彼とコンビを組んだ「ひまわりキティーズ」は、劇団ひまわりの女の子の子役5人で作られたグループでした。
このグループのひとりは、後に夫婦デュオの「ル・クプル」のメンバーのひとりとして活躍した藤田恵美です。彼女は、現在もソロで歌手活動を行っています。
左卜全は史上最高齢新人として話題になった
- stevepb / Pixabay
1970年2月に「老人と子供のポルカ」を歌って歌手デビューを果たした左卜全は当時76歳でした。
この高齢の新人歌手のレコードデビューと大ヒットに伴い、業界では「史上最高齢の新人歌手が誕生」と大きな話題になりました。
ただし彼の最高齢デビュー記録は、1984年に当時80歳の女優浦辺粂子(うらべ くめこ)、1992年に当時99歳の双子のきんさん・ぎんさんに抜かれてしまいます。
2019年現在もオリコン最長記録は敗れていない
- geralt / Pixabay
最年長デビュー記録こそきんさん・ぎんさんに抜かれてしまった彼ですが、まだ破られていない最年長記録があります。
「老人と子供のポルカ」が、発売3か月後の1970年5月に、オリコンチャート(当時のコンフィデンス誌のシングルチャート)の10位に入ったことです。
左卜全のオリコンチャート最年長記録は、2019年現在もまだ誰も破っていません。
左卜全とのレコーディングは苦労の連続だった
- arembowski / Pixabay
左卜全は帝劇歌劇部で歌の訓練を受けています。だから決してド素人ではありません。しかし歌のテンポが非常に遅く、収録は苦労の連続でした。
3分弱の曲を収録するのに6時間もかかりました。そのため共演者の小学生たちや、周囲の関係者はへとへとでした。しかし彼はマイペースを貫き平然としていました。
我がままといえるほどマイペースを貫いたにもかかわらず、本番で歌い終わる度に、彼は周囲に丁寧なねぎらいの言葉をかけて回ったそうです。
左卜全の老人と子供のポルカはモノマネ芸人に人気になった
- 出典:PhotoAC
彼とひまわりキティーズが歌った「老人と子供のポルカ」は既に廃盤になっています。(曲自体は1970年代の歌謡曲のオムニバス・アルバムやyoutubeで聴くことが可能です。)
しかし、この曲は長く人々の記憶に残り、たくさんの歌手がカバー曲を出していて、そちらでも楽しむことができます。
また「ズビズバ」などの曲中の一節は、清水アキラなどのたくさんのモノマネ芸人のネタとして、使われて来ました。
老人と子供のポルカを聞いた人の感想は?
- Clker-Free-Vector-Images / Pixabay
大ヒットとなったこの曲ですが、当時の世間の評価は賛否両論で、決して高い評価だけを受けていたわけではありません。
「素晴らしい」と、その皮肉の効いた歌詞などを絶賛した人がいる一方、左卜全と子供達の声やリズムのミスマッチを「気持ち悪い」と感じた人もいたようです。
新曲「拝啓天照さーん」も発表していた
- 出典:PhotoAC
この曲の大ヒットを受けて、彼とひまわりキティーズは「拝啓天照さーん」という曲も収録していました。
しかし残念ながら彼が収録直後に亡くなったため、しばらく発売は延期されることになりました。
「拝啓天照さーん」は後にCDとして発売されました。ただし流通量はとても少ないので、残念ながら、今日曲を耳にするチャンスはほとんどありません。
Contents
左卜全が「老人と子供のポルカ」に込めた意味とは
- vectronom / Pixabay
この曲の歌詞はユニークです。「ズビズバ パパパヤー」という掛け声の合間に「ゲバゲバ」「ジコジコ」「ストスト」という意味不明の言葉が入って、最後は「かみさま助けて」で終わります。
この曲の歌詞は軽快で珍妙な印象を与えます。しかしこの曲は、当時の社会情勢や深淵な思想が込められた大変スケールの大きなメッセージソングだという噂もあるのです。
学生運動や交通事故・ストライキの被害者たちのメッセージソング?
- Atlantios / Pixabay
この曲の1番の歌詞に登場する「ゲバ」は学生運動、2番の歌詞の「ジコ」は「交通事故」、3番の歌詞の「スト」はストライキだという説です。
高度成長期であった当時の日本では、経済成長と同時に「ゲバ」「ジコ」「スト」で代表されるさまざまな社会問題も、あわせて発生していました。
それらに対して社会で一番無力な存在である老人と子供が「助けてくれ」と悲鳴をあげた様子を、この曲の歌詞は示しているのだ、というのです。
老人と子供のポルカは「タスケテクレー」と祈る歌だった?
- truthseeker08 / Pixabay
この曲の歌詞は非常にコミカルですが、最後は「神さま助けて」という歌詞で必ず終わります。
それは、この悲惨な社会状況に巻き込まれた老人と子供が「神さま、タスケテクレー」と祈っている歌だからなのです。
左卜全は「天地自然・宇宙進化のために歌っている」と回答していた
- qimono / Pixabay
皮肉なウィットに富んだ歌詞が散りばめられているこの曲ですが、歌っている左卜全の曲に対するイメージは、全く異なったものだったようです。
彼はこの曲についてマスコミからインタビューを受けた際には「天地創造・宇宙進化」のために歌っている、と何やら深淵な表現で、いつも答えていました。
左卜全の「老人と子供のポルカ」は今も愛されている
- OpenClipart-Vectors / Pixabay
「老人と子供のポルカ」は、左卜全の印象的な歌いぶりのせいか、軽快だけど辛辣な歌詞のためか、今日までさまざまな人のインスピレーションをかきたてて来ました。
そのためカバー曲が多数の歌手によって発表されています。
老人と子供のポルカは初音ミクがカバー
この曲は、2009年にVOCALOIDキャラクターの初音ミクによってカバーされ、youtube上で公開されています。
このアレンジに対するコメントは、「癖になる」「原型を保てていない」「アレンジされすぎて吹いた」など、賛否両論あります。しかし初音ミクの可愛らしさも左卜全とは異なる「ひとつの味」でしょう。
2008年にはグレート小鹿・春日萌花もカバー
この曲は、2008年にプロレスラーのグレート小鹿と春日萌花という武闘派コンビによってカバーされています。このアレンジは原曲の味を引き出しているという評判のアレンジです。
老人と子供のポルカはダイナマイトポップスライブでも歌われた
- Free-Photos / Pixabay
この曲は1982年に、お笑い系ロックバンドのダイナマイトポップスのライブでも取り上げられています。
ライブでは、特に曲の紹介の場面が面白くて、客席からのクスクス笑いが絶えませんでした。
老人と子供のポルカはCMやBGMに使われている
- 出典:PhotoAC
左卜全の癖のある歌い方と曲の軽快な雰囲気のミスマッチによるものか、皮肉を込めた歌詞の内容によるものかはわかりません。
しかし「老人と子供のポルカ」はテレビコマーシャルやテレビ番組のBGMのとして、今日も使われ続けてています。
自動車「ホンダ・キャパ」のCM
この曲は歌詞をアレンジされて、2000年に放送された「ホンダ・キャパ(後期型)」のテレビコマーシャルで使われていました。
飲料水「ビタミンウォーター」のCM
この曲はサントリーフーズの清涼飲料水「ビタミンウォーター」のテレビコマーシャルで、あの「銀河鉄道999」のメーテルと鉄郎によって、歌詞をアレンジされて歌われています。
アニメ「Dororonえん魔くん」
2011年に毎日系で放送された「Dororonえん魔くん メ~ラめら」の中で、この曲は効果的なBGMのひとつとして、歌詞をアレンジされて使われています。
TV番組「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」
2017年からテレビ東京系で放送されている「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」でも、この曲が効果的に使われています。
出川哲郎が日本全国を駆け巡るときに利用している電動バイクが電池切れになったときの音楽として、このメロディーが使用されているのです。
左卜全の妻は新興宗教の開祖だった
- 出典:PhotoAC
左卜全の妻、三ヶ島糸は宗教家でした。結婚した後、新興宗教の開祖となったのです。夫は変人の役者で妻は宗教家、かなり風変わりな夫婦だったと思われますが、夫婦仲は良かったようです。
左卜全の妻の宗教の信者は左卜全ただ一人だった?
- 出典:PhotoAC
左卜全はある時期、収入のすべてを真髄している宗教家にささげていたそうです。ただしその「宗教家」とは妻のことでした。
結局、宗教家である夫人が開いた新興宗教の信者は、夫である左卜全ひとりだったようです。
左卜全は妻と共に撮影中に祈ることもあった
- 出典:PhotoAC
左卜全の撮影の際にはいつも妻がそばに付き添っていました。ふたりは撮影の合間に、よく手をあわせてお祈りをしていたそうです。
ただし、左卜全の信心ぶりはどこか変人めいたところがありました。熱心に信心していた割には、お祈りの最中に手を合わせながらよくあくびをしていたそうです。
左卜全と妻は夫婦中がよく、三ヶ島墓苑の同じ墓にはいっている
- 出典:PhotoAC
左卜全自身は、年に一回自分の誕生日に妻と銀座に出かけるのを楽しみにしていました。そして、いざというとき彼女を守ることができるように、護身用の武器をいつも懐に入れていたそうです。
夫妻は亡くなった後も、同じお墓に入っています。その場所は左卜全の生まれた場所の近くにある、埼玉県所沢市にある三ヶ島墓苑にあります。
妻は「奇人でけっこう」という本を出版している
- Comfreak / Pixabay
左卜全の妻の糸は、夫の亡くなった後の1977年に、彼との生活をあらわした「奇人でけっこう」を発表しています。現在では古書としてのみ入手可能です。
奇妙で素晴らしい著作「奇人でけっこう」
- Myriams-Fotos / Pixabay
左卜全の妻の糸が、夫の亡くなった後の1977年に、夫との生活や彼の人間像についてあらわした「奇人でけっこうー夫・左卜全」という本を著しています。
現在は古書でわずかに手に入るだけのこの本にはいろいろと興味深い点が多いのですが、これまで上記で紹介してきた左卜全とその夫人の関係の通説とは、いくらか異なるものが描かれています。
通説とは異なる「糸さん」像
- DGlodowska / Pixabay
まず、本を読んだ感想として読者が口々に取り上げているのは、「気難しい夫に仕える糸さんがとても純粋である」というものです。
そして、通説で取り上げられている「左卜全夫人が新興宗教の開祖」説は取り上げておらず、むしろ彼が心髄する某宗教家にギャラを貢いでしまうので、夫妻はとても貧しい生活を送ったとされています。
この本のなかの左卜全は、夫人の前でも独特の世界観を持った変人だったようです。
左卜全と左とん平との関係は?
左卜全と同じ「左」という名字を使って、同じ芸能界で長く活躍してきた左とん平(1937年(昭和12年)−2018年(平成30年))という俳優がいます。
名字や芸風に近いものがあったため、二人の間には、師弟関係があるのではないか?という噂がありました。
左卜全が左とん平の師匠というのはただのガセ
- tillburmann / Pixabay
両者の間には、特別な師弟関係は全くありません。そもそも左とん平は最初にマネージャーを務めてくれた、後の作家の野坂昭如を師匠として慕っていたそうです。
芸名の由来も、左卜全の「左」は「左甚五郎(江戸時代の伝説的な彫刻師)」、左とん平の「左」は、本名の名字の「肥田木(ひだき)」にあやかったもので、大きく異なります。
左卜全と左とん平はプライベートでも無関係
- tillburmann / Pixabay
二人の「左」の間には、プライベートな付き合いも全くありませんでした。
左卜全は、撮影所においてだけでなくプライベートでも変人ぶりを貫いたため、芸能人の友人は全くいませんでした。当然左とん平とも交流はありません。
左卜全の姉である歌人三ヶ島葭子の人生
- 出典:PhotoAC
左卜全には三ヶ島葭子という異母姉がいます。彼女は歌人として有名になりますが、その生涯は波乱に満ちたものでした。
三ヶ島葭子は本名を「よし」といい、1886年に生まれました。実母は5歳のとき病没、父親は後妻を迎えます。(後妻の子供が左卜全です。)
彼女は女子師範学校に入学するものの、結核のため中退し、西多摩の小学校で代用教員として働きます。やがて結婚のため退職、上京します。
将来を嘱望された歌人
- 出典:PhotoAC
彼女は代用教員時代に与謝野晶子の門下に入り、一時は晶子の後継者とみなされました。しかしその作風に疑問を持ち、上京してからはアララギ派の島木赤彦の門下となりました。
しかし親友の道ならぬ恋に関する論文を雑誌に発表したため、アララギ派を破門となり、別の短歌結社に参加します。
彼女の読んだ短歌は生涯で6,000首以上あります。生前刊行された歌集はわずか1冊でしたが、遺児である倉片みなの尽力で、死後に全集が刊行され、創作の全貌が明らかになりました。
病気や家庭不和と戦った現実
- 出典:PhotoAC
波乱に富んでいても彼女の歌人としての活動は輝きに満ちていました。しかし彼女の現実の生活は、幸せにはほど遠いものでした。
肺の病気を患っているため、生まれた娘は夫の実家に預けられます。そして夫との生活も円満とは程遠く、一時は夫と彼の愛人との同居生活を強いられます。
彼らが去っていった後、ひとりになった自宅で脳卒中のため倒れ、40歳の若さで心身ともにボロボロの状態で亡くなります。
左卜全と宗教
- JordyMeow / Pixabay
夫人との関係のところでも述べましたが、左卜全は宗教に入れ込んだ人生でもありました。
彼の結婚自体も、心髄していた神道系のある老宗教家が亡くなって、彼にギャラを渡し身の回りを世話する、といったそれまでの生活が終わったためといわれています。
- igorovsyannykov / Pixabay
それほど一途に入れ込みながら「腸が煮えくり返るほど」その老師を憎く思うこともあったそうですから、彼の宗教観は、一筋縄では把握することができません。
結婚後の「夫人=新興宗教開祖」説、あるいは夫人の著作による「(別の)老師のギャラを捧げていた」説のどちらが正しいか、真偽は不明です。
もしかしたら時期こそ違え、どちらも事実だったのかもしれません。左卜全は神道系の新興宗教にかなり耽溺していたことはまちがいなさそうです。
左卜全は変人と言われるものの名俳優だった
- Clker-Free-Vector-Images / Pixabay
左卜全はマイペースな生き方を貫く変人でしたが、あの黒澤明監督ですらその我がままを許してしまうような、素晴らしい演技力を持った俳優でした。
中でも夫人である三ヶ島糸との関係に関しては、奇妙な点がいくつか見られますが、左卜全夫妻の仲が非常に良好であったことは間違いありません。二人は今も同じ墓に眠っています。