無理やり体を大きくさせる薬なので体への負担は相当大きいです。
負担の種類としては、倦怠感や脱力感が大きく精神的に参ってしまう人もいます。
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男性ホルモンが増えるので脱毛や睾丸機能の低下もみられます。
山岸秀匡がなぜ持ち込みをしたのかは不明
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アメリカでは入手に厳しい筋肉増強剤のステロイドを山岸秀匡はアメリカの仲間に頼まれたのでは?と言われていますが真実は分かりません。
年収がそれなりにある山岸秀匡が金儲けで危ない橋を渡るとは思えません、やはり仲間に頼まれたという説が本命な気がします。
ステロイドの蔓延
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2007年のアメリカではステロイドの蔓延は大問題で20万人が使用していると発表されていました。
ボディビルダーのような特殊なスポーツの選手が使用するだけではなく、正しい使い方が分からない若い男性までもが手をつけていることが問題でした。
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筋肉がついた大柄の男性がもてたり、アメリカンフットボールのような大柄の男性がぶつかり合うスポーツがかっこよく人気という文化。
そこにはアメリカの独特な美学が問題にあると言われています。
薬物で逮捕された有名人は他にもいます。薬物逮捕に興味がある方はこちらもご覧ください
山岸秀匡のミスターオリンピアとアーノルドクラシックでの活躍
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ミスターオリンピアとアーノルドクラシックはボディービルダーの大会で最も栄誉のある大会です。
ここでは山岸秀匡のミスターオリンピアとアーノルドクラシックでの活躍がどのようなものだったを説明します。
2007年のミスターオリンピア初出場で13位の成績
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IFBB主催のプロコンテストに出場することができ、プロカードを取得したものだけが出場できるオープンクラス。
出場自体が日本のボディビルダー界にとって素晴らしいことですが山岸秀匡は13位という結果でした。
ミスターオリンピア2007とは
優勝はジェイ・カトラーです。4位のロニー・コールマンの最後の大会でした。
前年度も敗れたジェイ・カトラーに勝つべくがんばりましたが奪還できずに終わりました。
2009年〜2012年のミスターオリンピアでは上位に食い込めず
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プロカードを持ちIFBB主催の大会に出ることだけでもすごいですがプロですので結果が残せなければなりません。山岸秀匡は3年もの間結果を出せずに苦しみました。
- 2009年 9位
- 2010年 10位
- 2011年 10位
- 2012年 15位
しかし、不調の時期も結果にとらわれずあくまでも楽しんでやるというのが山岸秀匡のポリシーのようです。
2013年のアーノルドクラシックで5位を獲得!
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長い間結果が出ず苦しんだ山岸秀匡、2013年のアーノルドクラシックの大会では5位という快挙で結果を残しました。
アーノルドクラシックはレベルが低いのではという下馬評もありましたが、山岸秀匡のパフォーマンスは最高でした。
アーノルドクラシックとは
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アーノルドクラシックはミスターオリンピアへの扉と言われている大会です。アーノルドクラシックを制せばボディービル界での成功を約束されたも同然の大会です。
山岸秀匡が5位だった2013年のアーノルドクラシック優勝者はデクスター・ジャクソンです。
デクスター・ジャクソンは同年ミスターオリンピアでも5位の成績をおさめた実力者です。
アーノルド・シュワルツェネガーとは
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ちなみにアーノルドクラシックのアーノルドとはあのアーノルド・シュワルツェネガーのことです。
アーノルド・シュワルツェネガーはボディビルダーとしてもかなりの知名度があります。
アーノルド・シュワルツェネガー自身が大会に出ていたのは1980年頃まででそれ以降はボディビルの発展に尽力を尽くしています。
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アーノルド・シュワルツェネガーはカルフォルニアの知事になり忙しくなってもアーノルド・シュワルツェネガーの名前が入ったアーノルドクラシックには必ず顔を出し発展に貢献しています。
2014年~2016年のミスターオリンピアでは上位入賞も!
3年不調で苦しんだ山岸秀匡ですが3年連続で好成績を納めました。
苦しんでいえう間も楽しんでやったと自負している山岸秀匡ですがそのモチベーションは「前回のコンテストよりも成長していれば良しとする」だそうです。
見事、不調を乗り越え徐々に上位に食い込んできました。
- 2014 4位
- 2015 3位
- 2016 6位
好成績見据えた戦略
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転機はクラスをオープンクラスから212ポンドクラスへ変更したことだとされています。
日本人の背の低い体系を考え上位に食い込む為の策戦でした。