松川事件の冤罪を訴えた人達の存在
『松川事件』において色々な事象をでっち上げられ、『黒幕』に仕立て上げられた複数人の無実の罪である人たちが、司法による初めのデタラメな裁判に掛けられたのは、昭和24年であります。
そこからようやく真実の結果となり『冤罪』が認められ無罪となったのが昭和38年のことだったのです。つまり約14年間の期間、後ろ暗い国家機関と戦うことになったわけなのです。
その長い年月を共に戦ったのが大衆、民衆、そして署名運動などを行った団体。そういった人たちが抗議し続けた『松川運動』も『諏訪メモ』に負けないくらい、無実の罪を証明する『きっかけ』となりました。
2019年現在も冤罪事件撲滅活動をしている
『松川事件』は元号が2回変わった2019年(令和元年)現在からちょうど70年前の出来事になりますが、今でも『冤罪』をセンセーショナルにさせた出来事として語られています。
無実の罪を証明するためには、多くの民衆、大衆、一般の人たちの運動、署名、主張が大切であることを世に知らしめた『松川運動』捏造・隠ぺい・でっち上げなど国の2つの機関の悍ましい実態など。
今後、私たちが生活する日本で正しく公平なジャッジをするための教訓として『松川事件』や『松川運動』を伝えていく活動が行われているのです。
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松川事件のその後は?
当事者たちだけではなく、『松川事件』を耳にして正しい真実を信じて同じように戦う民衆、大衆、市民による『松川運動』の影響力や大切さを理解していただけたはずです。
無実の罪であった黒幕に仕立て上げられた複数名の人たちは、長い年月をデタラメな検事・警察と戦いぬいてようやく晴れて『無罪』となりました。
しかし先ほどもお話ししたとおり、それはまだ『松川事件』が解決の兆しを見せたわけではなく、振出しに戻ったに過ぎないのです。では長期間の裁判を終えた後、『松川事件』はどのような展開を見せたのでしょう?
松川事件は1964年に時効へ
でっち上げの事象・証拠の数々で『松川事件』の黒幕、犯人に仕立て上げられた複数名の人たちが、完全に『無罪』となった後、メンツ丸潰れの2つの国家機関である警察・検察は、当然ながら信頼を失いました。
それだけにとどまらず、無罪となり『松川事件』の本当の黒幕が浮上したのにも関わらず、これといって表立った捜査は行われず、展開も見せなかったのです。
そうしている間に1年が過ぎてしまい、『松川事件』の本当の黒幕は検挙されることも、見当もつかずに『時効』を迎えてしまい、今日まで永遠に迷宮入りしてしまっているのです。
無罪確定後に元被告ら国家へ賠償請求
『松川事件』という狐に包まれたような出来事が起きてから、国家機関の1つである警察にハメられて、ありもしない事実無根の証拠を突き付けれて、でっち上げられ犯人に仕立て上げられた複数名の人たち。
彼らは、そこから10年以上の年月を豚箱と呼ばれるような留置施設などに、強制的に入らさせられ自由なく囚われの身になっていたのです。どれほど長い間苦しみ辛い思いをしたことでしょう・・・。
無実の罪が証明されると、国家であり母国である『日本』に対して賠償金を請求する『訴訟』を起こしました。そしてその裁判に勝訴しました。賠償金額等については公表されていません。
松川事件後に3つの慰霊碑が建立
先ほどもお話しした通り『松川事件』は残念ながら、本当の黒幕、つまり『真犯人』が検挙されることなく迷宮入りしてしまっています。しかしながら『教訓』として学ぶべきことも多い出来事でもあります。
無実の罪である。とひたすら強く主張して証明するきっかけを生んだ『松川運動』『諏訪メモ』などの大切さを後世まで継承していこうとするため。
また『松川運動』で命を奪われてしまった3名の鉄道会社の職員たちを慰めて、2度と起こらぬように戒めるため。そのような意味を込め、舞台となった鉄道の近くには3つ(正しくは4つ)の慰霊碑が建てられました。
松川事件は時効が成立
前述でも解説しましたが、2019年(令和元年)現在からちょうそ70年前に『松川事件』が起きて、その15年後の昭和39年の夏に『時効』が成立してしまっているのです。
これにより、もうどうやっても『松川事件』の本当の黒幕を、罰せたり公訴することができなくなってしまい、謎めいて狐に包まれたように迷宮入りしてしまいました。
仕向けられて人為的に引き起こされた『松川事件』という不慮の悲劇で亡くなってしまった3人の日本国有鉄道の職員に向けて、深くお悔やみ申し上げます。
犯人に仕立て上げられた複数名の同僚たちが無実の罪と認められたのがせめてもの救いでしょうか。本当の真相が明るみになる事を心より祈っております。
松川事件の被告の1人佐藤一さんは2009年死去
『松川事件』という狐に包まれたような出来事、何か国家が裏で糸を引いているような事件に巻き込まれて、国家機関によりデタラメな事象をでっち上げられて、黒幕に仕立て上げられた複数名の人たち。
その1人である当事者の『佐藤一さん』もまた、無実の罪で檻の中に囚われ続け『自由』を奪われ、無罪を証明するために幾年も戦いぬいた人物であります。
そんな佐藤さんは、2019年(令和元年)現在から10年前の6月に、亡くなられています。その時87歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます。