三河島事故は国鉄戦後五大事故のひとつ!事故の概要や心霊現象の真相も

操縦士(人間)の当時の実際の対応、対処、判断がそもそも合っていたのか?間違っていたのか?をセンセーショナルに考えさせられる一冊であります。

そのため『三河島事故』の事だけではなく、現代社会においても『ビジネス』の側面から考えるべき『失敗』の本質についてもよく理解を深められるので、ある種ビジネス本とも称されています。

『特捜最前線』第163話「ああ三河島・幻の鯉のぼり!」

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昭和の名刑事ドラマである『特捜最前線』は、あの仮面ライダーで有名な『藤岡弘』さんも出演しており、警察の捜査劇、人間群像劇などを熱く、多様な事件を題材にしており、約8年近くも放送されました。

その中の回の1つである『163話』にて『三河島事故』にスポットが当てられているのです。

都市伝説的、噂話のよう様であるが、実際に現実の事象である『身元不明の犠牲者』の真相を追い求めた回になっています。(※どうやら復刻されたDVDコレクションの中には収録されていないようです)

三河島事故を含む国鉄戦後五大事故

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今回の記事でご紹介している『三河島事故』についてもう一度おさらいすると、昭和という元号の時代に起きた世紀の大惨事であり、惨烈なカタストロフィでありました。

そしてそれは国鉄という、今の『JR』の元の形となった国営の鉄道企業による、大きな凄惨な『5大事故』の1つだということも冒頭にて解説したはずです。

ということ後4つも国営の鉄道会社である『国鉄』が関わった、もっといえば鉄道、列車が舞台となった惨事・事故が起きていたということになります。

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ではその他の4つの『5大事故』とはどういった出来事であったのでしょうか?またいつ発生して、どのくらいの規模であり、どれくらいの人が巻き込まれてしまったのでしょうか?

こちらでその他の4つの事故について分かり易くその概要についてまとめてご紹介していきます。

『鉄道』という私たち人間にとって便利な交通手段は、時にその膨大なスピード、パワーが惨事となって降りかかり『大事故』を引き起こす場合もあるという事を再認識しておきましょう。

国鉄戦後五大事故①桜木町事故

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『三河島事故』の約10年前、昭和26年に同じ関東エリアに当たる『神奈川県』の横浜市で発生しました。時刻は昼下がりであり13時過ぎでありました。

どういった惨事であったかというと、ある列車が燃えてしまったことにより、その火災に巻き込まれた100名以上の人間が命を落としてしまうことになった凄惨な事態となってしまったのです。

では火災の原因は一体何だったのでしょうか?それは列車の通り道を工事していた人間が『不注意』で、金属製の工具を誤って落としてしまったのです。

その影響により電線のような物がブラブラと宙に浮いている状況となってしまい、そこを通ろうとした列車の機体の一部が絡み合ってしまったのです。

その機体の一部はあろうことか電気を蓄える集電装置、すなわち『パンタグラフ』だったのです。危険を察知して国鉄のスタッフはそれを落として離そうと試みました。

ですが時すでに遅しでその集電装置は破損して、その影響により電気がショートして激しい火花が散る事態となり火災が発生してしまったのです。

何故膨大な被害となったのか?

ではなぜその火災によって100名以上の罪なき乗客、人間の命が奪われてしまったのでしょうか?

害の規模を大きくしてしまった要因は1つだけではありません。今回クローズアップしている『三河島事故』と同じように色々な要因が重なったことにより、文字通り大惨事となってしまったのです。

その原因の一つはその時の列車の構造にありました。実はその時はまだ、現在では当たり前に備わっている、緊急事態、非常時のときに手動で開けれるような扉が設備されていなかったのです。

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そのために逃げ遅れてしまう人たち、火の海と化した車両の中に閉じ込められてしまう人たちがたくさんいて、このような惨烈な被害となってしまったのです。

またその火の勢い、大きな炎が立ち込めてしまった要因には列車の『機体』が影響していました。

今でこそ機体のボディは全身金属が当たり前になっていますが、その当時はまだ『電車』ではなく、木造で出来ていて、ペンキなどの塗料も含め非常に『燃焼性』の高いボディとなっていたのです。

教訓は生かされた?

『桜木町事故』という火災による惨烈な惨事は、緊急事態に使用する手動で開けれる扉が無かった事。機体のボディが木造やペンキなど燃えやすい物を使用していた事。

などが大きな要因の1つとして考えられ、その教訓を生かすために非常用の扉が設けられたり、可燃しやすい素材を控えて機体を構成したりと、対策が行われて、現在の様な電車に進化を遂げました。

ご存じの通り非常用の扉は10年後に発生した『三河島事故』の際には、既に備え付けられていました。

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しかしそれが逆に仇となり、その扉から脱出した乗客たちが線路の上を歩き、間もなくして迫る反対方向の旅客列車によって轢かれてしまい命が奪われることになってしまったわけです。

更に実は『桜木町事故』が発生する2年前には、ほとんど同じ状況によって引き起こされた火災事故が起きていました。ですがその教訓が一切生かされる事なく、二の舞となり大惨事を招いてしまいました。

国や政府によって対策、改善などの処置が下されなかったのは第二次世界大戦、終戦後から間もない頃で『それどころ』ではなかったからだと考えれます。

国鉄戦後五大事故②洞爺丸事故

今回クローズアップしている『三河島事故』の8年前の昭和29年9月に発生しました。その名前からある程度想像つきそうですが、列車ではなく客船による事故になります。

なんとその被害の大きさは命を落とす事になった人、行方不明となった人、合わせて1000人を優に超える凄惨すぎる事態となってしまったのです。膨大な被害であるため慰霊碑が各所に建てられています。

原因となったのは現代でも私たちの生命、暮らしを脅かしている『台風』による強風により、水没してしまったためでした。

国鉄戦後五大事故③紫雲丸事故

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上記でご紹介した『洞爺丸』が悲劇の舞台となった惨烈な出来事から、一年後に発生しました。こちらも名前から察することができますが、『三河島事故』の様に列車ではなく客船であります。

この事故では、修学旅行などに来ていた子供たちを含む100名以上の命を落とす大きな惨劇となりましたが、それまでにも元凶となってしまった客船『紫雲丸』は事故、惨事が相次いでいたのです。

そういった『失敗』『過ち』を繰り返していながらも、適切に教訓が生かされる事なく最期には文字通り『大惨事』を招いてしまったのです。

国鉄戦後五大事故④鶴見事故

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今回クローズアップしている『三河島事故』という惨烈なカタストロフィが起きた、一年後の昭和38年の11月に発生しました。

この事故で被害に遭い命を落とすことになったのは160名にも上り、怪我を負った人も100名近くとなり惨烈な事態となりました。

この事故がここまで大きな規模となったのも『三河島事故』同様に色々な要素、原因が重なってしまったからなのです。偶然、旅客・貨物の両方列車が同時に『脱線』したことにより、大惨事となってしまいました。

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