鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は 下記にある他にも制服等を盗んでいます。9件の窃盗を学校・商店・民家・クリーニング店などから盗んでいます。
樋田康則が犯した事件①強姦目的で女子中学生を連れ去り暴行
千葉県流山市内で平成2年(1991年)7月10日、当時14歳の女子中学生が家路に帰っているのを見つけ背後から、数分間車で近づき接触して転倒させます。
それから車のトランクに少女を押し込んで茨城県結城郡まで行き。性的暴行をしますが、少女が隙を見て逃げてますので強姦は未遂に終わります。
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は落としていった女子学生手帳を着服しています。
樋田康則が犯した事件②女子高生をプラスチックハンマーで暴行
平成5年(1993年)5月25日、新潟県西蒲原郡内で鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は自転車に乗る女子高校生を見つけます。家路に就く当時16歳の女子高校生にわざと道を尋ねす。
メモ用紙に道順を書いて貰っている隙をみて。プラスチックハンマーを凶器にして少女の頭を数回殴ります。
しかし少女が隙を見て逃げ出しており性犯罪はできず、少女が落としてしまった学生手帳を盗んでいます。
樋田康則が犯した事件③女子中学生の乗る自転車に追突させる
平成5年(1993年)6月21日、新潟市内で自転車に乗って家路に就いていた当時15歳の女子中学生を、後方から車で近づき自転車に追突。
転倒させますが、少女が危険を察し逃走しており、凌辱ができず少女が乱暴される際に落としていった学生手帳を鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は窃盗しています。
樋田康則が犯した事件④強姦目的で住居へ侵入し女子高生が重傷
平成5年(1993年)7月28日夜も更ける時間、新潟県西蒲原郡内において住居に無断侵入しています。
就寝中だった当時16歳の女子高校生を見つけて、強姦目的にケガキ針工具で右目内眼角付近を突きさして、脳内まで到達する負傷をさせたのち、鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は強姦しようとします。
しかし家族が物音に気付いた様子なので逃走しています。少女は下半身麻痺・言語障害・右目失明等の後遺症が残ります。またこの犯行の2ヶ月前と1ヶ月前にも被害者宅に侵入しており、学生服等を窃盗していました。
樋田康則が犯した事件⑤女子中学生を車に連れ込み裸の状態で放置
平成5年(1993年)12月1日、福島県麻邪郡内で家路に就く女子中学生当時13歳を見かけたので、気付かれないように、鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は車で背後から近づき接触転倒させます。
少女を無理やり後部座席に押し込み、新潟県東蒲原郡の山林まで行き、車内で乱暴しようとするが失敗し、着ていたセーラー服を被害者から奪って裸にして山林に放置して逃げました。
鈴鹿ベルシティ事件の犯人・樋田康則の異常性とは?制服への興味
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は 昭和59年(1984年)に高校を卒業したのち、就職した会社の同僚女性と初めてセックスをします。
その後も複数人の女性と体の関係を持ちますが、この頃から女子中高生の制服への執着心が強く民家などに侵入しては制服を盗んでいます。
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は自らも着たり、また交際相手にも着用させては、セックスをしていたようです。この頃から制服への執着心が強く、異常性極まりないものといえましょう。
樋田康則は女子中高生の制服に異常な興味を示していた
以前から制服に異常な興味を持ち鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は、民家・クリーニング店・学校・商店などに不法侵入して、制服を窃盗していました。
盗んだ制服を樋田康則自らが着用したり妻に着せていた
樋田自身は盗んできた制服を自らも着用したりしていてその行為から制服への異常な執着心がうかがえます。
また、自分の妻にも制服の着用を強要させ、そしてセックス行為に及んでいます。制服のみならず、しだいに女子中学生や女子高校生を襲う凶悪な凶暴者となりあの「鈴鹿市ベルシティ事件」を犯すのです。
樋田康則は他にも数多くの制服や女性用の下着を秘蔵していた
証言台に立つ妻によると夫は、「深夜に外出して早朝に戻ってきてセーラー服の入っている手提げ袋をさげて、帰って来ることを目撃しました」とあり、かなり多くの制服を盗んでは秘蔵していたようです。
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は2階の1室を自分の部屋とし、女性の下着やセーラー服などを秘蔵して、妻にもセックスの際しか立ち入ることを禁じていました。
妻が運転する車の中で制服姿の少女にわいせつ行為もしたことも
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田は妻と共に車で物色、少女を見つけたらわざと追突させ、車に強引に連れ込みます。そして妻が運転する中を後部座席で少女の制服を強引に脱がせ、強姦に及んでいたようです。
妻が持つ夫への心情
妻は以前に別の男性に強姦されており、この事実を樋田に告白したところ、態度を変えず、以前より増して優しく接してくれたので、このことから夫の望む事なら、何でもして上げたいという気持ちになったといいます。
夫の部屋に入って、女子中学生のみだらな写真を発見しても咎めることもなく、夫とセックスをする際、盗んできた下着や制服など夫に言われるまま拒む事なく着用してはセックスに応じていました。
鈴鹿市ベルシティ事件犯人・樋田康則への判決と現在
鈴鹿市ベルシティ事件での裁判で検察側は死刑を求刑するものの、津地裁において初めての判決は無期懲役との判決が下されました。
検察側は一審を不服として、証人を立てて控訴しますが、平成9年(1997年)名古屋高裁は一審を支持。判決は樋田康則犯罪者に対して一審と同じく無期懲役の判決が下されます。
検察側は不服申し立てをするものの上告を断念。平成9年(1997年)6月、刑は確定します。