彼の鍛え上げられた筋肉は、どの選手よりも優れており、拍手喝さいの中称賛を浴びたといわれています。それほど自分を追い込んでトレーニングに励み、この成果を成しえたということでしょう。
左目を失明するもボディビルを続けている
後継していく彼の伝説の中には語らずにはいられない言説があります。それが、失明しながらも今なお現役を貫いていることです。これが「狂気の男」の異名を持つ男の矜持だといわんばかりです。
詳しくは後述しますが、合戸孝二さんがかつて出場していたスロバキア大会の頃にこの病気を患ったそうです。しかし、失明という苦難を背負いながらも彼は今なお元気に熱心に競技生活に取り組み、一流選手として活躍しています。
合戸孝二の戦歴を紹介!
4度の大会で優勝という戦績を残しながら現役の名を轟かせ続ける彼ですが、それはほんの一部です。詳細な戦歴の数々を紹介していきましょう。偉大な男は今なおその戦績を刻み続けています。
- 1999年 世界選手権 70㎏級 4位
- 2010年 日本選手権 2位
- 2010年 世界選手権 70㎏級 6位
- 2011年 アーノルドアマチュア 70kg級 4位
- 2011年 アジア選手権大会 70kg級 優勝
- 2011年 日本選手権 2位
- 2011年 世界選手権 70kg級 5位
- 2012年 アーノルドアマチュア 70kg級 6位
- 2012年 日本選手権 3位
- 2012年 世界選手権 70kg級 9位
- 2013年 日本選手権 3位
- 2013年 世界選手権 70kg級 15位
- 2014年 日本選手権 4位
合戸孝二の経歴と生い立ち!ボディビルを始めた理由は?
すさまじい功績を残す彼ですが、今なお現役選手生命を維持する彼がなぜ競技世界に体ををささげたのか、その理由についてみていきましょう。彼が世界に飛び込んだのは20歳の頃だったそうです。
これは業界の中でも決して早い方ではなく、あることをきっかけに始めたのだと本人は語っています。そして初優勝も44歳と、業界内では遅めになります。しかし、その後ドキュメンタリー番組で取材されるほどの大活躍と大人気選手になります。
20才の頃に女性との出会いを求めてジムに通い始める
この世界に踏み出したきっかけについても詳細に探ってみたところ、きっかけは些細な理由からだったそうです。その理由が女性との出会い目的。20歳の頃に始めた当初は、とにかくジムで少しでも出会いがあればという気持ちだったそうです。
合戸孝二は99年世界選手権70kg級でデビュー
不純ともとれる動機で挑んだ世界でしたが、しかし次第にはまっていきます。鍛え上げるたびに大きくなる筋肉と体に感動し、鍛え上げていったそうです。そして、初デビュー戦が1999年の世界大会。
70㎏級という選手の中でデビュー戦を飾ります。その時の様子を本人は、恥ずかしかったとも語っています。人前に毛を剃ることに多少緊張と恥ずかしさを覚えてしまったのだそうです。そして、4位という結果を残しています。
現在はジム経営も?マッスルハウスジムを設立
デビュー戦後も数々の戦歴を残し、伝説ともいわれるほどその活躍は衰えない彼ですが、現在はジムも経営しているそうです。その名もマッスルハウスジム。
静岡県に居を多くジムであり、彼は静岡ボディビル・フィットネス連盟のトップの座といわれる理事長も務める傍ら営んでいるといわれています。
合戸孝二が失明しているって本当?狂気の男と呼ばれている理由とは
狂気の男と呼ばれる伝説の選手ですが、そんなかれにも避けられない過酷な現実が突き付けられた時があります。それが失明。彼は目と筋肉どちらを取るかを迫られることとなるのです。
しかし、彼はぶれません。失明よりも筋肉とトレーングの方を優先したのです。このことから狂気の男の名をほしいままに轟かせることになるのですが、詳しい内容を見ていきましょう。