フェスティバルゲートの現在の姿は?廃業の経緯や心霊の噂など紹介

フェスティバルゲートは元々車庫として使われていた

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元々このフェスティバルゲートがあったこの土地は、大阪市交通局の所有地であり、「市電天王寺車庫」又の名を「露町車庫」という名前の車庫がありました。

区画を2つに分けて片方がフェスティバルゲートに

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89年の開発プロジェクトの計画により車庫のあった跡地をABで分断させました。その片方の土地がのちのフェスティバルゲートになります。

フェスティバルゲートは3つの銀行による共同事業だった

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このプロジェクトは「東洋信託銀行」と「中央信託銀行」、そして「三井信託銀行」の三社による共同事業からなる一大プロジェクトでした。

もう1つは今も営業中のスパワールドとなった

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ABに分断された土地はそれぞれAがフェスティバルゲートでBに現在も営業中のスパワールドが建設され、同時期に営業開始しました。

2007年にフェスティバルゲートとしての営業が終了

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97年にオープン以来、多くの来客に恵まれ人気を爆発させ、開業初年度の来客数は830万人を超えました。ですが次第に人気は衰退し07年に営業終了しました。

フェスティバルゲートは何故閉鎖してしまったのか?

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ではあれだけ人気があったにも関わらず、どうしてスパワールドは残り、フェスティバルゲートは廃業して廃墟化してしまったのでしょうか?

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