「腹切りやぐら」は東勝寺跡の近くに位置し、鬱蒼とした山奥に位置しており、現在は滅んだ北条氏のために創建された宝戒寺によって管理されています。すぐそばに東勝寺遺跡碑と、参拝以外の立ち入りを禁止する看板が立てられています。
入り口には北条高時の名が書かれた角塔婆がたっていて、「腹切りやぐら」の中には、そこで果てた人々を弔うための供養塔がたてられています。
奥には卒塔婆が大量に立てられている
供養塔の奥に北条一族を供養するための大量の卒塔婆がたっており、うす暗い「腹切りやぐら」をより一層不気味なものにしています。
鎌倉とおなじく古い歴史のある京都で、歴史に関連する心霊スポットに興味がある方はこちらの記事をどうぞ。
腹切やぐらに眠る北条一族とはどんな一族?
「腹切やぐら」は北条氏一族が幕府の滅亡の際に集団自決した場所と言われていますが、北条氏とは一体どのような一族なのでしょうか。その出自と歴史を解説します。
北条氏とは?
北条氏とは、伊豆国を拠点にしていた地方在住の豪族勢力です。戦国時代に小田原を中心に勢力を伸ばした大名の北条氏との区別のため、鎌倉時代の北条氏は鎌倉北条氏・執権北条氏とも呼ばれることがあります。
北条氏の出自
北条氏の出自は時期によって文献にも違いがありますが、桓武平家の出であることが通説とされています。出自自体は由緒あるものですが、はじめから強大な勢力を誇っていたわけではありませんでした。
鎌倉幕府との関係
北条氏は、北条政子が源頼朝の妻になったことで幕府の中でも有力御家人として強い権力を得ます。政治手腕も巧みなものがあり、将軍家との血縁関係を後ろ盾に他の有力御家人たちとの政権争いに打ち勝ち、執権の地位を代々務めるようになりました。
北条氏が執権を務めるようになってからは将軍以上の権力を持つようになり、実質的な幕府の支配権は、幕府が滅亡する最後の時まで北条氏が握ることとなりました。
源平合戦で勝利した源氏が覇権を握ったのち、かつての栄華を誇った平家の出自である北条氏が再び覇権を握り、そして「腹切りやぐら」で最後を向かえて滅亡したという歴史の移り変わりには、物悲しい奥深さを感じます。
腹切りやぐらでの心霊体験
北条一族が集団自決を行い、現在も無念のうちにさまよっている武士の霊が現れる心霊スポットで有名な「腹切りやぐら」ですが、その「腹切りやぐら」で実際に起こったとされる心霊現象を紹介します。