リッチピアーナとは?アメリカで人気のボディビルダー
リッチピアーナは1971年9月にアメリカ、カリフォルニア州でイタリア系の父と、アルメリア系の母のもとに生まれました。もともとボディビルダーであった母親の影響で彼もその世界で人気を博しました。若くして閉じたその生涯を惜しむ人は大勢いました。
リッチピアーナ経歴
ここからはリッチピアーナの人生をみていきます。子供のころからボディビルダーになることを目指し、努力してきた彼の生涯を振り返ります。日本国内では知っている人も多くはありませんが、アメリカでとても人気の選手でした。
母親の影響でボディビルダーを目指す
母親がボディビルダーという間近で見ることのできる環境で育ったリッチピアーナは6歳の時に初めて、自分も目指したいという意思が芽生えだしました。11歳になると厳しいトレーニングを始め、世界で通用する体を作っていきます。
18歳のころにはタイトルを獲得し世界に名を馳せる
小さいころから体作りを始め、15歳の時には初めて大会に出場しました。さらに「ミスターカリフォルニア」をはじめ、数々のアマチュア大会などで優勝を重ねていきます。タイトルを獲得し順調にみえますが、のちに本人がこの頃からプレッシャーを感じていたと話しています。
引退後は「5% Nutrition」を立ち上げる
リッチピアーナはその後も優勝を続けていきますが、プロのボディビルダーにならず自身で「5% Nutrition」を始めました。5%は彼を示す有名なキーワードですが、それは「自分のゴールにたどり着くためにすべての力を注ぐことのできる人のメンタルであり、それを兼ね備えた人は全体の5%であっる」という意味を表しています。ここではプロテインから、Tシャツまで幅広く手掛けています。
Youtuberとしても人気を集めていた
彼のYoutubeでは100万人を超える人がチャンネル登録をしている人気のYoutuberでした。彼は動画で自身について隠さず正直に話すことも人気の秘訣です。動画の中には1時間を超えるものもあり、トレーニングの様子や私生活まで公開していました。
リッチピアーナは2017年に急逝
自業も軌道に乗り大きな倉庫を抱え、時には売り切れ状態も続くほど成功した人生を歩んでいましたが、悲劇は突然訪れました。2017年、46歳という若さでこの世を去りました。
リッチピアーナは2度結婚している
彼は2度目が大変な結婚生活でした。20歳の年の差があり周りから反対されていましたが、それは結婚後に明らかになりました。彼女はアメリカで永住権を獲得することが目的で、リッチのお金も使い続けました。離婚後は前に付き合っていた、シャネルとよりを戻しています。
リッチピアーナの死因はステロイドにある?
リッチピアーナを調べると必ずと言っていいほど出てくるテーマがステロイドです。死因に関しては直接説明はされていませんが、いくつかの理由からスロイドが死因となったと考えられています。亡くなった時の状況とともに詳しくみていきます。
リッチピアーナは散髪中に倒れる
彼の人生の最後は突然訪れました。最後の彼女であるシャネルに髪を切ってもらっているときに倒れて意識をなくしました。救急車が到着するまでの間、心拍数が異常だったので彼女が心肺蘇生を続けます。
緊急搬送されるも二週間後に死亡
そのまま病院へ緊急搬送され心拍数も正常に戻りますが、脳に大きなダメージを受けました。彼は8月7日に運ばれこのまま2週間後の25日まで目を覚ますことなく、そのまま息を引き取りました。
リッチピアーナの心臓は2倍になっていた
リッチピアーナの遺体は解剖にまわされました。その際に心臓と肝臓が通常の成人男性の2倍以上の質量がありました。もともと体の大きいリッチピアーナですが、内臓にかなりの負担がかかっていたことがわかります。
リッチピアーナの死因はステロイド?
ステロイドの副作用として内臓が肥大することがあげられています。亡くなった時の内臓の大きさから死因はステロイドと推測されましたが、実際には内臓を分析することはなかったため、はっきりとした死因は発表されませんでした。
リッチピアーナには死の前兆もみられた
彼の死後、彼女で最後の瞬間に立ち会ったシャネルがインタビューに答えています。そこでは亡くなる前から呼吸がしずらかったり、吐き気を催す様子がみられていたとのことです。それが心肺停止が突然起きる前兆だったかもしれないと振り返っています。
リッチピアーナは過眠症も患っていた?
さらに彼女の証言からリッチピアーナが過眠症を患っていたことがわかっています。過眠症とは不眠症の逆で十分な睡眠をとったにも関わらず眠気が続いて体がだるかったり、日中当然強い眠気に襲われる症状が出ます。この過眠症の原因は脳内の覚醒コントロールがうまくできていないことだとされています。
リッチピアーナのステロイド歴は?
リッチピアーナとステロイドは切っても切り離すことのできないテーマです。彼はいつから使っていたのか、なぜ使い始めたのかについてみていきます。彼自身も危険性があることを知っていたとしてもまさかこんな風に命を奪われるとは想像していなかったでしょう。
ボディビルのコンテストのため使用を開始
子どものときから憧れて体作りを努力していたリッチピアーナですが、最初はなかなか勝つことができず、苦しみました。コンテストに出場した際には父親が見に来てくれたのですが、いつも2~3位どまりで父親をがっかりさせたことからもっと強い体を作らなきゃと優勝するためにとり始めたのがきっかけでした。
youtubeなどで使用方法を説明していた
アメリカのアマチュア大会ではステロイドの使用が禁止されていません。リッチピアーナはプロのボディビルダーではないので、Youtubeでステロイドを使っていたことやその使い方についても大っぴらに話しています。
ステロイド使用を推奨していなかった
ステロイドは筋肉を肥大させることでも知られていますが、そこには数多くの副作用があるため推奨されていません。効果がみられると継続してしまう傾向にありますが、とても危険なことで体をじわじわと蝕んでいきます。
リッチピアーナのステロイド歴は25年に及ぶ
18歳のころからステロイドを使用していたリッチピアーナの使用歴は25年以上に及びます。このことが体の中から負担を抱え、命を落とす結果となりました。長年続けた結果がこのような悲劇を招きました。
リッチピアーナはシントールも使用していた?
シントールとはボディビルダーの中で筋肉を大きく見せるために注入している人が多いものです。しかしこの危険性は重大で、すぐに異常が出るのではなく何年かしてから打ったところに症状が出る人もいます。リッチピアーナは使ったことを認めていますが、継続的に取り入れていたわけではないと否定しています。
リッチピアーナはどんなトレーニングをしていた?
ボディビルダーは何年もかけて筋肉を大きくし、体を作っていきます。人それぞれやり方は異なりますが、リッチピアーナの方法はその中でもかなり特殊なものでした。その方法などについても紹介していきます。
他のボディビルダーとは違うメニューを好む
多くのボディビルダーが行うものとは異なるメニューを好んでいました。マシンを使った方法でも重量の重いもので行うよりも低重量でプレスを重視して行っていました。
自分の体にコンディションを聞く
彼は決まったプログラムを淡々とこなしていくのではなく、その日その日の自分のコンディションに合わせて体作りを行っていました。それむかし、自分の体が求めていることを無視して無理した結果、痛い目にあったことが教訓となっています。
曜日によって鍛える部位が違う
毎日同じプログラムを繰り返しているのでは、体が慣れてしまい効果が見られないと考えていたリッチピアーナは曜日ごとに鍛える部位を変えていました。筋肉を十分に休ませながら痛めつけることでさらに効果がみられると教えています。
リッチピアーナのサイズ
彼の身長は185㎝で、体重は低いときで124kg、一番重いときで143kgありました。腕周りは61㎝あり、写真を見てもその筋肉のすごさが明らかです。マシンを使った方法では、ベンチプレス225キロ、スクワット265キロ、デッドリフト265キロ、バーベルカール125キロの記録をたたき出しています。