踏み入れました。1978年には社会民主連合を結成し、事務局長に。衆議院議員選挙での同党公認が決定していましたが、1992年に突如日本新党へ移籍となりました。
石井紘基は「国会の爆弾発言男」と呼ばれた
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1993年の衆議院選にて初当選を果たした石井紘基は、国会議員としての権限を利用した税金の無駄使いや、政府の不正を徹底的に追及する姿勢で活動を続けました。誰もが触れないような、タブーとも言える話題に切り込む姿勢の石井紘基の発言は、「国会の爆弾男」と称され、恐れられる存在になったのです。また、石井紘基は青少年に悪影響を与える危険性の有る作品についての規制に対しても、熱心に取り組みました。
石井紘基は国会質問の日に刺殺された
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2002年の10月25日。石井紘基は国会質問の日に、右翼標榜暴力団伊藤白水により自宅駐車場にて刺殺されました。石井紘基は特別会計などの闇を暴くべく、国会に資料を提出する予定だったとされています。迎えの公用車に乗り込む為に、石井紘基が自宅を出るのを待ち伏せての襲撃でした。大量出血による心肺停止でした。左胸には横に約3㎝の刺し傷、また顎にも約5㎝の切り傷がありました。警察の取り調べで伊藤は、家賃を工面することを断られた為の犯行と自供しました。
石井紘基が「国会の爆弾発言男」と呼ばれるに至った発言内容とは?
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石井紘基が国会で発言する度に、テレビニュースや新聞記事で取り上げられました。それでは、国会に対する爆弾発言とはどういった物だったのでしょうか。世間を揺るがし続けた発言の数々を、詳しくご紹介します。
石井紘基は天下り・税金削減を主張した
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天下りという言葉を聞くと、悪いことのように感じてしまいますが、世代交代をすることで政界が若返ったり、天下り先でノウハウを生かすことが出来るので企業の成長にもつながるという利点もあるのです。しかしながら、汚職や癒着といった不正が行われているのが現実で、石井紘基が調査した結果、整理が必要な天下り会社は3000社にも及びました。
天下り会社が占めていた膨大な仕事を、一般の企業に委託するという石井紘基の発言に、議員や官僚、天下り先の企業から忌み嫌われ、「国会の爆弾発言男」と称されるに至ったのです。
オウム真理教は「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
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オウムがロシアに進出した際、ロシアには既に約5万人のオウム信者が存在していました。それは、元々ロシアに進出していた統一教会がオウム信者に成り代わっただけではないかと石井紘基は考えました。また、創価学会までもが統一教会と通じていて、2つの宗教と密接に関わっていた政治家が、オウム事件に関与していたのではないかと指摘したのです。
創価学会がオウム真理教に関与していたと推察される記事もありますので、合わせてご覧下さい。
石井紘基は「バトル・ロワイヤル」の上映を禁止する運動を起こした
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担任の教師が、生徒同士を殺し合わせて人間の生の大切さを教えるという斬新な設定とテーマで人気を泊した深作欣二監督作品の映画、「バトル・ロワイヤル」。青少年に悪影響を与える可能性のある映画・漫画作品の表現規制に積極的だった石井紘基に、この作品はどのように映ったのでしょうか。
「保護者達は上映禁止を求めている」と批判
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「バトル・ロワイヤル」の上映に当たって、各方面から批判的な意見は多くありました。深作欣二監督と対談を果たした石井紘基は、「こんな映画を見せられた子供がまともに育つ訳がない。保護者も上映禁止を求めている」と批判的なコメントを投げかけました。日本国憲法の「表現の自由」を侵すタブーとも言える検閲であっても、石井紘基にとって「バトル・ロワイヤル」は何としても世に出してはならない作品だったのです。
深作が「青少年を信頼していない」と反論した
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深作欣二監督は石井紘基の発言に対し、「あなたは青少年を信頼していない。大人が善悪の判断を教え込むべきだ。あなたの主張は、彼らが善悪の判断を持っていることを頭ごなしに否定している」と反論しました。いじめや非行が横行する時代で、子供に対する自身を失ってしまった大人達の暴走を描く形になったことが、混乱を起こしてしまったのです。
石井紘基刺殺事件の概要
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そもそも、何故このような悲劇が起きたのか。犯人や警察の捜査に不信な点が多の多さが、石井紘基刺殺事件の闇がいかに深いものであるのかを物語っています。それでは、謎の多い事件の概要を詳しくご紹介いたします。
石井紘基は日本の国家予算について追及していた
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石井紘基は日本の年間歳出において、約200兆円相当が特別会計である可能性が有ると指摘しました。これは、一般会計予算の約80兆円に対して、特別会計が約200兆円であることを計算し、算出したうえでの発言だったのです。その内容は厚生年金、健康保険、国民年金など、多岐にわたります。
何故その様な事態が起きたのかと言うと、歳入、歳出の仕組みが複雑であった為、国会で追及しづらいようにできている為でした。つまりは利権を有する者にとって、あまりにも都合の良い仕組みだった事が災いしたのです。
石井紘基は自宅駐車場で左胸を刺され死亡
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石井紘基は数日前に国会質問で「野党の連中はひっくり返る」と発言していました。権利を有する役職の人間にとって、不利になる情報を入手していたのでしょう。その事実を葬る為に、石井紘基は刺殺されたのではないかと噂されているのです。石井紘基が襲撃に遭ったのが国会質問の日という事実が、その噂が単なる噂では無いという事を物語る結果となったのです。
伊藤白水が出頭し逮捕されるも不信な点が残った
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伊藤白水は犯行の動機を石井紘基との金銭トラブルであることを主張しました。しかし、その主張には大きな矛盾点が存在するのです。事件当時、石井鉱基の鞄にあった30万円は残され、国会に提出する予定の書類、衆議院手帳がなくなっていたのです。もしも金銭目的であったのであれば、現金に手を付けていない事は大きな矛盾が残ります。
警察の杜撰な捜査、真相は闇に葬られた
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犯行の動機に大きな矛盾点があるにも関わらず、警察・検察は「個人的怨恨により社会的・組織的背景なし」としました。2005年に行われた最高裁では被告が主張する「石井紘基との金銭トラブル」という動機に信憑性が無いとし、無期懲役が確定しました。判決が出たものの、真相については解明されることが無く、闇に葬られる形となったのです。
闇に葬られる事になった事件は、石井紘基刺殺事件だけではありません。犯人が解っているにも関わらず、闇に葬られた事件の記事も合わせてご覧ください。
石井紘基刺殺事件で封印された謎
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今となっては考えられない警察の杜撰な捜査方法や、獄中の犯人の新しい証言、事件に対する民主党や報道の動きを見て行き、真相が闇に葬られるに至った経緯をご紹介いたします。
警察の捜査は杜撰なものだった
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事件捜査は不審な点が多いにも関わらず、現場保存や指紋採取すら行っていないという、驚くほど杜撰な物でした。そもそも、石井紘基刺殺事件は殺人と窃盗の凶悪犯罪であるにも関わらず、警視庁捜査一課が担当しなかったというのも事件が暗礁に乗り上げた一因だったのです。
石井紘基刺殺事件は、主にテロ等の国家に対する反社会的活動の予防や取り締まりを行う役割の公安部が捜査していたのです。そして公安部は現場から消えていた裁判に重要な証拠品を見落とし、「犯人の個人的怨恨である」という、石井紘基の遺族が納得出来る筈の無い判決が下ってしまったのです。
犯人逮捕の前に政治記者が犯人である伊藤白水の名を知っていた
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世田谷区長の保坂展人は、永田町の新聞記者から「伊藤白水という男を知っていますか」という内容の電話を受け取っています。何故、石井紘基の絶命が確認されていない段階で、翌日に自首する犯人の名前を新聞記者が知っていたのかは大きな謎です。
その件を保坂展人は国会で指摘しましたが、国会内で傍聴していた記者が誰一人として、新聞やテレビで報道することはありませんでした。事件直後に記者の間で広まっていたとしたら、その記者の中に襲撃計画を事前に知る立場の人間や、確実な情報を持っている人間が関与していた可能性があるのです。
事件後、民主党は調査をしていない
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事件発生後、民主党は「石井紘基刺殺事件に対し、党をあげて徹底して真相解明する」と発表しました。しかし、沢山の資料が入った段ボールは、ほとんどが手つかずの状態で遺族に返却されました。重要な調査資料ですから、どんな調査結果が出るのかと誰もが期待していたことでしょう。政界でタブーとされる事件に、政治家が関わることは難しいのかもしれません。
2009年の伊藤白水の発言を受けても調査せず
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事件当時は怨恨を主張しましたが、2009年の獄中インタビューで伊藤白水は供述を覆し、「本当は頼まれたから殺した」と発言しました。2005年の無期懲役の判決を受けてから4年が経過していました。このまま闇に葬られる危機にあった事件に光が差す、大スクープでした。