三河島事故は国鉄戦後五大事故のひとつ!事故の概要や心霊現象の真相も

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また責任があるとされたのは元凶となってしまった、次の旅客列車たちの脱線、激突の状況を作ってしまった貨物列車のスタッフだけではありませんでした。

他の列車に緊急の状況を伝えて信号を出す役割のスタッフも同じように罰せられました。

当然膨大な規模の被害、命を落としてしまった100名を優に超える犠牲者のことを考慮すると量刑もそれなり者となると予想できます。

三河島事件の責任者たちの判決は?

ですが不注意が招き意図的ではない不慮の事故であったためか、罪があると判断され、罰を与えられた国鉄のスタッフは皆損害賠償などは発生せず、懲役1年未満の禁固刑となりました。

今回刑罰の対象となったのは、紛れもなく国営企業である当時の『国鉄』のスタッフでしたが、その国鉄ができた当初のトップが奇しくも電車に轢かれた状態で遺体となって見つかっているのです。

更に奇妙なことにそれが他殺なのか自殺なのか?もっと言えば轢かれた前に絶命していたのか?轢かれたことにより亡くなったのか?定かではないのです。そんな気になる下山事件に関する記事はこちらです。

三河島事故後、慰霊碑が建てられる

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『三河島事故』は100名以上の罪なき乗客たちの命が失われて、文字通り大惨事、惨烈な悲劇となってしまいました。

その1年後の昭和38年には、もう二度と『三河島事故』の様な惨烈な悲劇が繰り返されぬよう、また一瞬の衝撃により人生と命を奪われた100を優に超える霊魂に向けて、慰めるようにと『慰霊碑』が建てられました。

それが建てられたのは東京都23区の荒川区荒川3丁目。そうそこは惨烈なカタストロフィが起きた舞台から目と鼻の先に位置する場所であります。

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令和元年となった今年も存在しているので、皆さんも一度お参りに訪れて見てはいかがでしょうか?『心霊』などについては実際どうなのか?ということについては後程、心霊のコラムにて掘り下げて解説します。

不慮の事故、大惨事と化した惨烈な悲劇によって命を落とされた犠牲者の皆様、心よりお悔やみ申し上げます。またご冥福をお祈り申し上げます。

三河島事故の原因

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では昭和の大惨事、大事件の一つの『三河島事故』という惨烈な悲劇が起きてしまったそもそもの理由、原因は一体何なのでしょうか?先ほども何度かヒトの不注意、ミスだということはお話ししています。

けれどもその不注意、ミスが具体的にどういったものであるかについてはまだ解説していません。こちらでその不注意、ミスがどういったものであったか深く掘り下げて分かり易く解説していきます。

これだけ膨大な規模の被害となったのは上記の理由だけではなく、他にも色々な原因や要素が重なってしまったからなのです。

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つまり逆に言えばその原因、要素を回避することができれば『三河島事故』という惨烈な悲劇が起きずに済んだかもしれないのです。

その原因、要素のほとんどはその時の状況が関わってきています。その点についてもこちらでしっかりと考察してお話ししていきます。

最後には科学的、理論では証明できないようなスピリチュアルな観点の『心霊』による影響についても考察していきますので、ぜひ目を通してみてください。

三河島事故の原因①機関士が信号機を見落とした

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前述したように『三河島事故』という惨烈なカタストロフィが起きてしまったのその日の朝方に、本州の最北端に位置する東北地方にて侮れないほどの『地震』が起きてしまいました。

その影響により舞台となった関東圏の鉄道の運行計画、運行状況が通常通りとはいかずトラブルが相次ぎ、全体的に『遅れ』が発生していました。

その遅れの影響により『三河島事故』の発端、元凶となったモノを運ぶ『貨物列車』もタイミングを合わせる必要が生じて、操縦士、ドライバーに一時的に停止するように指示しなくてならなかったのです。

そこで赤の信号機が線路上に設置されている信号機で停止を合図しましたが、それを判断することができず、つまりは不注意、ミスで止まらずに侵入してしまったことにより、急停止して『脱線』してしまいました。

というわけなのですが、なぜその時の操縦士、ドライバーは見誤ってしまったのでしょうか?飲酒していたわけでも体調を崩していたわけでもなかったのです。その原因はまさに『トリック』でした。

ファイ現象が原因?

信号機に表示された『停止』を意味する『画』を視覚が錯覚を起こしてしまったのです。その信号機には連続して画が表示されていました。

同様の状況下(止まっている画が連続する)で引き起こされる『ファイ現象』によって錯覚を起こしてしまい見誤ってしまったのです。

三河島事故の原因②事故後に線路を封鎖しなかった

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今回の記事でクローズアップしている『三河島事故』という惨烈なカタストロフィは、次々と激突、脱線したことによって大規模な被害となってしまった。ということはもうよく理解していただいているはずです。

ではなぜ次々と激突、脱線してしまったのでしょうか?現在の日本の鉄道であればそのような事態は招かれないはずでし、そんな事態を招くなど絶対にありえないはずです。

『三河島事故』のまさに舞台となったその現場はプラットホーム、駅から300メートルほど離れた場所した。その時既に日が沈み、街灯、照明も満足に設置されていませんでした。

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上記の様な要素が揃ったことにより『三河島事故』という惨烈なカタストロフィの始まり、元凶となった貨物列車が急停止して、旅客列車の線路側に少しズレて傾いた事。

そしてそこに原付バイクくらいのスピードで下りの旅客列車がぶつかってしまい、連鎖して脱線を起こした事。

その2つの小規模な惨事、トラブルに、他の列車を緊急停止させて路線を封鎖させるはずの司令塔である駅員が確認できなかったのです。つまり暗くて遠くて人間の裸眼で『事態』を捉えることはできなかったのです。

三河島事故の原因③ドアコックからの避難が裏目に

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『三河島事故』という惨烈なカタストロフィを引き起こしたきっかけ、元凶となった貨物列車には物資、食料などのモノと操縦士、ドライバー、スタッフなどの国鉄の人間が数名しか乗っていませんでした。

それに対してそこに原付バイクほどのスピードでぶつかってしまったヒトを運ぶ『旅客列車』には、当然会社から帰宅する社会人、遊びに出かける一般人など多くの乗客が乗っていました。

この時点で軽い怪我をした人数が20名ほどとはいえ、予期せぬ事態。激しい衝撃。不慮の事故が起こっていることには違いありません。

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またこの時は国鉄のスタッフによる非常時のアナウンスなどがなかったと考えられ、多くの乗客たちはそこから『安全』を求めて脱出しようと、非常用の扉から次々と降車していきました。

降車した後は約300メートル以上離れた駅、プラットホームを目指して歩きましたが、その行動が実はミステイクであり危険な行動だったのです。

何も知らない彼らは、間もなく迫ってくる凄まじいスピードとパワーをもった登りの車両に、次々と轢かれていき命を落としてしまい、まさに『阿鼻叫喚』な事態を招いてしまったのです。

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