どのような基準でそれぞれの罪の重さが決まったかは、定かではないですが、人によっては極刑に当たる命を絶って償う『死刑』最期のその時まで光が届かない豚箱と呼ばれる刑務所の中で過ごす『終身刑』
『無期懲役』などが確定する。という深刻な刑罰となってしまったのです。『松川事件』はでっち上げ、無実の罪で囚われ罪に問われる『冤罪』の凶悪さを世に知らしめることになったのです。
松川事件の裁判②第二審で3人が無罪になる
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でっち上げで『松川事件』という狐に包まれたような出来事の黒幕に仕立て上げられた複数名の人物たち。初めて執り行われた法律に則った審判の結果に当然納得のいく者など誰一人としていませんでした。
もう一度公平なジャッジを。私たちは何もやっていない。そう強く訴えてもう一度審判してもらうように申し出をしました。
司法を準ずる裁判はどのような見解、どのような判断基準で結果を出したか分かりませんが、無実の罪、『冤罪』が認められたのは、この時点でもまだ僅か3人しかいなかったのです。
松川事件の裁判③第三審で最高裁差し戻し
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絶対にあってはならない状況が急展開を見せて一変したのが、3度目に開かれた日本の法律による審判でした。ここでは国家の行政機関の1つである検事が伏せていた『諏訪メモ』の存在が露わになりました。
また黒幕と裏付ける『松川事件』の一連の悪事、所業に用いられた工具では、実際は規格・サイズが異なるためネジを外せない事実も明きらかとなり、国家機関の1つが仕向けた悪質な捏造工作が発覚したのです。
それによりこれまでの審判の結果が取り消しされ、全ては『白紙』に戻りました。重要なキーアイテムである『諏訪メモ』については下記にまとめておきます。
差し戻しの決定打となった「諏訪メモ」
『松川事件』という狐に包まれたような出来事において、絶対的なキーアイテム、全てをよい意味でひっくり返してくれた『諏訪メモ』には、何が書き記されていたのでしょうか?その疑問について考察します。
でっち上げで『黒幕』に仕立て上げられていた複数名の人物たちは、経済政策の一環で大々的な『解雇』『クビ』に反発していたことが『動機』として扱われていてました。
また『松川事件』の黒幕として仕立て上げられた複数名の人物たちで、悪事の計画を練るための会議を行っていたと『捏造』されていました。
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しかしその『諏訪メモ』を参照すると、その会議を行っていたとされる日時には、労働に関する交渉を企業に訴えに行っていたことが分かったのです。
更にはそもそもの動機となる『解雇』『クビ』に関しても、不満に感じていたものの前向きに企業に交渉、つまり相談している事実が発覚したのです。
そうして彼らが『無実』で『冤罪』であったこと。国家機関の『警察』『検事』が何らかの理由で後ろ暗い隠蔽・捏造を働いたこと。『諏訪メモ』によりその2つが明るみになったのです。
松川事件の裁判④第四審で全員無罪判決
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『諏訪メモ』を始めとする上記の内容からもこれまでの日本の法律に則った『審判』の結果は、全てでっち上げで『でたらめ』なものであったことは明白です。
司法の役割を担う裁判サイドも4回目の審判では、『松川事件』の黒幕に仕立て上げられた無実の罪の複数名の人たち全員が『冤罪』の可能性が高いことを考慮して、『無罪』となりました。
松川事件の裁判⑤第五審で無罪確定へ
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あろうことか更に検事サイドは、4度目の日本の法律による『審判』の結果、つまり『冤罪』が認められて無罪になったことに反発して、メンツを保つためにもう一度審判するように申し立てたのです。
しかしもう既に隠蔽・捏造・でっち上げなど多くのマズイ対応、後ろ暗い所業をしていることが明るみになっていたので、その申し立ては司法の役割を担う裁判サイドは受け入れず破棄しました。
こうして完全に『松川事件』の『黒幕』として仕立て上げられてしまった複数名の人たちが、無実の罪であると認められたのです。
『松川事件』はまだ迷宮入りしている
こうしてみると『松川事件』という昭和初期に起きた謎めいた出来事は、無事に解決してハッピーエンドを迎えたように錯覚してしまいますが、実は振出しに戻ったにすぎないのです。
『冤罪』であったこと。それは裏を返せば凶悪な所業を働いた本当の『黒幕』がいて、そいつはまだ検挙されておらず、世に解き放たれている状況にあるということなのです。
『松川事件』の裁判を終えて、その後のことについては後程詳しく解説していきます。
松川事件で無実を支えた署名運動「松川運動」
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『松川事件』の『黒幕』としてでっち上げられた複数名のでたらめな法律に則って行う審判、裁判が正しい道筋をたどり『冤罪』『無実』であると証明されたのは何故だったでしょうか?
おさらいすると重要なキーアイテムの『諏訪メモ』によって、でっち上げられた動機・アリバイを否定できたことが大きかったです。
しかし無事に極刑から一転して皆が無実となったのは『他の力』による影響や支えがあったからこそなのです。こちらでは『松川事件』の後ろ暗いベールを剥がした人達をクローズアップしていきます。
松川事件の冤罪を訴えた人達の存在
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『松川事件』において色々な事象をでっち上げられ、『黒幕』に仕立て上げられた複数人の無実の罪である人たちが、司法による初めのデタラメな裁判に掛けられたのは、昭和24年であります。
そこからようやく真実の結果となり『冤罪』が認められ無罪となったのが昭和38年のことだったのです。つまり約14年間の期間、後ろ暗い国家機関と戦うことになったわけなのです。
その長い年月を共に戦ったのが大衆、民衆、そして署名運動などを行った団体。そういった人たちが抗議し続けた『松川運動』も『諏訪メモ』に負けないくらい、無実の罪を証明する『きっかけ』となりました。
2019年現在も冤罪事件撲滅活動をしている
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『松川事件』は元号が2回変わった2019年(令和元年)現在からちょうど70年前の出来事になりますが、今でも『冤罪』をセンセーショナルにさせた出来事として語られています。
無実の罪を証明するためには、多くの民衆、大衆、一般の人たちの運動、署名、主張が大切であることを世に知らしめた『松川運動』捏造・隠ぺい・でっち上げなど国の2つの機関の悍ましい実態など。
今後、私たちが生活する日本で正しく公平なジャッジをするための教訓として『松川事件』や『松川運動』を伝えていく活動が行われているのです。