記者と酒鬼薔薇聖斗らしき男性がトラブルになり、男が逃走するまでの一部始終が記事となり世に出されました。
真実は定かではありませんが、この記事が各社雑誌に掲載され世に出た直後に存在の耐えられない透明さは事前告知も無しに唐突に閉鎖されており、この記事により逃走したと世に思われるような行動でした。
なお、存在の耐えられない透明さを見に行く際、ギャラリーは一部観覧注意です。特にナメクジや集合体が苦手という方は見に行く際は十分な心構えをしてから行くとよいでしょう。
存在の耐えられない透明さの評判と考察
遺族への考慮不足を本の出版、サイト開設の際指摘され、内容からも賛否を巡る様々な意見が生まれ、ぶつけられてきた存在の耐えられない透明さ。ここでは世間の評価とそこから垣間見える考察をご紹介していきます。
反省の色がない・宗教じみているとの非難
絶歌、そして存在の耐えられない透明さを見た人々は口々に「反省の色が見られない」と言いました。確かにそう思うのも無理はなかったです。
存在の耐えられない透明さ、絶歌どちらに載せられた文章を見ても被害者への謝罪と受け取れるような文は見受けられず、どちらも自分の言いたい事のみを言っている自己中心的さが前面に見えていました。
中にはその不気味で哲学的な表現から宗教団体のサイトか、宗教団体にでも入ったのかと言われることもありました。
自己顕示欲の表れという分析がある
絵や文章等芸術作品による表現は自身の考え、思想を世間に知って欲しいという欲求の表れであり、手っ取り早い手段のように思います。
また、絶歌に関するコメントに対し「ただ本を売りたいがための広告」であったり「自分の異常性をアピールして目立とうとしているだけ」等厳しい意見も多くありました。
ナメクジは酒鬼薔薇聖斗自身を表現?
作品の題材にナメクジが用いられた作品が存在の耐えられない透明さの大多数を占めました。
薄々感じていると思いますが、酒鬼薔薇聖斗はナメクジをシンプルながらに完成されたフォルムと絶賛しており様々な作品のモチーフとなっております。
絶歌のレビューでは数々の文学ファンがナメクジを解体されていく様や心情の描写をリアルでとても魅力的だと評していました。
ナメクジは存在の耐えられない透明さでも活躍しており、ナメクジを使った作品のメイキング写真が載っていたりと酒鬼薔薇聖斗にとって自分自身を表現するのに欠かせない存在のようです。
鍛えた体は強さの象徴
作品群の中でもう1つ気になるのは作中の男性です。顔を隠していますが作品に出てきているたくましい男性は酒鬼薔薇聖斗本人です。少年院で孤立しいじめにあったことをきっかけに体を鍛えるようになったといいます。
この逞しい肉体は酒鬼薔薇聖斗にとっていじめっ子を寄せ付けない、見返すための強さの象徴でありいじめを受けた過去との決別の証とも捉えることが出来ます。
存在の耐えられない透明さで発信された酒鬼薔薇聖斗のコメント
前述した評判通り、存在の耐えられない透明さには広告も兼ねており、その中で絶歌に対する酒鬼薔薇聖斗自身のコメントが掲載されていました。そのコメントとは、いったいどのようなものだったのでしょうか。