西沢裕司とは?
皆さんは「西沢裕司」という男をご存じですか?彼は日本ではまず例を見ないことをやってのけたのです。とはいっても偉大なことでも賞賛されるべきことでもありません。
今回は記事では西沢裕司について徹底的にクローズアップして皆さんにご紹介していきます。ご存じない方もこの機会にぜひその極悪人の名と、二度起きてはいけない出来事を知っておいてください。彼がやった日本ではまず例を見ない事とはいわば所業や犯行であり、非常に悪質な行為なのです。
非常に悪質な行為は、絶対にしてはいけない取り返しのつかない犯行で、死刑に値するくらい思い罪でしたが、精神疾患と診断されたため、減刑されて死刑は免れました。この後、彼の家族は現在どのようにしているか、その後の影響についても触れて解説していきます。
ではまずどんな所業を働いたのかは次に簡単にお話ししていきます。
全日空61便ハイジャック事件の犯人
2019年、令和元年となった今年からちょうど20年前、1900年代と1000年代、最後の年となった平成11年の今ぐらいの季節に、日本の旅客機が略奪されるという国民や乗客が戦慄する出来事が起きました。
その悲劇の舞台となってしまった旅客機は「全日空61便」という名称があり、結果的に日本の歴史に刻まれる凄惨な事件の名称になることになります。(名称は上記の題の通りです)
そして前述した今回の記事でクローズアップする男、西沢裕司は、その戦慄する悍ましい出来事を働いた張本人であり、首謀者、実行犯なのです。次に彼の生い立ちや過去に焦点を当ててお話ししていきます。
西沢裕司の生い立ちは?挫折の理由とは?
冒頭でお話しした、西沢裕司という1人の男が、元凶となって引き起こされた全日空61便が略奪された、日本を震撼させた出来事の詳細が非常に気になる所であります。
ですがまずはその事件の詳細をお話しする前に、今回の記事で徹底的に解説する、西沢裕司がどんな人であり、過去にどんな歩みをしてきたのか。
彼の生い立ちや過去の経歴、家族、エピソードについてご紹介していきます。一体どこで道を踏み外すことになったのか?その点に注目しながら読んでみてください。
彼は物心がついたその時から既に自分の将来は、航空業界に就職して毎日のように世界を回り、空を飛び海を渡りたいと考えていました。
後に取り返しのつかない事をしでかしてしまう、西沢裕司も、初めは立派な夢を抱いていたまっすぐな少年だったのです。
西沢裕司の生い立ち①中学~大学は高学歴
犯罪者や凶悪人に多いケースに、家庭環境が劣悪だったり、学生になると非行に走りヤンキーになる事が多いですが、西沢裕司はその2つどちらもあてはまりませんでした。
しかし彼は他の子供たち、クラスメートとはどこか違ったのです。学生になると彼は憑りつかれた様に、勉学に勤しみました。彼にとってまるで勉強は、友達その物でありました。
その反動からなのか、彼は友達、クラスメートとの交流は遮断しがちになってしまい、いつも孤立している存在となっていたのです。その上で他の生徒たちから、イジメの対象になっていたこともありました。
そのイジメや徹底した勉学が、西沢裕司の人格を形成した大きな要因となったかどうかは分かりませんが、どこか他の子供たち、クラスメートと違った点は、大きなポイントになってくるのです。
彼がそれほどまでに勉学に勤しんでいたのは、もしかしたら幼気な頃に抱いていた夢、未来へのヴィジョンがあったからなのかもしれません。
中学時代から既に、学力の高い学校に進み、そこでも優秀な成績を納めるなど既に頭角を現していましたが、そのままの勢いで大学も超エリート級の学校に進み、高学歴の道を歩んでいきました。
家族との仲は悪くはなかった
少年時代、学生時代は、人との交流を遮断して勉学に勤しんでいたものの、決して自身の家族と仲が悪いという事はありませんでした。
西沢裕司の家族の事については、あまり詳しく判明していませんが、5人家族だったようで、父親と母親、兄と西沢裕司、おばあさんがいたようです。
家庭では勉学に勤しむと同時に、息抜きには家の中でするような趣味に没頭していたそうで、周りからも大人しく内向的であると認知されていました。
西沢裕司の生い立ち②大学時代に羽田空港でアルバイト
西沢裕司が成人を迎えて、優秀な大学生となっても幼いころから抱き続けた夢、将来のヴィジョンは、生い立ちのまま変わっていませんでした。
夢を抱き続け実現のために努力を続けることは決して悪くない事ですが、西沢裕司の場合はそれをこじらせてしまい、取り返しのつかない所業を起こしてしまう事態となってしまいました。
彼は東京都という、何でもありそうな大都会に住んでいたので、バイトする職場の選択肢は、カフェやコンビニなどいくらでもありそうですが、彼が選んだバイト先は、あの羽田空港だったのです。
西沢裕司の生い立ち③航空業界は不採用に
西沢裕司は夢の実現、幼き頃から必死に思い描いていたヴィジョンを実現させるために、バイトだけではなく、給料などのお金、時間を全て割いたのです。
ありとあらゆる隅々までの航空の知識を得たり、実際に何度も旅客機を利用するなどしていました。過去に他のモノに目もくれず、勉学に勤しんでいた彼にしたら、そんなことは困難でも何でもなかったのです。
彼は色々な手を尽くして、いよいよ航空会社のみにターゲットを絞り、就職活動をしましたが、どの企業、会社も不採用となってしまったのです。このことについては同情する余地が大いにあるはずです。
西沢裕司の生い立ち④JR貨物に就職するが無断欠席で退職
西沢裕司はやむを得ず、あの「JR」に就職することになります。勿論JRも日本ではまず知らない人がおらず、立派な一流企業と言えますし、きっと安泰した生活が送れるはずでしょう。
しかし西沢裕司の頭の中には過去にも今にも、「航空」その違う2文字しかなかったので、その存在は霞んで見え、どこか物足りなさを感じてしまっていたのです。
彼は上司や職場に連絡もせずに、勝手に出勤せず無断で休み続けてしまい、そのままクビとなり初めての職場を退職することになったのです。こうして心に影を背負い、段々と歯車が狂いだしていくのです。
西沢裕司の生い立ち⑤家族のすすめから精神科に通っていた
西沢裕司の家族は、彼が夢に向かってひたすら走り続けていたこと、その生い立ちを一番よく理解していたはずですから、挫折したショックや苦しみについても深く同情していたことでしょう。
西沢裕司のメンタルはどんどん減衰して廃人同然にまで陥っていきました。そんなボロボロの彼の姿を近くで見ていた家族は、彼を応援したり叱ろうはせずに、病院に行くことを勧めたのです。
彼はそんな家族の助言を受けて、心の治療をする、精神科を通うことになりました。この時も思い描いていた航空の世界からどんどん遠ざかっていくような、いたたまれない気持ちになっていたでしょう。
大量の薬
西沢裕司がしてはいけない、取り返しのつかない事態を引き起こす直前には、大量の精神安定剤などの薬を服用していたようです。
事件直前の異常な西沢裕司の行動
先ほど精神科に通うようになり、多くの薬を服用して精神がまともでなくなっていった様子を解説しましたが、取り返しのつかない所業をして重大な悲劇を起こす直前にもその異常性が顕著になって表れていました。
こちらの見出しでは事件直前の西沢裕司がとった行動の数々を解説していきます。
母親への暴力・駅で問題行動
彼の生い立ちや経歴をよく知る、理解者であるはずの母親を殴るなどの暴力を働いていました。更にかつて自身が務めていた鉄道会社のJRの駅などで、奇行に走ったり暴れていました。
3つの偽名を使う
実際に略奪する旅客機は「ささおかしんじ」刃物を持ち込むために使うために「たかはしかつや」前日の夜に利用したカプセルホテルには「まついさぶろう」
その3つの偽名を使ってそれぞれを予約しましたが、名前が知人であるのかどうかは定かではありません。
西沢裕司の起こした全日空61便ハイジャック事件の概要について
先ほどは今回の記事でクローズアップしている、西沢裕司の過去、少年時代や家族、生い立ちなどの経歴について解説して、どのようにして挫折していき、心に大きな傷を負っていったかをお話ししました。
果てしない努力を続けたとしても、必ずしも思い通りに行くわけではない。そんな辛い現実の事象を体現した『西沢裕司』ですが、いよいよ日本を震撼させる凶悪な所業をしでかしてしまうのです。
こちらでは、彼が全日空61便が略奪して、多くの罪なき人々の命を危険にさらし、かつて憧れだった人物の命を奪う、日本で初めて死者を出した「ハイジャック事件」の概要を時系列ごとにお話ししていきます。
離陸直後にハイジャック事件発生
何も知らない500人以上の乗客と10名以上のスタッフを乗せた、全日空61便に、ある悍ましい計画を企てた西沢裕司も乗っていました。
全日空61便が滑走路を走りだし、地上から飛び出した直後に事態が起きました。西沢裕司は忍ばせておいた刃物を見せつけ、声と態度で脅して全日空61便に乗っている全ての人を威圧しました。
刃物を持っていたので、乗っていた人たちは彼のいう事を聞かざるを得なかったのです。こうして全日空61便が1人の男に略奪されてしまったのです。
何故機内に刃物を持ち込めたのか?
西沢裕司は、航空のあらゆる観点を知識として得て、実際に利用するなどして体験も日常的に行っていました。その上で彼はシステム、設備の欠陥、盲点を発見していました。
その欠陥、盲点とは正規のルートである持ち物検査を通らずとも、機内に乗り込めるというものであり、その欠陥、盲点を突いて、機内に刃物を持ち込むことに成功したのです。
コックピットに押し入る
その場に居合わせたスタッフに本来の目的地ではない、関東地方の神奈川県、南東部に位置する「横須賀市」に向かうように命令したり、無茶なことを色々と西沢裕司は言い放ちました。
その後、1本の刃物を所持して西沢裕司は、スタッフに命令して誘導させ操縦席に強制的に押し入ると、機長以外の人間をそこから立ち去り2人きりの状況を作り出しました。
全日空61便はその時、実際に大勢の乗客を乗せて、雲を超えて空を飛んでいました。そんな状況下でずっと憧れだった操縦室に入る事が叶いました。
ですがそれは、本来の夢や憧れていたヴィジョンとは程遠いものだったはずです。
正攻法を取らずに間違ったやり方、罪なき人を危険にさらして法まで犯してまで、夢を叶えようと道を踏み外してしまったのです。
それだけもう心がダメになっていたという事でしょうか。それだけ夢への憧れが強かったという事でしょうか。悪事を働いた1人の男、西沢裕司にはそのどちらもあったのでしょう。
機長をナイフで刺し操縦席を奪う
西沢裕司は、いつだって正攻法で努力し続けてきたのにも関わらず、最期には卑劣な所業を働いて、空飛ぶ旅客機の操縦室に入るという夢の一部を強引に叶えました。
しかし、それだけに飽き足らず、2人だけになった操縦室で、更に機長にとんでもない要求をしました。それは「自分に操縦させろ」「操縦席を譲れ」という、無茶苦茶な要求でした。
それを承諾してしまえば、500人以上の命が脅かされることになる。そのことをよく理解していた冷静沈着で責任感のある機長は、その要求に対して、逆上させないように落ち着いて説得して断りました。
夢の為なら手段をいとわない
その時、西沢裕司がどれほど興奮していたのかは分かりませんが、絶対に全日空61便という実際の旅客機を運転してみたい、と考えていたので、それを実現させるためには手段を厭わなかったのです。
彼は、全日空61便と500人を優に超える人間の命を守ろうとした機長に、容赦なく刃物を振りかざして、強引に操縦席をも略奪したのです。
副操縦士たちがコックピットに押し入り犯人を確保した
西沢裕司は罪なき機長傷つけて、憧れ続けてきた操縦席を奪うと、実際の飛行機を運転しました。これまでに航空に関して豊富な知識を蓄えていましたが、実践は初めてであり、当然初心者同然でした。
ゲームなどの疑似的体験とは全くの別物であり、何度も訓練をこなさなくてはまともに運転などできないという事は、誰でも想像つくはずです。
案の定、西沢裕司の運転は、急激に高度を上げ下げしたり、地上からすぐ近くを飛ぶなど、生きた心地のしない危険で無謀なモノでした。
複数名に確保された
実際に乗っていた被害者、当事者である乗客、スタッフの複数名は命の危険を感じて、意を決して操縦室に侵入して、西沢裕司と格闘して取り押さえることに成功しました。
羽田に帰還するも機長は亡くなった
機長もすぐさまスタッフにより必死に救命処置が取られましたが、既に意識不明の重体であり、時間が経ち過ぎていたのか、致命傷の傷を負ってしまっていたためか、命を落として帰らぬ人となってしまいました。
管制官が既に状況を把握していたこともあってか、その後は、他の操縦士が運転して無事に元々の出発地点でもある「羽田」に帰還することができました。
この時、全ての元凶である西沢裕司は、勇気ある乗客たちによって取り押さえられていたことでしょう。無事に着陸した後は、西沢裕司は凶悪な犯罪者として警察に検挙され連行されました。
機長の的確な判断により乗客は助かった
墜落などの最悪の事態、カタストロフィが引き起こされずに済んだのは、1人の尊い犠牲者の機長おかげと言っても過言ではありません。
機長は西沢裕司を逆上させないように冷静に説得して、その様子を、悟れないように「管制塔」と通信して状況を伝えていたのです。その時の言葉選びや冷静さは賞賛に値するものでした。
冷静に対応して、危険が及ばないように、傷つけられるその時までずっと操縦席を譲らなかった勇敢な行動をした機長について、下記に簡単にまとめていきます。
機長のプロフィール
名前は「長島直之」さんで、その当時の年齢は50歳前半でした。旅客機の機長としてのキャリアは長く、その間に一度も問題を起こしていない、暑い信頼を得ているそんな人物でした。
西沢裕司が全日空61便ハイジャック事件を起こした動機と背景
これまでに西沢裕司の過去の生い立ち、取り返しのつかないことして悲劇を引き起こした前代未聞の出来事について解説していきました。
彼が取り返しのつかない所業を働いた理由について、ここまで読んでいただけたらならなんとくなく、幼いころから抱き続けた夢と挫折が関係していると、察していただけるのではないでしょうか?
実際に西沢裕司は、航空に携わる企業、もっと言えば機長に強い憧れがあり、それをこじらせたことがきっかけとなりました。こちらでは彼が供述した実際の動機についてまとめていきます。
大型旅客機を自分で操縦してみたかった
前述でも何度か記述していますが、西沢裕司はゲームや頭中に思い描いていたヴィジョンの中ではなく、実際の大きな旅客機を運転してみたい、という願望が募りに募って、取り返しのつかない所業をしました。
始めは輝かしい夢、誇れる未来のヴィジョンでしたが、これまでにひたむきに取り組んできた努力が実らず、叶わなくなってしまい挫折してしまったことにより、自我を忘れるほどの強い欲求に変わったのです。
その欲求を叶えるならば、他者、社会の事を顧みない、手段をいとわないといった危険な反社会性の人格が芽生えてしまっていたのでしょう。