免田事件は日本初の死刑判決が再審無罪となった冤罪事件
1948年12月も終わりを迎えた深夜に起こった謎多き出来事があります。当時76歳の夫と当時52歳の妻の夫婦が殺害され、長女14歳と次女12歳が重傷を負う事態へと発展したのです。その上現金が盗まれたことも含め、強盗殺人として扱われます。1949年1月に逮捕され、その後34年以上の時を経て、死刑判決が無罪になることが明らかになる免田事件です。
世間を騒がせ報道された大きなニュースになります。免田事件とは、当時23歳になる人物が再審無罪になる大事件でした。日本で初めてに死刑判決が無罪になる経緯の詳細について、詳しく説明します。
免田事件の発端となった事件概要
1948年12月年も終わりを迎えた深夜3時頃のこと、翌年を迎えるためにその時間は誰もが開放感に浸っている時でもあるのではないでしょうか。新年を迎えるにあたり予期していなかい時間帯に発生した免田事件。家族で過ごしたであろう時は深夜であり、逃げられない状況であることは高いです。
犯行はどのようで、犯人像は浮かんだのでしょうか。免田事件の発端は被害者が複雑化すると言えるかもしれません。犯行についてどの過程を踏んだのかを細かく辿ってみます。
祈祷師夫婦の自宅に何者かが侵入
深夜の時間帯に訪れる人間は、余程のことがない限りあり得ません。熊本県人吉市で寝静まる中、ある夫婦の元に訪れたのは、呼んでもいない人物です。
侵入の目的は明らかではありません。招かざる客が訪れたことは確かでしょう。何が起こるか予知することもできないまま、悲しい結果になりました。免田事件はありもしない事態へと発展するのです。
夫婦を殺害し娘2人に怪我を負わせる
招かざる客の目的は不明のまま、そこにじっとしていたわけでは当然ありません。犯人は寝ていた夫婦を殺害したのです。免田事件の犯行は殺害だけでは終息はしませんでした。眠っていたであろう娘2人にも、矛先が向けられたのです。
殺害こそ免れたのですが、娘2人は重傷を負います。年の暮れで翌年に夢を膨らませていた家族は、その先を閉ざされてしまいます。深夜の時間帯に立て続けに起こった事件でしたが、殺害と怪我を負うなど重罪です。
犯人は現金を持ち出し逃走
現場を荒らしたことも考えられます。そうでなければ、元から家の構造を知っていて家庭内に詳しいことに繋がるのではないでしょうか。殺害された一家に詳しいのかも定かではありません。怨恨であればそれを誤魔化すためか、それとも初めから目的が定まっていたのか、犯人は現金を持ち出し逃走するのです。
免田事件の第一発見者は夜間警戒に出ていた次男であり、当時18歳によって惨状が明らかになります。完全なる強盗殺人事件であることに、疑う余地はありません。動機や目的の不明でしたが、そこに浮上してきた人物がいました。戦後すぐであり、日本で初めてになる冤罪になる免田事件。目的は殺害なのか強盗か、疑問が膨らむことは確かではないでしょうか。
容疑者として免田栄が逮捕される
1月初めの早い段階で免田事件が動き出します。意外なところからの逮捕でしたがどこで繋がっているのでしょうか。警察は早い段階の1月13日には熊本県で人物を特定し、免田事件で16日には殺人の罪で再逮捕するという方法をとったのです。アリバイを証明できる人がいたにも関わらず逮捕されましたが、急展開を迎えた裏側には何が隠されていたのでしょうか。
別件逮捕の元になった事件も、果たして事実だったのか疑問が残る逮捕です。急展開をみせた背景には、今では考えるに及ばないような姿も見て取れます。任意同行を求められたわけでもないにも関わらず、逮捕されてしまうのです。
免田さんが逮捕・起訴されるまで
痕跡がどこに残されたか不明の状態で逮捕されますが、起訴されるまでの間に、一体何が起こっていたのでしょうか。免田事件のあった当時はまだお米の配給などが行われていた時代であり、そのことは後に大きく関係してきます。
なぜこのように早急に逮捕へと至ったのか、また起訴に至るまでに何が行われていたかによるでしょう。どのような経緯を辿って逮捕されたのか、数多くの謎が含まれているのです。