逆に言えば、他の100以上の番号で呼ばれた方は最終的に無事に家族、親族、知人に引き取られて、その番号が消滅するわけです。
何故身元が分からなかったのでしょうか?決してその亡骸が見るも無残な姿、遺体損壊が進み過ぎていたわけでなかったのです。けれども今日までその身元不明の犠牲者の身元が分かっていません。
その気になる正体が分からない人物が発見された時の情報は、身長は160センチメートル前半、年齢は20代から30代と推定され、顔の輪郭が丸みを帯びていたようです。
更に服装は紺色の背びれ姿であり、なぜか『手には数珠が握られていた』ようなのです。彼もまた『三河島事故』による惨事に巻き込まれたことにより命を落とした人物である。
と普通に考えればそう捉えますが、実は偶然近くで亡くなっただけであって、本来は事件、事故、自殺により命を落としたという線も十分にあると考えられているそうなのです。尚、真相は不明であります。
三河島事故の犠牲者には著名人も含まれていた
『三河島事故』という昭和に起きてしまった惨烈な惨事、悲劇に巻き込まれた人物の中には、その当時世間を賑わしていた有名人、著名人が1名いたのです。
その人物は現在で言うところのお笑い芸人であり、巻き込まれた後は芸名を変えて活動していました。
その『三河島事故』の当事者であり、巻き込まれてしまったお笑い芸人というのは2人、つまりコンビで活動していて、実の血縁関係にある夫婦でありました。
2人両方が巻き込まれた、2人が被害に遭ったわけでなく、夫である人物が巻き込まれてしまい怪我を負う事になりました。
尚、当時どの車両に乗っていたのか、どのように巻き込まれてどの程度の怪我を負うことになったかは詳細不明であります。
後に一世を風靡した芸風となるセリフには、奇しくも『電車』『列車』をイメージするような『地下鉄』がテーマになっていて、その単語が含まれていました。果たしてこれは意図したものなのでしょうか?
三河島事故犠牲者のために観音像が設置された
今回の記事でクローズアップしている『三河島事故』は、当然ながら不慮の出来事であり、誰ひとりとして予期せぬ悲劇、事態となってしまったのです。
まさかその当時、列車を利用していた数百人の乗客たちが惨烈な目に遭うなど、知る由もなく、命を落とす事になるなど分かっていなかったのです。
そのような状況で突然、命を落とす事になったので、現実世界すなわち『この世』に未練が残っている霊魂も沢山存在すると考えられました。
そこでそういった多くの霊魂たち、亡き人たちに向けて慰めるように、また二度と起こらぬようにと『慰霊像』が建てられました。
その像はいわゆる『しょうかんのん』と呼ばれる仏教の信仰対象の神の一つであります。近くのお寺に建てられています。
『三河島事件』という国鉄が起こした惨烈な悲劇から10年後に起きた、国鉄と乗客たちによる大暴動、大騒動の『上尾事件』に関する記事はこちらです。興味のある方、気になる方は合わせてご覧ください。
Contents
三河島事故は新興宗教と関わっている?
先ほどの話もそうですが、『三河島事故』は惨烈でセンセーショナルを集める出来事だったからなのか、色々な『噂』が囁かれています。こちらでご紹介するのもまた噂の類のものであります。
実はその当時に流行の兆しを見せていた、明治維新の後に人々によって新しく作られた独創的な宗教、すなわち『新興宗教』が関与しているのではないかと、なにやら闇を感じさせる噂が出回っているのです。
果たして『三河島事故』という惨烈なカタストロフィに関与していると言われている、その日本新しく作られた宗教とはいったい何なのか?またどのように関わっているのか?次に詳しく新興宗教について解説します。
犠牲者のうち120名が新興宗教信者だった可能性
『三河島事故』という昭和の一大エピソード、惨烈な惨事を徹底的に独自で調べていたあるジャーナリストによると、とある『新興宗教』に行きついたそうなのです。
というものどうやら160人以上もの命を落とした人物、300人近くの怪我人、合わせて460人ほどの被害者たちの『1/3』にあたる120名ほどがその新興宗教の関係者、もっといえば『信者』だった可能性があるのです。
可能性が示唆されるということであり、あくまでも信憑性に欠ける噂に過ぎないのですが、実際にその新しく作られた独創的な宗教である『新興宗教』は存在していたらしいです。
新興宗教のしきたりが悲惨な事故を引き起こした?
ではその現代に新しく作られた独創的な宗教の100人を優に超える関係者『三河島事故』に巻き込まれて命を落としているのであれば、当然何かしら関与しているのではないか?影響しているのではないか?
と考えるのが当然であります。これも嘘か誠か今となっては分かりませんが、どうやらその新興宗教は独創的ゆえにありがちな、現代社会においては非常識、問題行動をしきたりとしていたようなのです。
現代社会においてはNG、タブーとされているそのしきたりの中には、入信するための条件として自分の家族の亡くなった人物の『仏壇』『位牌』を何故が焼き払うというものがあったのです。
ここで非科学的、非現実的ではありますが、ある一つの仮定が考えられます。
それはその仏壇、位牌を焼き払うという現代的にも心霊的にも『禁忌』を100人以上が犯してしまったことにより、『祟り』に触れてしまって『三河島事故』が引き起こされてしまったのではないかというものです。
実際にその当時のマスメディアの1つである新聞会社の1社は、作成した『三河島事故』の記事、コラムにその新興宗教を痛烈に批判しているのです。何か明確なソースがあったからなのでしょうか?真意は不明です。
新興宗教はその後自然消滅
ある新聞会社が新興宗教が関わっているという噂の様な記事、コラムを自社の新聞に掲載したためか、『三河島事故』の後、暫くその新興宗教は世間、国民から強烈に批判・避難されました。
それから約半年が過ぎるとその真意が分からない『噂』は出回らなくなり、惨烈な惨事を引き起こした祟り、そのきっかけを作った『新興宗教』にも焦点が当てられなくなりました。
世間、国民から強烈に非難、批判されたからなのか、『三河島事故』により多くの信者を失うことになったからなのか、理由は分かりませんがその『新興宗教』はその後『自然消滅』となりました。
三河島事故後大きく変わった鉄道システム
人間が生きていく中で、暮らしている中で『事故』『事件』『災害』など凄惨な不慮の事態はつきものですが、それを経験した後は必ずと言っていいほど、二度と無いようにと、『教訓』を得ることになります。
その教訓は今回クローズアップしている『三河島事故』でも得られることになり、現代の鉄道では当たり前となっているシステム、構造が対策、改善によって大きく進化していきました。
どんなモノが進化してより良いものとなったか、その機能と役割について簡単にご紹介していきます。
三河島事故後に自動列車停止装置設置
止まれの信号、停止信号が出されているのにもかかわらず、操縦士、ドライバーなどの人間による判断、操作ミスにより、その信号を無視して進んでしまった場合に機械的に緊急停止させる装置になります。
三河島事故後に信号炎管・列車防護無線装置設置
車の事故の様な場合に用いられる列車・電車版の『発煙筒』の様な物であります。
更に、万が一事故、事件に巻き込まれて緊急停止などをしてしまった場合に、後続などの列車・電車の操縦室に『ピピピっ』という音声で停止信号を送るというシステム、装置が全ての車両に導入されました。
これにより『三河島事故』の様な連続して引き起こされてしまった『二次事故』を防ぐ狙いがあります。
三河島事故後に鉄道労働科学研究所の設置
鉄道に関する技術・労働などの多くの要素を日々研究して、より良いシステム、構造などを生み出す施設であり、初代の会長はあのSONYの創業者であります。現在では『JR』が引き継いで運営しております。
三河島事件後は野球界にも影響があった
『三河島事故』により、現代の鉄道技術、鉄道システムが安全に機能する大きなきっかけとなったことを先ほど解説しましたが、なんと思わぬ業界にも大きな『影響』があったのです。
その業界とは日本の産業スポーツの1つである『野球』なのですが、一体どのような影響があったのでしょうか?
国鉄はプロ球団を所有していた
総責任があり凄惨な悲劇を招いてしまった『国鉄』は国営企業でありながら、その当時プロ野球球団を所有していたのです。
ですが『三河島事故』がという惨烈な被害となった大規模な惨事を引き起こしてしまったことによる、信頼的、財政的損失から、その球団を手放すことになってしまったのです。
下記にその球団を所有する企業名・団体名の推移を簡単に解説していきます。
国鉄スワローズから・・・
スワローズの発祥は『三河島事故』に大きく関与していて当事者である『国鉄』でありましたが、その後フジテレビ系・新聞でお馴染みの『産経』に譲られました。
そのあと更に『アトムズ』というチーム名に変貌しましたが、この時既に今の『ヤクルト』という企業に球団が譲られており、1年後には2019年現在でも存在する『ヤクルトスワローズ』となっています。
現在は三河島事故現場周辺で心霊現象が起きる?
多くの罪なき人たちが予期せぬ事態、不慮の事故となり命を落とす事になった惨烈な『三河島事件』
この世に未練が残っていた人物も数多くいて、死者となっても成仏できずに怨霊、幽霊となり、悲劇の舞台となった周辺を彷徨い続けているらしいです。
そのため2019年令和元年となった現在でも、どうやらその周辺では世にも奇妙な『心霊現象』が多発しているそうです。その真相についてスポットを当てていくつか体験談をご紹介していきます。
三河島事件の心霊現象①
『三河島事故』という国鉄が引き起こしてしまった惨烈なカタストロフィから9年後の昭和46年、ちょうどいまぐらいの夏の季節のことでした。
列車が悲劇の舞台近くを通るその瞬間に、操縦士がある悍ましい光景を目の当たりにしたのです。
それは生きているとは到底思えないほどの血を流した人物、手足がないない人物など、『三河島事故』で亡き者となった人たちを彷彿させるような幽霊たちだったそうです。港では有名な話で語られています。
三河島事件の心霊現象②
不慮の事故となり悲劇が起きてしまった路線である『常磐線』では、たびたび心霊写真、怪奇現象が発生しているらしく『三河島事故』の影響も少なからずあるらしいです。
毎年5/3の日には常磐線の電車に、もっと言えば終電に乗るのを避けている人も実際にいるくらいだといいます。
三河島事件の心霊現象③
『三河島事故』という名前にも入っている、悲劇の舞台から一番近くの最寄り駅である『三河島駅』の数駅先の『北千住』『綾瀬』などでは『黒いコート』姿の霊が目撃されています。
更に同じく常磐線の『牛久』や『土浦』などでは下半身が存在しない『白い人影』の霊が目撃されています。
三河島事件を体験できる資料館
今回ご紹介している『三河島事故』という惨烈な悲劇がどういったものであったか、誰でも疑似的に体験することができる資料館・施設が存在しているのです。
こちらではその施設をご紹介します。より理解を深めて、その恐ろしさを感じ、『鉄道事故』を学ぶJRの社員の研修施設として用いられています。
事故の歴史展示館
この展示会は2019年(令和元年)現在から17年前の平成14年に解説されています。事故と言っても全般ではなく『鉄道』に関わるものが対象となっています。
今回クローズアップしている『三河島事故』だけではなく、現代に起きた重大な鉄道事故なども数多く『資料』として展示されています。
東日本旅客鉄道総合研修センターという建物の中に設けられており、詳しい住所などについては下記に詳細をまとめていきます。(※一般公開は不定期などのでその都度チェックしておきましょう)
東日本旅客鉄道総合研修センター
- 住所:福島県白河市十三原道下1
- 食堂:2階
- 宿泊施設:3階~7階
三河島事故に関する書籍とドラマ
今回の記事でクローズアップしている『三河島事故』は国鉄という国営企業が引き起こしてしまった、惨烈な事故がゆえに非常に世間からセンセーショナルを集めました。
そのため『三河島事故』をテーマとした書籍、ドラマなどの作品がいくつか存在しているので、こちらではその作品を簡単にご紹介していきます。
『空白の五分間―三河島事故 ある運転士の受難』
この書籍を通して『三河島事故』という惨烈な出来事が、どのように引き起こされてしまったのか?がよく理解できます。
操縦士(人間)の当時の実際の対応、対処、判断がそもそも合っていたのか?間違っていたのか?をセンセーショナルに考えさせられる一冊であります。
そのため『三河島事故』の事だけではなく、現代社会においても『ビジネス』の側面から考えるべき『失敗』の本質についてもよく理解を深められるので、ある種ビジネス本とも称されています。
『特捜最前線』第163話「ああ三河島・幻の鯉のぼり!」
昭和の名刑事ドラマである『特捜最前線』は、あの仮面ライダーで有名な『藤岡弘』さんも出演しており、警察の捜査劇、人間群像劇などを熱く、多様な事件を題材にしており、約8年近くも放送されました。
その中の回の1つである『163話』にて『三河島事故』にスポットが当てられているのです。
都市伝説的、噂話のよう様であるが、実際に現実の事象である『身元不明の犠牲者』の真相を追い求めた回になっています。(※どうやら復刻されたDVDコレクションの中には収録されていないようです)
三河島事故を含む国鉄戦後五大事故
今回の記事でご紹介している『三河島事故』についてもう一度おさらいすると、昭和という元号の時代に起きた世紀の大惨事であり、惨烈なカタストロフィでありました。
そしてそれは国鉄という、今の『JR』の元の形となった国営の鉄道企業による、大きな凄惨な『5大事故』の1つだということも冒頭にて解説したはずです。
ということ後4つも国営の鉄道会社である『国鉄』が関わった、もっといえば鉄道、列車が舞台となった惨事・事故が起きていたということになります。
ではその他の4つの『5大事故』とはどういった出来事であったのでしょうか?またいつ発生して、どのくらいの規模であり、どれくらいの人が巻き込まれてしまったのでしょうか?
こちらでその他の4つの事故について分かり易くその概要についてまとめてご紹介していきます。
『鉄道』という私たち人間にとって便利な交通手段は、時にその膨大なスピード、パワーが惨事となって降りかかり『大事故』を引き起こす場合もあるという事を再認識しておきましょう。
国鉄戦後五大事故①桜木町事故
『三河島事故』の約10年前、昭和26年に同じ関東エリアに当たる『神奈川県』の横浜市で発生しました。時刻は昼下がりであり13時過ぎでありました。
どういった惨事であったかというと、ある列車が燃えてしまったことにより、その火災に巻き込まれた100名以上の人間が命を落としてしまうことになった凄惨な事態となってしまったのです。
では火災の原因は一体何だったのでしょうか?それは列車の通り道を工事していた人間が『不注意』で、金属製の工具を誤って落としてしまったのです。
その影響により電線のような物がブラブラと宙に浮いている状況となってしまい、そこを通ろうとした列車の機体の一部が絡み合ってしまったのです。
その機体の一部はあろうことか電気を蓄える集電装置、すなわち『パンタグラフ』だったのです。危険を察知して国鉄のスタッフはそれを落として離そうと試みました。
ですが時すでに遅しでその集電装置は破損して、その影響により電気がショートして激しい火花が散る事態となり火災が発生してしまったのです。
何故膨大な被害となったのか?
ではなぜその火災によって100名以上の罪なき乗客、人間の命が奪われてしまったのでしょうか?
害の規模を大きくしてしまった要因は1つだけではありません。今回クローズアップしている『三河島事故』と同じように色々な要因が重なったことにより、文字通り大惨事となってしまったのです。
その原因の一つはその時の列車の構造にありました。実はその時はまだ、現在では当たり前に備わっている、緊急事態、非常時のときに手動で開けれるような扉が設備されていなかったのです。
そのために逃げ遅れてしまう人たち、火の海と化した車両の中に閉じ込められてしまう人たちがたくさんいて、このような惨烈な被害となってしまったのです。
またその火の勢い、大きな炎が立ち込めてしまった要因には列車の『機体』が影響していました。
今でこそ機体のボディは全身金属が当たり前になっていますが、その当時はまだ『電車』ではなく、木造で出来ていて、ペンキなどの塗料も含め非常に『燃焼性』の高いボディとなっていたのです。
教訓は生かされた?
『桜木町事故』という火災による惨烈な惨事は、緊急事態に使用する手動で開けれる扉が無かった事。機体のボディが木造やペンキなど燃えやすい物を使用していた事。
などが大きな要因の1つとして考えられ、その教訓を生かすために非常用の扉が設けられたり、可燃しやすい素材を控えて機体を構成したりと、対策が行われて、現在の様な電車に進化を遂げました。
ご存じの通り非常用の扉は10年後に発生した『三河島事故』の際には、既に備え付けられていました。
しかしそれが逆に仇となり、その扉から脱出した乗客たちが線路の上を歩き、間もなくして迫る反対方向の旅客列車によって轢かれてしまい命が奪われることになってしまったわけです。
更に実は『桜木町事故』が発生する2年前には、ほとんど同じ状況によって引き起こされた火災事故が起きていました。ですがその教訓が一切生かされる事なく、二の舞となり大惨事を招いてしまいました。
国や政府によって対策、改善などの処置が下されなかったのは第二次世界大戦、終戦後から間もない頃で『それどころ』ではなかったからだと考えれます。
国鉄戦後五大事故②洞爺丸事故
今回クローズアップしている『三河島事故』の8年前の昭和29年9月に発生しました。その名前からある程度想像つきそうですが、列車ではなく客船による事故になります。
なんとその被害の大きさは命を落とす事になった人、行方不明となった人、合わせて1000人を優に超える凄惨すぎる事態となってしまったのです。膨大な被害であるため慰霊碑が各所に建てられています。
原因となったのは現代でも私たちの生命、暮らしを脅かしている『台風』による強風により、水没してしまったためでした。
国鉄戦後五大事故③紫雲丸事故
上記でご紹介した『洞爺丸』が悲劇の舞台となった惨烈な出来事から、一年後に発生しました。こちらも名前から察することができますが、『三河島事故』の様に列車ではなく客船であります。
この事故では、修学旅行などに来ていた子供たちを含む100名以上の命を落とす大きな惨劇となりましたが、それまでにも元凶となってしまった客船『紫雲丸』は事故、惨事が相次いでいたのです。
そういった『失敗』『過ち』を繰り返していながらも、適切に教訓が生かされる事なく最期には文字通り『大惨事』を招いてしまったのです。
国鉄戦後五大事故④鶴見事故
今回クローズアップしている『三河島事故』という惨烈なカタストロフィが起きた、一年後の昭和38年の11月に発生しました。
この事故で被害に遭い命を落とすことになったのは160名にも上り、怪我を負った人も100名近くとなり惨烈な事態となりました。
この事故がここまで大きな規模となったのも『三河島事故』同様に色々な要素、原因が重なってしまったからなのです。偶然、旅客・貨物の両方列車が同時に『脱線』したことにより、大惨事となってしまいました。
三河島事故の惨劇は繰り返されてはいけない
今回の記事では『昭和』という元号に起きた『三河島事故』という惨烈な被害となった惨事についてクローズアップしていきました。詳細や概要を解説して、気になる『心霊』の噂についても触れてお話ししました。
その被害の大きさは、巻き込まれてしまった人数が450人以上にも上り、怪我人が300人近く、そして命を落とす事になった人が160人以上にも上り、日本の大惨事として現在でも知られているのです。
その原因となった事象はいくつかあり、操縦士のミスが発端となりましたが、そのミスは怠慢さが招いたものではなく、当時の信号機は連続して表示されるものだったので、視覚の錯覚を起こしてしまったためでした。
そして初めにその視覚錯覚による運転ミスにより第1の車両である『貨物列車』が脱線し傾きズレてしまい、そこに下りの『旅客列車』がそこそこの速度で激突して、その衝撃でまたも『脱線』してしまいました。
この時点では死人も出ておらず被害規模は大きくありませんでしたが、最期の上り方面の『旅客列車』の衝突により多大な犠牲者、被害を生んでしまい阿鼻叫喚な事態に陥ってしまったのです。
現代では事故を起こさないように、被害を最小限に抑えるために『教訓』を生かし設備やシステムの改善、対策が行われています。今後は『三河島事件』の様な惨烈な悲劇が起こらないことを心より祈っております。