岡田太朗とは?
吉永小百合さんの「旦那」と聞いてもすぐに「岡田太郎」と出る方は多くありません。まずはどんな人物なのか、岡田太郎さんについての人物像を紐解いていきます。「どんな顔なの?」と気になる方の為に、結婚当時の吉永小百合さんとの写真も載せます!
プロフィール
以下、岡田太郎さんの人物像について見ていきます。
本名:岡田太郎
年齢:89歳前後(2019年現在)
出身地:不明
血液型:不明
活動履歴:フジテレビディレクター、共同テレビ社長・会長を経て、相談役
上記の通り、岡田太郎さんはいわゆるサラリーマンなので一般人です。”吉永小百合さんの配偶者”として名前は知られていますが、それ以外の詳しい情報はほとんど分かりません。
岡田太朗は吉永小百合の夫で共同テレビの元社長
お二人が付き合った当初、フジテレビのプロデューサーとして活躍していた岡田太郎さん。その後、フジ・メディア・ホールディングスの子会社へ移籍します。その後、共同テレビの社長を経て会長職にもつき、最終的に相談役を勤めています。
独自の演技技法で「アップの太朗」と呼ばれていた
岡田太郎さんはわずか29歳の若さで演出したテレビドラマ「顔」で一躍その名を知られます。その理由は、当時まだ画面も小さく、解像度も悪いテレビのデメリットを払拭すべく、役者の表情が分かるアップシーンを撮ることで、2時間弱のドラマを飽きさせない、映画さながらの重厚感あるものに仕上げたからです。
それをきっかけとし、数年を経たずして、岡田太郎さんは「アップの太郎」という異名で世間に認知されました。
経歴
・旧制都立高校を卒業後、「公職訴願審査員会」の事務局を経て、「国立与論調査所」の事務員となります。
・文化放送の深夜番組の要員に応募し採用され、その後編集部へ転身。
・芸能部への志願を文化放送では果たせず、フジテレビ開局のチャンスを掴み取り、1958年、テレビ見習いの実習生として芸能部への扉を開けます。
岡田太郎さんがフジテレビに入社するまでの経緯をご紹介しましたが、調べてみると、最初は「テレビ」「芸能」と全く関係のない仕事に就いていたんですね。
夫・岡田太朗の画像を紹介
岡田太郎さんの今のお写真はほとんど出てきません。しかし、お二人が結婚した際のツーショットを掲載します。幸せなお二人の周りには、多くの報道人がいます。既に女優として活躍していた吉永小百合さんの結婚は写真からも声が聞こえてくるくらい、かなり話題となりました。
岡田太郎が演出を行った作品
単発ドラマ「顔」でドラマ演出家の一人となった岡田太郎さんはどのような作品をこれまで手掛けてきたのでしょうか。いくつか岡田太郎さんの作品を見ていきます。
1960年放送:日日(にちにち)の背信
3か月の連続ドラマです。いわゆる、「昼ドラ」「昼メロ」と呼ばれる走り掛けとされ、昼間の主婦層をテレビに釘付けに、それまでの昼番組を大きく変えるきっかけになったとされています。
1964年放送:あぶら照り(主演:京マチ子)
このドラマは、主演京マチ子のテレビ初主演によるドラマでした。このドラマが話題となり、同年、このドラマをもとに劇場映画化もされ、京マチ子はキネマ旬報女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞しています。
各テレビ局で有名な番組プロデューサー
岡田太郎さんの仕事である、番組プロデューサーとは一体どいうお仕事でどんな役割を担っているのでしょうか?分かりやすく、現在の人気番組を例に、有名なプロデューサーについてご紹介していきます!
テレ朝の新たな歴史を作った「加地倫三」氏
「アメトーーク!」や「ロンドンハーツ」の番組は、普段見ていない人でも番組名を知らない人はほとんどいないでしょう。元々報道系に強みを持っていたテレビ朝日は、バラエティー番組の企画力は他局より劣っていました。そんな中、NGも出そうな番組を行ったのが加地さんです。
ロンドンブーツの2人が世の中に知れ渡るきっかけとも言えるでしょう。
大物芸人をさらに引き立てる天才「藤井健太郎」氏
深夜番組枠にも関わらず、圧倒的に視聴率のよいダウンタウンが司会のTBS「水曜日のダウンタウン」。この企画を考えたのが藤井さんです。今までのダウンタウンの帯番組と違う点は、お笑いの頂点に君臨する二人をさらにいじることで新たな魅力を出すことに成功しています。恐れずに突き進む企画力は業界内でもかなり注目されています。
妻・吉永小百合のプロフィール・経歴
続いて、岡田太郎さんの妻である、吉永小百合さんについてすぐに分かるプロフィールや女優に至るまでの経歴等について見ていきましょう。
妻・吉永小百合のプロフィール
吉永小百合さんを知らない人はいないと思いますが、詳しいプロフィールをご存知の方は多くないでしょう。まずは、基本的な情報です。
本名:岡田小百合
生年月日:1945年3月13日(74歳)
出身地:東京渋谷区
身長:155cm
血液型:O型
今は岡田となりましたが、”吉永小百合”というのは芸名ではなく、本名です。
妻・吉永小百合の学歴
続いて、彼女はどのような学生時代を送っていたのか、小学校~大学までを見ていきましょう。
1951年:渋谷区西原小学校入学。
1957年:渋谷区立代々木中学校を入学。
1960年:同中学校を卒業後、東京都立駒場高校に入学。それと同時に日活撮影所に入社。
1961年:私立精華学園女子高等学校に転入。
1965年:早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学し、4年後卒業。
女優として活躍する傍ら、早稲田大学を出ている吉永小百合さんは、まさに才色兼備な女性と言えます!
妻吉永小百合の主演・受賞作品
学歴と並行して、女優人生としてはいつから始まったのでしょうか。合わせてご覧ください。
1957年(12歳):連続ラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビュー。当時はまだ小学6年生です。
1959年(14歳):「朝を呼ぶ口笛」で映画デビュー。
1962年(16歳):映画「キューポラのある街」でヒロイン役として出演。
1982年(36歳):テレビドラマ「続 夢千代日記」で第19回ギャラクシー賞選奨を受賞。
1985年(39歳):「おはん」「天国の駅」で第8回日本アカデミー賞、主演女優賞を初受賞。
1989年(43歳):「鶴」「華の乱」で同賞、主演女優賞を受賞。
2006年(60歳):「北の零年」で主演女優賞受賞。
上記記載以外にも、ほぼコンスタントに日本アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、日本の映画界を支える女優としてなくてはならない存在です。
「男はつらいよ」3度目の出演依頼を断り後悔している
「寅さん」でお茶の間を賑わせた大作、「男はつらいよ」に吉永小百合も気難しい物書きを父にもつ娘役として、2部作共出演しています。実は、平成になって再び出演依頼があったそうですが、スケジュールの都合でどうしても叶いませんでした。
しかし、その後主演である渥美清が死亡し、共演が叶わなくなった吉永小百合さんは、受けられなかったことをとても後悔しているそうです。
岡田太朗と吉永小百合の結婚について
岡田太郎さんたちの結婚について詳しく見ていきましょう。岡田太郎さんと吉永小百合さんは、1973年(昭和48年)8月3日に結婚式を挙げています。当時の結婚秘話と人気女優と結婚した故の苦労も見ていきます。