『週刊文春』に実名報道について損害賠償請求をする
芳我匡由は、第一審の公判中である1997年、『文春』の記事にて「真淵忠良」という仮名で報道をされたことに対し、自ら文藝春秋に対して民事訴訟を起こしました。
仮名とはいえ、実名(旧姓河渕)と同じ読みをする文字が二つ含まれており、関係者が見たら容易にわかるとしてプライバシー侵害および記事内容に対する名誉棄損を訴えています。
芳我匡由の訴えは棄却
名古屋地裁は少年法61条に照らし合わせ、実名ではないとしても少年の更生を考えない報道は違反として文藝春秋側に30万円の支払いを命じています。
文藝春秋側は控訴するも棄却、裁判は最高裁にまでもつれ込みます。そこでの判断は、面識のない不特定の多数の読者が本人だと推測はできないとされ、少年法には違反しないというものでした。
名古屋高裁に差し戻された審理では、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は極めて凶悪であり、記事の公表は社会的意義があるとして文藝春秋側の逆転勝訴となりました。
芳我は上告しますが、2004年には最高裁にて棄却され判決が確定しています。
この時代、2000年までには神戸連続児童殺傷事件や光市母子殺人事件など少年による凶悪事件が多発し、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は社会的に関心が高かったという背景がありました。
大倉淳は『フライデー』に写真を掲載される
2011年、死刑判決が出る前にジャーナリストの青木理が大倉淳と面会した時の写真が『フライデー』に掲載されました。
そこには青木理の記事とともに、顔写真が3枚掲載されています。面会場所は撮影禁止となっていますが、大倉の涙にくれる顔がはっきり分かるような写真でした。
編集部は報道の意義を唱え、撮影方法についてはノーコメントでした。法律では拘置所内での撮影は禁止されていませんが、名古屋拘置所のルールでは撮影や録音は禁止されていました。
弁護士に「不服はない」と伝える
大倉淳は、記事の内容を知るも担当弁護士には記事内容に不服はないと伝えています。事前に撮影されることや、週刊誌に掲載されるということは大倉は知らなかったといいます。
青木理による取材によって撮影・掲載がされましたが、その模様は青木の著書にも記載されています。
この本は「死刑」について丹念に追ったものですが、特に大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件については詳細に記述されています。この本を読んで贖罪とは何か、死刑は是か非か…何を思うかはその人次第です。
実名による報道の是非が問われた数々の事件
犯罪においての報道機関による実名での報道は、記事の正確性・信憑性には不可欠なものであり、また公権力の監視という意味でも最も重視されています。
一方で、実名の報道による報道被害が及ぶ場合もあり、特に犯罪被害者や少年犯罪者に関しては議論が起こっています。
少年法と実名での報道
少年犯罪は、少年法およびメディアの自主規制により、原則匿名報道となります。しかし社会的な関心、事件の重大性を鑑みて実名報道に踏み切った事件もあります。
1989年、女子高生コンクリート詰め殺人事件において『文春』が実名での報道をして、大きな議論を巻き起こしました。
続き1992年の市川一家4人殺人事件、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、1997年の神戸連続児童殺傷事件、1999年の光市母子殺害事件などにおいても実名報道がなされています。
匿名による報道被害もある
実名を報道しない、匿名での報道による被害も発生しています。
少年法では逮捕・勾留段階での実名での報道は禁止されていませんが、警察も氏名発表はせず、マスコミも自主規制で報道しない場合が多いのです。
とくにインターネットが発達した現在は、こうした匿名報道により犯人捜しがネットで行われ、無関係な人物を犯人として祭り上げることがあります。
犯人ではないのにネット上に勝手に個人情報が掲載され、脅迫や中傷を受けるといった被害が出たケースがあります。こうしたネット上の中傷に対して訴訟が起きることもありました。
代表的なものがスマイリーキクチ中傷事件です。
女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人と誤解されたお笑い芸人のスマイリーキクチは、本人の関わるサイトなどに中傷・脅迫の言葉が書き込まれ、芸能活動に支障がでるようになりました。
これは主犯の実名は晒されたものの広くは知られず、ほとんどは匿名の報道であったために犯人の人物像が不確かであったことにも由来します。この事例では21人の男女が検挙されました。
実名報道にせよ匿名報道にせよ、報道機関の報道のあり方が今もなお問われ続けています。