しかし実際の彼の生い立ちは虐待の被害者・いじめの被害者といういつも被害を受ける側の生い立ちであり東大阪集団暴行殺人事件を勃発させるような少年時代から素行が悪かったわけでありませんでした。
東大阪集団暴行殺人事件の小林竜司の性格
ギャンブルに依存していた両親に代わって弟の面倒を見ていたこともあり普段は優しい性格だったそうです。小中でイジメを受けたのも些細な事がきっかけでやり返すなどということができない性格でした。また、仲間を大切にする性格であった為友人を助けたいという思いから行動を起こしたのではと考えられます。
弟・友人思いな観点から見ても小林竜司は本来は友人思いの優しい性格の持ち主だったのでしょう。東大阪集団暴行殺人事件は友人を助けたいという思いが過剰なまでの行動になってしまったという残念な真実となります。
優しい兄の面影はこの事件の時にはどこにもありませんでした。正義心からの行動だったのかもしれませんが犯罪は決して許されることの無い卑劣な行いです。
東大阪集団暴行殺人事件の小林竜司の周りからの批評
友達思いの小林竜司ですが、同級生などからは「普段は優しいイメージなのに怒ったら何するか分からない」「怒らせたらとにかく怖い」と語っています。
幼少期に父親からの虐待を受けて育つという生い立ちをもつ小林竜司は力に抑圧された過去があるため感情があふれ出ると狂暴な面を現わしてしまうことがあったと考えられ、少なからず東大阪集団暴行殺人事件のような事件を起こす起因があったのでしょう。
猟奇的な事件と聞くとその犯人の生い立ちは複雑な家庭環境や未成年の内から犯罪を行い少年院などへの入所経験があるという生い立ちが多い中、彼の生い立ちは俗にいう犯罪を犯しそうな生い立ちには当てはまらない分類であった事が伺えます。
東大阪集団暴行殺人事件の首謀者・広畑智規とはどんな人物なのか
先ほどはリーダーの小林竜司の生い立ちについて紹介してきましたが、東大阪集団暴行殺人事件を綿密に計画した広畑智規の生い立ちについて現在判明している限りの事を紹介します。
彼の幼少期や生い立ちについての情報は残念ながらありませんが、高校は進学校に通っていました。成績の良し悪しは不明ですがずる賢い頭脳は持っていたようでこの事件では自分は手を汚さずにただ指示をするだけでした。
高校時代も周囲に不良と呼ばれるような人たちが少ない中パーマをかけていたり肩を怒らせて歩いていたりするなど弱い自分を見せないようにあえて素行の悪い自分を演じているようだったと知り合いは語っています。気の弱い人間のありがちな行動です。
東大阪集団暴行殺人事件の裁判の行方
日本や世界でも犯罪史上まれにる、酷い事件を起こした東大阪集団暴行殺人事件の加害者たちに下された判決は如何なるものだったのでしょうか。加害者たちに待ち受けていた裁判や判決について紹介していきます。
東大阪集団暴行殺人事件の主犯格・小林竜司の判決
まず、最初に見ていく判決は東大阪集団暴行殺人事件のリンチのリーダーだった彼の判決からみていきます。小林竜司の判決は1審で死刑という判決が下りました。控訴・上告するもいずれも破棄されてしまった為、1審での判決が決定となりました。
通常複数名の殺害であれば死刑は妥当なものではありますが、この東大阪集団暴行殺人事件は私利私欲の犯行ではなく仲間を守る為に行われた犯行という見方が多く厳しすぎるのではという意見が多く寄せられています。
小林は他の加害者の裁判においても偽りなく積極的に事件について内容を語るなど礼儀正しい姿勢で裁判に臨んでいました。仲間を守るための犯罪でしたが残虐性と被害者や会社員のXに犯罪の加担をさせたことなどが悪質とされ死刑判決となったと解釈されています。
東大阪集団暴行殺人事件の首謀者・広畑智規の判決
続いては東大阪集団暴行殺人事件の計画を立てた実質の首謀者と言われている広畑智規に下された判決を見ていきます。どうすれば、相手を痛めつけることができるか等、東大阪集団暴行殺人事件の計画をたて無期懲役という判決でした。
リーダーの小林竜司が死刑だったことに対して広畑智規が無期懲役なのは被害者に直接暴行したわけではなく殺害自体を指示したわけではないためという見方がされています。
しかし、いくら直接手を下したわけではないにしろ東大阪集団暴行殺人事件自体の計画を立てた張本人であるとし主導者の1人で実質的に東大阪集団暴行殺人事件を引き起こしたのは彼とされ厳しい判決がくだされることになりました。
東大阪集団暴行殺人事件のその他加害者達の判決
この事件の裁判の判決は、それぞれ犯行の際の役割などで判決の内容も大きく変わっています。また、社会的関心が強かったため当時ニュースでも裁判の様子は大きく取り上げられました。
女性を巡るトラブルからこの東大阪集団暴行殺人事件の原因を生み出した徳満優多は懲役11年の判決になりました。殺害自体に関与していましたがその前に被害者から暴力を受けた件が考慮されています。
藤本たちにリンチを受け小林に相談した佐藤に関しては懲役9年でした。一度リンチされ脅迫された恐怖からの行動として考慮されています。もう1点は2人目の殺害の時には既に帰宅しており関わっていなかったからです。
脅迫されたわけでもリンチを受けたわけでもなく自分の意志で積極的にリンチを行ったとしてまた、白銀資大は佐藤や徳満よりも重い20年の刑罰となりました。
最後にリンチを行っている最中に見張り役をしていた佐山大志については懲役7年の判決でした。これは、暴行には一切加わっておらず目撃者などがいないか周囲を見張っていただけということで一番軽い刑罰となっています。
また、4名は未成年でしたが重機の操作をして穴を掘ったりした少年は懲役15年となり他は家庭裁判所送致となっています。しかし、どのような判決を受けようと尊い2人の命を無残にも奪ってしまった事実は変わりがありません。
事件の発端者や相談を受けたリーダー格達が事件に関わるのは理解できますが、残りの人たちは集められたメンバーでした。犯罪に加担することに何の躊躇もなかったのでしょうか。
重機を操作した未成年についてはこの行動が人の命を奪うことをそして、その原因を作ったのが自分が重機で穴をあけそして被せたからだと罪の重さを理解していたのか疑問です。