リジー・ボーデンとは?実父と継母を殺したと言われている有名人
およそ130年前のアメリカ・マサチューセッツ州南部の町フォールリバー。1892年8月4日の白昼、資産家の名士の屋敷で実の父親と継母を殺した被疑者が次女である当時33歳のリジー・ボーデンです。アメリカ犯罪史上最大の未解決事件を紹介します。
リジー・ボーデンの生い立ちと家族との関係
親殺しの罪に問われ無実の判決を受けながら犯罪史上に名を残しマザーグースにも歌われるリジー・ボーデンはいったいどのような女性だったのでしょうか。その家族の関係を中心に事件当日までの様子や生い立ちをご紹介します。
生い立ちと家族関係①不仲な家族だった
資産家である厳格な父アンドリュー・ジャクソン・ボーデンの最初の妻サラ・アンソニー・ボーデンが病死して3年後に後妻となる継母のアビーが来る以前から親子間の軋轢は激しく、居住スペースもリジーとエマ姉妹と夫妻の領域を二つに分割し、親子の会話も少なく食事さえ一緒にテーブルに付く事は無いほど不仲でした。
厳格な父親は不機嫌になるとリジーが鳩小屋まで作って大事にしていた鳩の首を見せしめに切り落とすなど、厳格を通り越し常軌を逸する行動にリジーが激怒したと言う話もあります。
生い立ちと家族関係②一家は遺産についてもめた
地元フォールリバーでは数多くの事業を営み資産家で70歳になる父アンドリューの莫大な財産の配分が家族間の確執の主だった原因です。ボーデン家の邸宅はアビーが相続する事になっており、姉妹が避暑用の別荘に使用していた農場の相続問題も数日前から激しく議論が行われ揉めに揉めていました。
生い立ちと家族関係③父は厳格だが娘に無関心?
事業で成功をおさめフォールリバーの名士だった父親は厳格と言うよりは守銭奴(いわゆるケチ)の部類に属する人物で、食事の肉類も一番安い羊肉しか使用させません。身分違いのアビーを後妻に選んだのも結婚式に費用がかからない相手と言う理由でしたが、考えように依ってはそれ故に資産家として成功したと考える事もできます。
しかし事件当時リジーは33歳、嫁いでいてもおかしくはない年齢です。娘二人に無関心な父親だったのかと考えるとそうではなく逆に娘を手放したく無かったからとも考えられます。リジー姉妹は後妻に入ったアビーを毛嫌いし「ボーデン婦人」と呼んでいた事からも、どちらかと言うとリジーが父親に対しての想いは強く犯行に至った可能性もあるでしょう。
生い立ちと家族関係④リジーは大人しい女性
リジーは姉のエマに比べると自由奔放で活発な方でしたが町の人々には、教会での活動や恵まれない子供達のために慈善活動を行う善意に溢れた大人しい女性という印象を持たれ、敬愛する父親に対し無残な犯行を行えるわけが無いと、リジーの逮捕は不当だと町中の人々が警察や新聞社に抗議するほどでした。
生い立ちと家族関係⑤リジーには脳の疾患があった
リジー・ボーデンには月経中に脳の疾患が原因で起こるてんかんのような症状が度々ありました。1892年8月4日事件当日はその年の記録的猛暑でした。どんなに裕福でも当時の一般家庭には空調設備がある家は一件もありません。うだるような40度近い気温の中、意識が朦朧とする事が無いとは言い切れません。更に当日リジーは月経中でした。
イギリスの小説家であり評論家のコリン・ウィルソンが唱える仮説として、てんかんによる発作と資産を巡る諍いへの怒りや継母への憎悪、月経による苛立ちと40度の記録的猛暑などが重なりあい、この凶行に及んだ可能性もあるとしています。
リジー・ボーデンが疑われた事件の概要と裁判
事件当日に殺害された父親と継母の二人とリジー・ボーデン本人とメイドのブリジット・サリバン二人を含む四人が屋敷にいた時に起こった事件のあらましと裁判での様子を今一度詳細を交えてご説明します。
事件概要①マサチューセッツ州の大富豪夫婦が死亡
父アンドリューは事件当日の午前中に銀行と郵便局に出かけ自宅に戻りその30分後に次女アビーが階下のカウチで横になった死体を発見しました。父親の惨状は酷いもので、正面から重たい鋭利な刃物で滅多打ちにされたのか頭蓋骨は砕かれ顔面は傷だらけで鼻は削がれており、さらに左目は二つに裂かれて眼窩から飛び出していたと言う有様でした。
すぐさまかかりつけの医者や近隣の住人が焦燥のリジーを世話している時に、メイドのブリジットがアビーが2階のゲスト用の寝室で後頭部を殴打され死んでいるのを発見しました。
事件前に夫婦は食中毒に襲われている
ほんの数日前に、しばらく前から胃痛を訴えていた両親を含めリジー・ボーデンを除く家族全員が酷い体調不良を訴えました。アンドリューが町の人々に不人気だったので食事に毒を盛られたとアビーは疑いますが、かかりつけの医師は食中毒と診断を下しました。
事件概要②容疑者は次女とメイドのみ
犯行現場の状況と手口から見てまず怪しいと疑われたのは、屋敷に滞在していたアンドリューの前妻の兄ジョン・V・モースでしたが、近隣の目撃証言からジョンは外にいたアリバイがあり、屋内で窓を拭ていたメイドのブリジットと納屋にいたリジーの二人に容疑者は絞られます。
事件概要③凶器の斧は地下室で発見された
ところが頭部を叩き割るほどの犯行に使用したのであれば、当然付着している筈の血痕は無く、さらに事件の後に検視の専門家は、犯行後の刹那に手斧の血痕を拭き取る時間は無いと判断します。事件の捜査の中で警察は返り血を浴びたはずの服または凶器の手斧に付いた血を拭き取ったはずの布を全く発見できません。
リジーは疑われたが裁判で無罪になった
全米が注目する中裁判では最高裁の判事を勤めたムーディ検事が検察側に選ばれ、州の司法長官を勤めた経験を持つロビンソン弁護士はリジー・ボーデンの弁護人に、当時考えうる限り最高の人選での裁判が行われました。検察側は相続に纏わる確執や、アビーとの確執、リジーが服を処分した事実に対して犯行を動機付けます。
検察側の主張に対しロビンソン弁護士は、動機について相続のいざこざは金銭で決着した事。ドレスの処分については、わざわざ警護の警官の目の前で証拠隠滅の危険を犯す筈が無い事。250人の警官を動員しても血の付いた服は無かった事を挙げリジーの無罪を主張し、陪審員は1時間の休廷後無罪と判決しました。
ボーテン家は名家であり様々な思惑が働いた
フォールリバーは織物業が盛んな街であり地元の新聞社や宗教団体も含む業界、強いてはフォールリバーの街全体が父アンドリューの息のかかった支配下でした。検察側の主張は状況証拠であり物証が不十分と見なされリジーを犯人と断定するには不利な状況に追い込まれます。
何より陪審員が全員男性であり地元の名士の娘であるリジー・ボーデンを殺人事件の犯人にする発想など全く無かった事。処分した服に血痕は無しと証言もあり。検視証言全体が裁判から排除されました。
当時同じ地域で別の斧での殺人事件が起きていた
裁判直前リジーが勾留中にフォールリバーの同地区で別件の殺人事件が発生し凶器には斧が使用されていました。全てがリジーにとって有利に動き、審議の最後にロビンソン弁護士は「陪審員のみなさんには、あの女性がこのような恐ろしい犯行を行う悪魔に見えるのですか?」と訴え、リジー・ボーデンの判決は「無罪」でした。
リジー・ボーデンはなぜ疑われたの?
無罪となったリジー・ボーデンは父の莫大な遺産を正当に相続し、姉と共にフォールリバーに豪邸を構えましたが、その暮らしぶりを見た町の人々は次第にリジー・ボーデンが親殺しの犯人じゃないのかと疑うようになります。
リジー・ボーデンの疑惑①遺産目当ての犯行説が出た
リジー・ボーデンは法律上の正当な遺産相続人として認められ、姉妹で併せて当時の50万ドルにもなる莫大な遺産を相続し、フォールリバーに新たに豪邸を建築し姉と暮らし始めました。正当な理由があっても急に金持ちになった人間に対しての反応は今も昔も変わらず、財産目当ての親殺しとリジーを疑う住民が増えていきました。
事件の日は牧場の名義が変わった日だった
事件の当日は、リジー・ボーデン姉妹愛用の農場の名義を姉妹に内緒でアンドリューからアビーの名義に変更する予定でした。アンドリューは手続きの場にアビーが一向に現れないので様子を見に一旦自宅へ戻り、カウチで横になった所を殺されたと推測されます。
リジー・ボーデンの疑惑②事件前に青酸購入を試みる
リジー・ボーデンはアザラシの毛皮のコートについた虫を駆除する理由でシアン化カリウム・青酸カリを購入しようと事件前日に三件の薬局を訪れいずれの店でも断られます。さらに同日友人であるアリス・ラッセルに「ウチの食事には毒が入れられている」と伏線を貼っています。
リジー・ボーデンの疑惑③事件後にドレスを処分
事件の3日後、様子を見に捜査のため警官がウロウロするボーデン家を尋ねたアリスが、ストーブで青いドレスを燃やすリジー・ボーデンを見かけ不審に思い尋ねると、ペンキ塗りたての場所にこすって汚したから処分しているとリジー・ボーデンは答えましたが、ドレスに血痕はなかったとアリスは証言しています。
リジー・ボーデンの疑惑④女優との恋が動機?
リジーがボストンで1904年頃出会い恋に堕ちたのが、知名度の低い女優ナンス・オニールです。ナンスは浪費家でいつも困窮しており、リジー・ボーデンは裕福だったので対極にある二人は仲睦まじく、証拠は無いもののナンスを知る周囲の者には、彼女が同性愛者なのは周知の事実でした。
事件時の周囲の様子とアリバイ
130年近く経過した今となっても真相不明の犯罪史上に残る事件です。事件当日のボーデン家の周囲や家の中にいて犯行可能と思われる人物の不審な行動やアリバイなどに注目し真相に近づいて行きましょう。
ジョン・モースは外出していた
アンドリューの最初の妻サラ・アンソニー・ボーデンの兄ジョン・V・モースはアンドリューと仲が良く、事件前夜からボーデン家に宿泊していました。事件当日は朝から親戚を尋ねるために外出しており、事件の直後に庭を通って戻ってきました。
屋敷の中で大騒ぎしているのに気づかなかったのか、呑気に庭で果物を拾っているところを近隣の住民が見かけ、家に戻った時点での妙に落ち着いた動向も不審でしたが、家の外にいたアリバイが確定し犯行は不可能です。しかし農場の相続手続きに管理をしていたジョンがその時間に親戚を尋ねていたと言うのも辻褄が合いません。
ブリジェット・サリバンは窓ふきを行っていた
前夜に食中毒騒ぎがあり、ブリジットも体調不良にも関わらず40度近い猛暑の中、家中の窓を拭いておりアンドリューが殺されリジーがそれを発見した時間には3階の自室で横になっていたと証言し確固たるアリバイはありませんが、雇い主であるボーデン夫妻を殺す動機が全く見当たりませんでした。
リジー・ボーデンは納屋で釣り用の重りを探していた
そうすると一番疑わしいのはリジー・ボーデンです。犯行時間には納屋で釣りに使う錘を探していたと証言し、アビーが殺された時間にはまだ寝ていたと主張しています。真相は不明ですがそれまでリジーが釣りをする事は一度も無く、釣り自体に興味を持った事すら無かったそうです。
ボーテン夫婦が地元で嫌われており住人の犯行説も出た
亡くなったアンドリュー・ボーデンは若い頃はそれほど裕福な暮らしを送っていた訳では無かったが父の代から受け継いだ葬儀社の事業に加え銀行業なども手がけ莫大な富を成した事、後妻に入ったアビーも財産目当てで結婚したのではないかと、ボーデン夫妻は地元では嫌われており住民による犯行説も考えられました。
アンドリューがどれだけ地元の名士であっても資産家を鼻にかけ我が物顔で偉ぶる人物であったなら、一人や二人町の人間の中には凶行に及ぶ犯人がいたとしても不思議ではありません。
父の隠し子説まで出た
全く確証のない根も葉もない噂話は今も昔も変わらず、アンドリューにはウィリアム・ボーデンと言う名の嫡出子がいてその息子がボーデン夫妻を殺害する犯行に及んだのではないかと言う隠し子説まで噂されました。しかし、調査してもアンドリューに隠し子がいたと言う事実は確認できず真相は不明のままです。
日本でも起きた不可解な未解決事件
結局真犯人も真相も闇の中のリジー・ボーデン事件ですが、ここ日本でも不可思議な未解決事件が起きていました。リジー・ボーデン事件のような100年以上昔ではなくみなさんが新聞やテレビなどのメディアで報じられた事件です。
影の圧力?報道がぷつりと止んだプチエンジェル事件
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その後すぐマスコミも報道をやめてしまいました。事件を追っていたフリーライターは東京湾に浮かび、それ以来この事件はタブーとされており、ウィキペディアでさえこの事件の項目のみ数回に渡り削除されました。(現在は閲覧可能)
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