小暮裕美子さんとは?デーモン閣下の姉でTBSキャスター
小暮裕美子さんはTBSで報道記者やキャスターでした。2006年にはTBSテレビ編成制作本部報道局取材センターの外信部次長に就任しています。
簡単に言うと、報道するニュースの内容や予算、担当者を精査・決定する部門です。ニュースを報道する側から精査する側へ、現場と管理の両方を担当された方がチェックしていると思うと安心できますね。
一般にはあまり馴染みの無い部門と地位ですが、テレビ局という正しい情報を発信しなければならない会社ではとても重要なポストです。
会社の顔がアナウンサーやキャスターだとすれば、放送内容を精査し決定する編成制作本部は、会社の骨組みともいえる部門です。
テレビ局というのはいろいろな番組を制作し、放送しますが、やはり根幹はニュースを伝えることです。ここがしっかりしていないと大変なことになりますね。
小暮裕美子さんとはどんな人物?
TBSの様な一流企業で、これほどの出世をしている小暮裕美子さんは、優秀な人物なのは判りましたが、どんな経歴でいくつぐらいの年齢の方なのでしょうか。
小暮裕美子さんのwiki風プロフィール
小暮裕美子さんは1961年生まれ、年齢は今年58歳でTBSにお務めです。以前は報道記者やキャスターをしていましたが、現在ではニュース全般を統括する部門に所属しています。
この経歴を見る限り、ずっと報道畑を歩んでこられたようですね。
出身地に関しては、広島県という噂もありますが、はっきりしていません。小学生から中学生の一時期、広島に住んでいたのは事実です。父親が転勤が多かったため、裕美子さんも転校を繰り返していました。
小暮裕美子さんはデーモン閣下の世仮の姉
小暮裕美子さんは結婚されていて(お子さんは未公表)、弟にはデーモン閣下がいます。デーモン閣下から見れば、世を忍ぶ仮の姉、ですね。
他にも兄弟がテレビ局に勤めてるタレントはいる?
兄弟姉妹でどちらもタレント活動をしている方は大勢いますが、1人だけが表に出る場合は他にもあるのでしょうか。
2人とも俳優や歌手、というパターンは枚挙にいとまがないぐらい、大勢います。有名なところでは、広瀬アリス・すず姉妹ですね。
そうではなく片方がアナウンサー、もう1人は局職員という関係では、佐々木恭子さんとお兄さんがいます。アナウンサーやキャスターではないので知らない人も多いでしょう。
また1人がアナウンサーという関係で有名なのは、生田斗真・竜聖の2人です。こちらは竜聖さんが入社した直後からすぐ、話題になりましたね。
他にも、元は両方ともアナウンサーでしたが後にタレントに転身された、小林麻耶・真央の2人や、元・野球選手の長嶋一茂さんと三奈さんがスポーツキャスターの兄妹が思い出されます。
親子だと誰がいるの?
親子になると、高橋英樹・真麻の2人がすぐに浮かびます。こちらはお父さんが俳優で娘さんがアナウンサーですね。また、徳光和夫さんの息子と甥、ですとか、故・逸見政孝さんと息子なども挙げられます。
どちらも俳優、となると、その数は格段に増えます。渡辺謙さんと杏さん、奥田英二さんと安藤和津さんの娘、安藤サクラさん、故・三國連太郎さんと佐藤浩市さんもそうです。
また、そもそも梨園は世襲制が基本ですから、歌舞伎俳優がテレビのドラマやバラエティ番組に出演すれば家系図が紹介されることも珍しくありません。松たか子さん、松本幸四郎さんなどが良い例です。
最近では、声優の世界でも2世が増えています。どの世界でも家族が務めている世界は一般人が見るよりも身近に感じ、志す人も多いのですね。
小暮裕美子さんはキャスターとして活躍していた
報道記者やキャスターとしての小暮裕美子さんは、どんな活躍をされたのでしょうか。小暮裕美子さんは主に警視庁や文部省(当時)、東京都庁、後には東証アローズからの中継を担当していました。
本人の希望だとしたら、相当、正義感の強いまじめな性格が伺えます。出身も慶應義塾大学の経済学部ですので、専門知識を生かしたい、との気持ちもあったのでしょう。
当時はまだ、男女雇用機会均等法も施行されておらず、男性記者が多い部署では体力的にも大変でした。
小暮裕美子さんの出身と学歴とは?
小暮裕美子さんの父親は転勤の多い職業で、それに伴ってアメリカや東京、広島など、あちこち転校する子供時代を送りました。
転校が多い子供はそれだけ新しい環境になじむ適応力を身につけざるを得ません。転校生は人気者になるか、いじめられるかというイメージですが、小暮裕美子さんなら大丈夫でしょう。
逆に行く先々で友達をたくさん作っていそうです。その経験が仕事でも役に立ったと想像できます。
小暮裕美子さんは広島県出身という噂?
あちこち転校する中で、広島に住んでいたこともある小暮裕美子さん。広島出身との噂もありますが、実際の出身地がどこなのかは、定かではありません。
デーモン閣下は広島を人間界の故郷と公言している
デーモン閣下の出身は地獄ですが、人間界では広島を故郷と思う、と公言されています。確かに世仮の小学生の数年間、広島在住でしたが、それをもって裕美子さんの出身が広島と断定するのは早計です。
デーモン閣下は広島に暮らした経験から、広島・長崎への原爆投下を忘れてはならないと常々、口にされ「Destinyland」という曲も創っています。
さらに「デーモン閣下の地獄のWeb Rock」にも『「忘れない」ということは「考え続ける」こと』として毎年、8月6日または9日に記事を投稿されています。広島では原爆に対する教育も違いますね。
広島での平和教育とは
広島と長崎では、小学校の頃から原爆について教え、考える授業があります。最近は減ってきましたが、校外学習として原爆ドームにも行き、実際に見て原爆の悲惨さを学びます。
また被爆者の方を招いて実際に話を聞く機会もあります。しかし、それ以外の都道府県で育った方はどうでしょう。そんな授業は無かったのでは?
広島から他の地域へ引っ越して学校へ編集した子供は、その点に大きく驚くと言います。夏休みの8月6日(長崎では9日)に登校して黙とうする事も無く、原爆のことをよく知らない生徒のほうが多いことに。
最近の調査では学生の7割が原爆投下の日を答えられなかった、という結果もあります。74年も前とはいえ、自国に起こったことです、この機会に1度考えてみてください。
小暮裕美子さんは中学時代ブラック校則を改定していた?
小暮裕美子さんは、広島での中学時代に生徒会の委員でした。当時この学校には『女子は必ず靴下を三つ折りにしなくてはならない』という校則があり、生徒にとても不評でした。
何故なら冬は寒く、また転んだりした際には怪我がひどくなる恐れがあるからです。靴下の色やデザインに規定があるのは判りますが、折り方は個人の自由に任せても良さそうです。
生徒会委員だった裕美子さんは生徒の意見をまとめ、教職員を説得して『靴下は三つ折りにしてもしなくてもよい』という改定案を取り付けました。
厳しい校則を、部分的にとはいえ変更を認めさせるとは、相当な作戦を練って臨んだのでしょう。
ところが卒業後に母校を訪ねてみると、その校則は『靴下は三つ折りにしてはならない』と変更されていたとか。校則とはそんなもの、とも言えますが、少しあきれてしまいますね。
他にも変わった校則ってあるの?
校則といえば、今にして思えば理不尽なものが多々ありますが、他にはどんなものがあるのでしょうか。ポニーテール禁止、というのはあちこちで耳にする定番ですね。ほかにも髪型に関するものが色々あります。
靴下もストライプは1本なら可、それ以上は不可だとか糊で止めてずり落ちないようにする、とか学校によって様々です。制服もサイズや長さを勝手に変更してはいけない、など成長期にはそぐわないですね。
また最近では生まれつきの天然パーマや地毛が茶色い生徒に対して、証明書を提出させたり黒く染めさせる・ストレートパーマをかけさせる、などの学校もあり、ちょっと行き過ぎの感があります。
生まれつきの特徴である肌の色や髪について事細かに決めるのは、海外出身の生徒も今後、増えるはずですし、グローバル化が進んでいる21世紀には必要ないでしょう。
こうして見てみると、女子生徒への規則が多く見つけられますが、男子生徒にも、真夏でも半ズボンを穿いてはならない、など意味の分からないものがあります。
ある程度の規則は仕方がないでしょうが、必要以上に細かく決めてしまうことは、学生生活を不自由にするばかりか、余計な時間を取らせてしまうので見直した方がいい場合もありますね 。
海外にも変な校則はある!
日本だけでなく海外の学校にももちろん校則はあります。ドラマなどで見るアメリカのハイスクールなどは、服装も自由で羨ましく思いますが、実際はそうでもありません。
制服の決まっている私立学校では着崩すのは禁止ですし、髪も長くなれば結ぶ、と日本と同じです。変わったところではハグや握手が禁止、ドッヂボール禁止、赤ペン禁止などがあります。
これは日本ではありえませんが、アフリカにはライオンを連れてきてはならない、という校則もあります。土地柄といえばそれまでですが、校則で決めなければ連れてくる人がいるんですね。
小暮裕美子さんは慶應義塾大学を卒業している
小暮裕美子さんの出身は慶應義塾大学の経済学部です。とても偏差値の高い大学です。在学中は軽音楽部に所属して、学園祭ではステージにも立っていました。
幼少時にはピアノを習っていたこともあり、音楽が身近にあったのでしょう。人前での発表も得意そうですね。
慶應義塾大学ってどんな大学?
慶應義塾大学といえば、福沢諭吉が創設者で東京6大学の1つ、というのは有名ですが、どんな校風でしょうか。よく「慶應はリベラル」と言われていますね。
創立時の理念の1つに「独立自尊」とあるように自分だけでなく他人の尊厳も重視するというのが基本ですね。またエリートが多いイメージも強いです。
よく比較されるのが早稲田大学ですが、こちらはまず出てくるのが「反骨精神」、晩からなイメージで、同じ6大学の仲間といえどもかなり違いますね。
小暮裕美子さんの結婚相手とは?いつ結婚した?
現在、結婚されている小暮裕美子さんですが、相手はどんな方でいつ頃、結婚されたのでしょうか。小暮裕美子さんと旦那様、どこで出会ったのかなど気になりますね。
1984年にTBSへ入社してから10年後!1994年に結婚!
小暮裕美子さんは1984年にTBSに入社、報道記者としてのキャリアをスタートさせます。1989年に「JNNおはようニュース&スポーツ」という朝6時半からのニュース番組のキャスターに就任しました。
また1992年から1年間はお昼のニュースである「JNNニュース・1130」のキャスターも担当しました。その後は報道局の記者に戻っています。
最近ではニュースをスタジオで読むのはアナウンサーが多いですが、当時は報道記者が毎日スタジオに入り、番組に出演することもありました。
ニュースキャスターとアナウンサーの違い
ニュースキャスターとアナウンサー、混同して使いがちですがどこが違うのでしょうか。アナウンサーとは番組を進行し原稿を読む、ニュースキャスターはそれプラス、自分の意見を述べる、という違いがあります。
実はニュースキャスターというのは和製英語で、アメリカでは「アンカーパーソン」というのが一般的です。リポーターという分類もありますが、こちらは現場で取材し、自分で構成も考えて伝える仕事です。
ニュースキャスターもリポーターも、取材力に加えて、内容を理解し伝える、ジャーナリストの資質が求められますね。
とはいえアナウンサーの仕事が簡単なわけではありません。原稿を正確に読み、視聴者に内容を伝えなくてはいけませんから、こちらも難しい仕事です。
では報道記者とは
先程のリポーターと重複しますが、リポーターよりは取材に重点を置いているのが報道記者です。画面に登場して自分で伝えることが必須ではなく、取材をして記事を書きスタジオで読んでもらうことが多いです。
ニュースキャスターもリポーターも、取材力に加えて、内容を理解し伝える、ジャーナリストの資質が求められますね。
更に報道記者は書くだけでなく、話す能力も求められるので、自分で現場から伝えられるのでしょう。
即時性が求められるニュースの場合には、自ら取材した内容をまとめて簡潔に伝えることもあります。ですので、報道記者からニュースキャスターになる方も相当数います。
相手は報道番組「筑紫哲也 NEWS23」のディレクター
小暮裕美子さんが結婚されたのはTBSに入社10年後の、1994年です。相手の方は、平日夜のニュース番組「筑紫哲也 NEWS23」のディレクターです。
ディレクターの仕事とは
番組制作で、ディレクター又はプロデューサーとの役職の方がいますが、どう違うのでしょう。テレビ番組でいうと、ディレクターは現場で指揮を執り、番組のアイディアをだして実際に制作する立場です。
一方プロデューサーは、本来は番組の企画を考え、枠組みを決めるのが仕事です。出演者や予算を決めるなどがそうですね。
ディレクターは発想力や指揮を執るための人望が必要でプロデューサーは人脈が必要、などともいわれますが、どちらも難しい仕事には変わりありませんね。
小暮裕美子さんの現在とは?
小暮裕美子さんは一時期、キャスターや報道記者として表舞台で活躍しましたが、現在はどのような立場にいるのでしょうか。
小暮裕美子さんは2006年までキャスターとして活躍!
TBSに1984年に入社した小暮裕美子さんは、2006年まで20年以上、報道局の記者として働きました。その間には重大な情報隠ぺいを見つけ指摘する、という活躍もありました。
どの記者が指摘したか、という話はあまり外部には伝わらないので、相当大きな事件だったことがわかりますね。
高速増殖炉もんじゅの漏洩事故ビデオの不自然さを指摘?
重大な情報隠ぺいとは、1995年に発覚した高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩問題です。当時、科学技術庁の担当記者だった小暮裕美子さんが、ビデオの不自然な編集を指摘したことで、問題が発覚しました。
発表されたビデオの内容を鵜呑みにせず、自分の目で確かめるという力は、報道記者という仕事にまじめに取り組んできたからこそ身についた力でしょう。
ビデオを発表した動力炉・核燃料開発事業団は、漏洩事故をメディアに糾弾されるのを恐れた職員が編集したとされ、それが発覚し、さらなる追求を受けました。
現在は報道する内容を選ぶ重要な仕事に就任している
小暮裕美子さんは45歳という年齢で「TBSテレビ編成制作本部報道局取材センター外信部次長」という、報道する内容を決定し人員や予算を割り振る、いわば統括する立場に出世しています。
年齢のことを言いたくはありませんが、45歳で次長というのはかなり早い出世ですね。年齢を重ねて出世し、報道する内容を選ぶという新たな立場でTBSに貢献されています。
会社に貢献するだけでなく、放送するニュースの精査と決定は、視聴者に正しく必要な情報を届ける、という大事な仕事です。
小暮裕美子さんとデーモン閣下のエピソードを紹介!
小暮裕美子さんの弟がデーモン閣下であるというのは先にも書きましたが、どんな姉弟なのでしょうか。どちらも優秀で弁の立つ方々ですので、会話を聞いてみたいですね。
小暮裕美子さんとデーモン閣下は世仮の姉弟!素顔が似ているという噂
小暮裕美子さんとデーモン閣下は世仮の姉弟ですので、顔が似ているという噂はもちろんあります。ですが裕美子さんの写真はほとんどなく、デーモン閣下の人間の姿での写真も当然ですがありません。
因みにインターネットでよく見かける、デーモン閣下の姿で顔が人間の写真はコラージュで、デマ画像です。
子供の頃はそっくりの兄弟姉妹でも、大人になるとあまり…という事はよくあります。こちらの姉弟もそうなのでしょう。