即時性が求められるニュースの場合には、自ら取材した内容をまとめて簡潔に伝えることもあります。ですので、報道記者からニュースキャスターになる方も相当数います。
相手は報道番組「筑紫哲也 NEWS23」のディレクター
小暮裕美子さんが結婚されたのはTBSに入社10年後の、1994年です。相手の方は、平日夜のニュース番組「筑紫哲也 NEWS23」のディレクターです。
ディレクターの仕事とは
番組制作で、ディレクター又はプロデューサーとの役職の方がいますが、どう違うのでしょう。テレビ番組でいうと、ディレクターは現場で指揮を執り、番組のアイディアをだして実際に制作する立場です。
一方プロデューサーは、本来は番組の企画を考え、枠組みを決めるのが仕事です。出演者や予算を決めるなどがそうですね。
ディレクターは発想力や指揮を執るための人望が必要でプロデューサーは人脈が必要、などともいわれますが、どちらも難しい仕事には変わりありませんね。
小暮裕美子さんの現在とは?
小暮裕美子さんは一時期、キャスターや報道記者として表舞台で活躍しましたが、現在はどのような立場にいるのでしょうか。
小暮裕美子さんは2006年までキャスターとして活躍!
TBSに1984年に入社した小暮裕美子さんは、2006年まで20年以上、報道局の記者として働きました。その間には重大な情報隠ぺいを見つけ指摘する、という活躍もありました。
どの記者が指摘したか、という話はあまり外部には伝わらないので、相当大きな事件だったことがわかりますね。
高速増殖炉もんじゅの漏洩事故ビデオの不自然さを指摘?
重大な情報隠ぺいとは、1995年に発覚した高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩問題です。当時、科学技術庁の担当記者だった小暮裕美子さんが、ビデオの不自然な編集を指摘したことで、問題が発覚しました。
発表されたビデオの内容を鵜呑みにせず、自分の目で確かめるという力は、報道記者という仕事にまじめに取り組んできたからこそ身についた力でしょう。
ビデオを発表した動力炉・核燃料開発事業団は、漏洩事故をメディアに糾弾されるのを恐れた職員が編集したとされ、それが発覚し、さらなる追求を受けました。
現在は報道する内容を選ぶ重要な仕事に就任している
小暮裕美子さんは45歳という年齢で「TBSテレビ編成制作本部報道局取材センター外信部次長」という、報道する内容を決定し人員や予算を割り振る、いわば統括する立場に出世しています。
年齢のことを言いたくはありませんが、45歳で次長というのはかなり早い出世ですね。年齢を重ねて出世し、報道する内容を選ぶという新たな立場でTBSに貢献されています。
会社に貢献するだけでなく、放送するニュースの精査と決定は、視聴者に正しく必要な情報を届ける、という大事な仕事です。
小暮裕美子さんとデーモン閣下のエピソードを紹介!
小暮裕美子さんの弟がデーモン閣下であるというのは先にも書きましたが、どんな姉弟なのでしょうか。どちらも優秀で弁の立つ方々ですので、会話を聞いてみたいですね。
小暮裕美子さんとデーモン閣下は世仮の姉弟!素顔が似ているという噂
小暮裕美子さんとデーモン閣下は世仮の姉弟ですので、顔が似ているという噂はもちろんあります。ですが裕美子さんの写真はほとんどなく、デーモン閣下の人間の姿での写真も当然ですがありません。
因みにインターネットでよく見かける、デーモン閣下の姿で顔が人間の写真はコラージュで、デマ画像です。
子供の頃はそっくりの兄弟姉妹でも、大人になるとあまり…という事はよくあります。こちらの姉弟もそうなのでしょう。
デーモン閣下にとって「地球上で唯一口喧嘩がかなわない相手」
デーモン閣下といえば弁の立つ方として知られていますが、その閣下が地球上で唯一、口喧嘩で適わない相手と公言しているのが裕美子さんです。
あのデーモン閣下に言い負けないとは、弁が立つ上に、頭の回転が速くなくては到底勝てそうにありません。姉弟そろって口達者で、弟に負けたことがない、とは羨ましい限りです。
小暮裕美子さんのロック・クイーン姿が聖飢魔IIのヒントになった?
大学で軽音楽部に入った小暮裕美子さんは、学園祭でロック・クイーンとして喝さいを浴びたこともありました。見に来ていたデーモン閣下は『これだ!』と閃き、衣装なども含めて音楽活動のヒントになったそうです。
真偽のほどは不明ですが、裕美子さんの着ていた衣装を参考にした、という話もあります。
小暮裕美子さんの世仮の弟・デーモン閣下の活躍
デーモン閣下の本業は歌手・アーティストですが、それ以外にも八面六臂の活躍を目にします。ざっと思いつくだけでも、大相撲の解説、テレビ番組への出演、本やコラムの執筆など、まだまだあります。
活動の幅が広くて追うのが大変ですが、細かく見ていきましょう。
デーモン閣下は歌手以外にも活動の幅が広い!
デーモン閣下は聖飢魔IIのボーカル・説法方として34年前に地球デビューしました。地球の征服を完了させ1999年に解散した後は、基本的にはソロでの活動です。
基本的に、というのは聖飢魔IIが2005年、2010年、2011年、2015年に期間限定で再集結したからです。2011年の再集結は、東日本大震災の復興支援の為、2日間限定でした。
この時は多くのアーティストが復興支援を行う中、普段悪そうなポーズをとっていてなかなか言い出しにくいバンドにも声をかけ、聖飢魔IIが旗振り役を務めました。
当時を知らない若い世代も、YouTubeで初めて目にして信者になる人が続出しています。再集結する度に新たな信者やファンを獲得しているのは、人気・実力を兼ね備えているからですね。