腹切りやぐらとは?北条氏の一族郎党が集団自決した場所
「腹切りやぐら」とは、新田義貞による鎌倉攻めに追い詰められた幕府の執権、北条高時が率いる北条氏と幕府の残党およそ870人がで集団自決を行なった、かつて東勝寺の北に位置したやぐらのことです。
「腹切りやぐら」は現在においても、無念に散った武士の霊たちが彷徨っているという噂が絶えず、歴史のある鎌倉において心霊スポットで有名です。
やぐらとは上流階級の人々が眠る墓場のこと
やぐらとは、鎌倉時代に崖や傾斜面をくりぬいて作られた横穴式の墓場・供養場のことです。鎌倉に住んでいる上流階級の人々が中心となって、自身の供養の際に法華堂を建てる代わりに作られました。
現在の東勝寺跡に位置する「腹切りやぐら」は、代々北条氏一族を供養するためのやぐらと言われています。
腹切りやぐらで起きた集団自決とは?
心霊スポットとして現在でも不気味な霊気が漂っている「腹切りやぐら」ですが、鎌倉時代という遠い過去に、この場所で一体何があったのでしょうか。詳しく解説してきます。
鎌倉幕府が滅ぼされる際に起きた集団自決
鎌倉幕府が滅亡へと追いやられた元弘3年(1333年)に、討幕の勅命を受けた新田義貞の勢力に追い詰められ、北条高時率いる北条氏一族は東勝寺合戦に敗れたのち、およそ870人もの一族郎等が「腹切りやぐら」で自決したという伝承があります。
「腹切りやぐら」が心霊スポットで有名なのは、この北条氏一族が行った集団自決の伝承が由来です。
追い詰められた北条一族が東勝寺に火を放った
新田義貞が率いる勢力に追い詰められた、幕府の権力者であった北条高時およびその一族は、彼らの先祖が代々祀られている東勝寺へと逃げ込み、そこに火を放ちました。一族の先祖たちが眠る場所で、自分たちの最後の時を決心をしたのでした。
その後腹切りやぐらで集団自決した
東勝寺に火を放ったその後、北条高時率いる一族郎党は「腹切りやぐら」へと降りていき、そこで総勢870人もの人々の集団自決が行なわれた、と伝承では言われています。
我先にと自害し、皆倒れ伏して、血が地面に広がっていた凄惨たる様子が記録されています。
腹切りやぐらは現在どうなっている?
国家の滅亡という壮絶な歴史の香りを色濃く残している「腹切りやぐら」は古の都鎌倉においても屈指の心霊スポットで有名ですが、現在はどのような状況になっているのでしょうか。