34年という年月の間に、できなかったことは多々あることは数知れずあるのではないでしょうか。全てを挙げていくときりがないほど、たくさん含まれていますが、中でも自由の身になりしたかったことの一つが結婚かもしれません。青年時代にできなかったことでもありますが、無罪確定後に11歳離れた女性と結婚しています。
結婚することができたことで、励みになったことも一つにあるでしょう。2人で細々と生活をしていたことが明らかになっています。生活という言葉は、待ちに待った時だったことではないでしょうか。
地元に帰るが居づらくなり転居
一度は死刑判決まで至ったこともあり、結婚後に待っていたのは喜びだけではありません。免田事件に課せられた数々の隠蔽工作によって、その後の進展はありません。殺人事件自体の捜査が行われていないことが、警察の犯してしまった大きなミスでしょう。そのことで真犯人の特定がされていないことから、あってはならない噂はついて回るのです。
賠償金をもらったこともあり、地元に帰るものの、その場に止まることはできないことになります。その場に居づらくなって、転居を余儀なくされてしまうのです。噂に中で耐えることより、別の市に引っ越し妻を守ることを優先した姿が見て取れるかも知れません。
毎日釣りをして暮らしている
免田事件によってできなかったことが多すぎると、何から手をつけて良いか迷うこともあり得ます。34年の年月の間必死に戦ってきたこともあり、ゆっくりしたい気持ちがあったのではないでしょうか。生活は一気に平凡になり、待っていたかのように毎日のんびりしていたのです。後には有意義に毎日釣りをして日々を過ごしているとされています。
免田事件はのんびり、という言葉からかけ離れた年月だったため、まさに待っていた時間だったかもしれません。また何をしたら良いだろう、と思わせるほど年月が過ぎていたことも伺えるのではないでしょうか。ようやく落ち着いた生活を送れるようになりますが、簡単に終わりません。社会全体からの偏見は避けられないことも確かだからです。
現在は死刑制度の廃止を世界に訴える活動をしている
自由の身になったとはいえ、それだけで全てが解決したわけではありません。このようなことが起こってはいけないことも、一つに言えるのではないでしょうか。免田事件を経て、フランスやニューヨークなどにも趣き死刑制度廃止の活動を、同じ考えを持つ人と共に行なっています。そこには新たな出会いがあり、共に実体験からあり方を主張しているのです。
偏見が避けられない中、行動をすることも必死に訴えていたのではないでしょうか。死刑制度の訴えは今でも言われていますが、当時から行われていたことが伺えます。免田事件について日本のみならず海外に向けて発信することで、冤罪ということがあることに、より関心を深める意図があったのではないでしょうか。死刑制度を廃止する訴えは、日本のみならず海外でも言われている事柄だからです。
Contents
免田事件の賠償金はいくら?使い道は?
拘留期間が長いこともあったこともあり、当然支払われる金額もあります。免田事件での賠償金ですが、拘留期間が長いことで高いのは当然であり、もらえることが特別ということではありません。31年7ヶ月という期間を考えると、あまりにも長い拘束期間だったのではないでしょうか。支払われた金額は、今の時代に換算すると大きな金額であることは伺えます。
31年間の人生をお金で判断することは難しいことであり、人生のほとんどが奪われ、更には時効になってしまい迷宮入りになった本来の事件を踏まえると、支払われる金額があるのは当然です。ではいくら支払われどのように使われたのでしょうか。受け取ることに賛否があったとも言われていますが、支払われた金額を受け取ることは当然のこととも捉えられます。
当時としては破格の9071万2800円
今時点で計算すると、想像もできないほどの金額が支払われています。31年間以上の期間を計算することは難しく、お金に変えられることではないことも言えるでしょう。免田事件では考えられない年月とともに支払われた金額も、長い期間拘束されたということもあり破格の金額でした。今でも大きな金額ではありますが、当時ではあり得ない破格の支払いに再び世間での声が響きます。お金に変えられないとされるも、あまりの破格さにありもしない噂は後を絶ちません。
長い年月働いていたらどうでしょうか、きちんと受け取っていた給料があったでしょうか。奪われた時間の方が大きいことが見て取れるかもしれません。本来の殺人事件の真犯人が見つからないまま時効になったことも踏まえると、司法に裏切られた代価とも捉えられるでしょう。
免田さん本人が「あの人は今」で使い道について語った
本来あるべきのことが奪われた生活が続いたのです。失った時間を公表するため、また自身の生活状況を発信するためメディアに姿を現します。本人が出演した番組に「あの人は今」がありますが、そこで語られる内容が現実でしょう。長きに渡り何もできなかったこと、自白について、世間からはまだ偏見の目で見られることを語っています。
番組の中では賠償金の使い道についても語られていますが、そこで語られたことこそ現実と言えるのではないでしょうか。実際働けなかった期間が長いこと、受けられることは少なく、反対に使い道についての内容にこそ本当の意味が含まれているのかもしれません。
半分は支援団体に寄付
受け取った金額の全額を使って遊んでいたわけではありません。死刑制度の廃止のために動く資金にも活用したことでしょう。それだけではなく、半分は支援団体に寄付し、弁護団に謝礼として渡したことも明かされています。
免田事件をみると年金がないことで、残りに人生に不安もあったことが伺えますが、半額を寄付する行為はそれだけ感謝の意味が込められていたのではないでしょうか。老後の心配より、支えてくれた周りに対しての配慮が見て取れます。それだけ支援団体や、弁護団への感謝の気持ちが大きかったことが見受けられるのではないでしょうか。
残りの半分は生活費
2009年になり年金の受給がない中、今までに払えなかった年金の納付を行います。そのため、残りの金額の全てが安泰というわけにはいきません。決して贅沢が許された生活ではないことが、言えるのではないでしょうか。賠償金の残りの半分は、生活費として暮らしているのです。
免田事件の賠償金とは本来受け取るべき妥当な金額であるにも関わらず、偏見の目で見らえることは十分おかしな話ですが、生活が楽ではなかったことなど考えになかったのではないでしょうか。後の事を考えると決して贅沢ができるはずもなく、生活費として残るのみであることが伺えます。更に偏見の目で見られることで引っ越しもあったことから、生活は厳しかったのではないでしょうか。
免田事件は冤罪後も世間の目が厳しかった
前例がないことによって不信感は募ってしまうかもしれません。いくら無罪になったとしても、受け入れない人たちはたくさんいるからです。世間の目は厳しいものがありました。本当に無罪なのか、真犯人が捕まっていないのであればやっぱりなどあらぬ話は後を絶ちません。
ありもしないこと、いわれのないことが取り沙汰されることは、避けられなかったのでしょうか。自由を奪われ辛い中、更に耐えないといけない現実があったのです。長きにわたって自由を奪われた心境よりも、疑いの眼差しの方が多かったことは否めません。
週刊誌での誹謗中傷
女性関係についても免田さんは結婚し、慎ましく生活をしていたにも関わらず取り上げられたことがあります。免田事件そのものに関係ないことこそ、本来関与してはならない領域だったのではないでしょうか。反論することができないことを逆手にとるように、あたかも派手な女性関係があったように週刊誌に書かれたのです。
誹謗中傷は矛先を様々変えて行い、自由の身で慎ましく生活している家庭に水を指します。賠償金を使って豪遊していたかのようにも書かれるのですが、反論できない一般人に向けての誹謗中傷があってはなりません。生活を切り詰めていたこともあり、安らぐ日は訪れるのでしょうか。
公共の場で冤罪を口にする事が許されない
強要された自白、捨てられてしまった証拠、アリバイすらすり替えられてしまいました。ただし、声を大きく自らは無実であるということを言えない現実が当時にはあったのです。免田事件が冤罪であることが確かなことにも関わらず、口にすることさえ許されませんでした。今では考えられないようなことも実際あったのです。
裁判が終わり、無実が証明されたから終わりというわけにはいかなかったことは確かでしょう。公共の場で冤罪であることを言えなかった苦しみは、長い年月を経て勝ち取った事実を知ってのことなのでしょうか。長い間の苦しみが、一言で流されてしまう現実はあってはならないことです。大きな声で冤罪と主張できない苦しみは、当事者でなければ理解ができない苦痛であることは間違いありません。
芸能人も免田さんを誹謗中傷した
世間に広まっただけではありません。そこには、メディアで活躍する人間も同じことが言えました。メディアとは情報の発信源なので、当然芸能人にも当てはまることを指します。情報の発信源である芸能人までも、免田事件を誹謗中傷したのであれば大きな問題に繋がることは間違いありません。メディアを通してのみ伝えられることが、世間が知りうることだからです。
何故、誰がいつ免田事件を語り誹謗中傷したのでしょうか。世間にとって不信感を煽るような行動はとってはなりません。そこについて詳しく見ていくと、簡単な言葉が大きな問題に繋がる側面が垣間見れるのではないでしょうか。
免田事件の真犯人は?
本来の殺人に触れてみると、謎に包まれていることがたくさんなことが伺えます。証拠がないのになぜ犯人が特定できたのか、隠蔽により大切な何かを見失っているか、隠されていたかもしれません。免田事件は初動段階で捜査は適切に行われ、犯人の疑いのある人物は1人に絞られるかも疑問です。免田事件とは、全てが決めつけで行われた中で、本来の真犯人はどういう人物なのかも含め、全てが謎に包まれています。
初めの捜査段階がどうだったかによるかもしれません。きちんとした捜査が行われなかった背景に迫ってみると、ずさんな警察の姿が現れているのです。覚えていないまでも、娘2人の証言でも重傷を負った時の判断が、正しくできたかどうかについて適切だったとは言えません。
警察は免田さんを犯人と決めつけ捜査しなかった
初めの段階での扱いは致命的ではなかったのではないでしょうか。初動段階で浮かび上がった人物がいないこと、元から凶器があったにも関わらず特定できなかったこと、全ては捜査をしていなかったことに繋がります。免田事件とは警察は最初から犯人を決めつけていたため、捜査が難航していたのではなく、していなかったことが言えるのではないでしょうか。
いくつもの視点や目線から捜査することが通常だとしても、決めつけから入ってしまったことで捜査をしていなかった可能性は十二分にあります。そのため早期に誤認逮捕され、起訴も早急にされ、片付かれてしまったことは言えるのではないでしょうか。
時効が成立し、真犯人は見つからないまま
免田事件を見ると時の経つのは早いようで、途方もなく長い時間が経過していることが分かります。その間にも可能性をいくつか考えたら、本来の殺人は動いていたのではないでしょうか。真犯人が浮上してこない理由は、意外にも単純な理由が考えられます。決めつけによる断定で、捜査をしていなかったことです。免田事件では犯人を断定し、警察は終わったものと扱ったからではないでしょうか。
過ぎていく時間の中で安心でもしていたかのように、真犯人は見つからず迷宮入りになり、時効が成立してしまい取り返しはつきません。警察のとった行動に誤りがあることは否めません。
免田事件で立川談志が失言?
先程も少し触れましたが芸能人も誹謗中傷した件についてになります。免田事件を語った内容に、相手の立場で考えない姿勢が明らかになっているかもしれません。メディアの失言は大きな事柄へと発展します。
語ったのは「プレステージ」という番組でのことでした。口が滑っただけで済まされるはずもなく、戦って人生の大半を失ったことを考えると、とてもショッキングなことだったでしょう。安らかな生活が訪れることを期待していた家庭に、水を差すようなことでした。
テレビ番組で立川談志が「やってないわけない」と失言
公共の場で、冤罪であることを話すことさえ許されなかったからこそ、メディアを通しての発言は重要です。そのような状況にあるにも関わらず、立川談志が元法務大臣の言葉として、とんでもない失言をしてしまいます。無罪、冤罪という言葉が頭にはなかったのでしょうか。
立川談志の発言により、穏やかに暮らしたい一心の状況で、ありもしないことが言われるのでした。免田事件に対して「やってないわけない」とは、どんな根拠で話したのでしょうか。失言によって、待っていたのは当然の結果だったかもしれません。
発言後は批判が殺到し謝罪した
発言したことによって多くの市民団体が黙っているはずもありません。免田事件に対して関係する内容でないことは明らかではないでしょうか。手段を取らないわけでもなかったかもしれませんが、失言は波紋を生み非難が殺到して立川談志は謝罪をすることになります。
謝罪はしたものの、テレビ局が容認していたこともあり波紋はそこだけに止まりません。すぐに抗議文を出し、自体は大きく動くことになります。謝罪に至りましたが、立川談志だけに問われる問題ではないでしょう。テレビ局自体に問題があったことも当然のことかもしれません。
2年後に日弁連から「警告」と「勧告」が行われた
今度はテレビ局が叩かれることになります。人権の侵害は、大きな問題として扱われなければなりません。当然苦しんだことに対して、笑いを持って扱うなどあってはならないことです。日弁連から「警告」が行われ、更には重い「勧告」が行われました。そこに至るまでに要した時間は2年後という長い年月でしたが、貴重な時間だったことは確かではないでしょうか。
免田事件が冗談で済まされる段階ではなかったことは、言うまでもありません。そっとしてほしい、と思うことが一番の願いだったこと、死刑や冤罪を防ぐために動いている行動にとって大きな問題だったことは誰の目にも明らかではないでしょうか。
立川談志の指す「元法相」は秦野章?
これは一説に言われていることであり、確たることではないことをご承知ください。免田事件の時代と重なり、立川談志の話した元法務大臣とは誰なのかを遡って見ると、当時の大臣とは、ロッキード事件にて田中角栄を擁護したともされる人物の名が挙げられます。
笑いの一幕であったので、それすら作り話かもしれませんが、免田事件で当てはまる人物としては秦野章ではないかともされているのです。あくまで噂であり、遡って考えると、の話にはなりますが、当時の国会での態度を考えても当てはまるかもしれません。ただし、可能性の話なので事実は全く異なるかもしれないことも言えます。
何故やっていないのに自白してしまうのか
免田事件でもですが、やっていないことなら自白することはないと考えるかもしれません。密室で数人の人間に何日も行動を制限され、同じことを繰り返し言われ自白を強要されるのです。その場から逃れたい、自分がおかしくなってしまう、または事実は異なるから後に何とかなるなどいくつもの要因が含まれています。
警察という特殊な空間で、拷問や甘い言葉から一転脅迫が繰り返されれば、人間の頭は正常な判断ができなくなってしまいます。免田事件にても、判断能力をおかしくすることで自白に繋がってしまうのです。特別な空間で繰り広がれることは、想像を絶することであることは否めません。
警察は自白させるための手段を選ばない
脅しには屈しない、頑として筋を通すなどが通用すればですが、相手は犯罪のエキスパートです。免田事件にても警察は一度狙いを定めた相手に対して、自白をさせることに長けています。時に甘い言葉をかけたり、脅したり、または多人数で狭い空間の中で手段を選びません。更には自白がバレてしまったら困るので、一度決めたらとことん自白へと進むのみです。
当然逃げ場はないので、警察の思う壺になってしまうでしょう。最近でこそクリーンなイメージがされていますが、実際は違うことが言えます。クリーンさは一部でのことであり、実際は大きく違うことがほとんどだからです。では主にどんなことが行われているのでしょうか。
自白させる手段①取調べ中に飲食を禁止する
今でこそ取調室での様子はドラマなどとはかけ離れています。提供される食事は休憩時間がメインで、飲食は限られているからです。カツ丼の提供こそドラマなどの一部で一時期ありましたが、実際にはありません。免田事件ではどうだったかというと、3日間ほとんどの食事は与えられません。
飲食のほとんどに制限がされていて、ほとんど飲まず食わずでした。その中で同じことを繰り返し言われ続けるのです。認めることで楽になるならそれで構わないと思わせるかのように、飲食を禁止することで力は失せていくでしょう。
自白させる手段②殴る蹴るの暴行を加える
密室に数人の人数で、と紹介しましたが狭い空間であることに間違いありません。ひしめき合うような空間の中で、殴る蹴るなどの暴行が繰り広げられるのです。空腹感で耐えられない中、違うことを話す度に再び行われる暴行が何度もあったのです。免田事件でも密室で殴ったり、殴立ったりなどの行為は連日続きました。更には正座をさせられ身体は硬直して行き、その上でパイプ椅子で殴るなど酷い暴行が続くのです。
自白をさせるために、全く容赦ない行動が繰り広げられます。その部屋でのみ行われることなので、証人は誰もいません。数人の人間が、そんなことはなかった、と平然と答えれば警察側が有利になることは確かでしょう。暴行の跡が見えないようにすることも、警察なら可能です。訓練を受けてきている人間にとって、逆手に取ることは容易なことと言えます。
自白させる手段③暴言を吐いたり脅迫する
食べていない状況で何が起こるかは、血糖も下がってくることから力だけでなく意識も朦朧とします。免田事件の中、ダメ人間であるかのような暴言や、苦しいなら吐けと脅迫されるのです。しかもそれが一度だけではなく、何十回以上にも渡って行われます。苦しめているのは警察であるにも関わらず、そんなことは頭の隅にもないことでしょう。
恰も自白しないから苦しいようにすり替えるのです。免田事件にて、そんな状態でも必死にアリバイを訴えていましたが、また更に過剰な行動が続きます。どんなに耐えられるという人間がいても、その状況では難しいことは確かです。
自白させる手段④睡眠をとらせず、判断力を低下させる
奪われていくのはそれだけに止まりません。人間が大切にしないといけない睡眠すら数日にもわたり失われていくのです。弱った身体と心の中、まともな状態を保っていることなどできません。判断力の低下によって通常の考えや発言はできなくなり、場合によっては幻覚や幻聴が聞こえてもおかしくないほどになることは明白です。
免田事件でもその中での自白が信憑性があるとは、到底言えないことではないでしょうか。人間として扱われていないのではないか、そう思うのも事実だからです。事実と異なるという判断より先に見えることは、この場から逃げたいと思うのが普通ではないでしょうか。
免田さんによる手記が出版される
数ある中で、後のインタビュー内容ではなく免田事件の当時が語られている獄中ノートがあります。数ある中から、2004年に出版された手記は、不当逮捕や再審の流れが記載されているのです。死刑廃止を訴えつつ、細々と暮らしつつ、書かれた内容は全て事実であり、悲しい現実も明かされています。
こちらの自伝はまさに当時を描いているものであり、そこには現実があるのです。免田事件にて自伝では苦しみが描かれています。訴えなければならないことは、全てが作り上げられていたことではないでしょうか。それと同時に、死刑制度のあり方を問うものでもあるのかもしれません。
その他の冤罪事件から未解決になっている事件に興味のある方はこちらもご覧ください。
死刑判決から一転無罪になった財田川事件
免田事件と時を同じくした頃に起こった、1950年の強盗殺人事件があります。四大死刑冤罪事件の一つでもある事件ですが、谷口繁義さんと他の1名によって行われたとされていました。もう1名は釈放されたのですが、当時19歳だった谷口さんは過度の拷問による自白の強要から死刑判決が下ります。
アリバイを主張するも認められず、証拠は捏造され、自白のみで行われた裁判は、その後自白のあり方や漢字が書けなかったのにも関わらず書類が作成されていたこと、証拠の捏造や捜査記録の不当な破棄、アリバイが認められたことで34年目にして無実が証明されたのです。その後人生の大半を奪われた谷口さんは病気で他界しています。
免田事件のような自白の強要はあってはならない
暴行や脅迫、食事や睡眠を与えないことによって得た、死刑判決が妥当なわけはありません。それを行なった警察は、判決の重さや同じことをされた苦しみを味わったことがあるのでしょうか。免田事件は冤罪ですが、警察は苦しみを軽んじているのではないかと言えるほど、強要によっての自白の恐ろしさが露呈されます。
苦しみから逃れるために、ということは簡単ですが、免田事件の当事者にとって感じた苦しみは想像を絶するものだったことは明らかです。更に警察による横行があってはならないことは、言うまでもないのではないでしょうか。免田事件のように、人生を台無しにされてしまったことが繰り返されてはいけません。34年の月日は帰っては来ないのです。無理やり強要された冤罪が再び起こらないことを切に願います。