左卜全とは?七人の侍に出演?老人と子供のポルカの歌詞の意味や死因も

結局、宗教家である夫人が開いた新興宗教の信者は、夫である左卜全ひとりだったようです。

左卜全は妻と共に撮影中に祈ることもあった

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左卜全の撮影の際にはいつも妻がそばに付き添っていました。ふたりは撮影の合間に、よく手をあわせてお祈りをしていたそうです。

ただし、左卜全の信心ぶりはどこか変人めいたところがありました。熱心に信心していた割には、お祈りの最中に手を合わせながらよくあくびをしていたそうです。

左卜全と妻は夫婦中がよく、三ヶ島墓苑の同じ墓にはいっている

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左卜全自身は、年に一回自分の誕生日に妻と銀座に出かけるのを楽しみにしていました。そして、いざというとき彼女を守ることができるように、護身用の武器をいつも懐に入れていたそうです。

夫妻は亡くなった後も、同じお墓に入っています。その場所は左卜全の生まれた場所の近くにある、埼玉県所沢市にある三ヶ島墓苑にあります。

妻は「奇人でけっこう」という本を出版している

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左卜全の妻の糸は、夫の亡くなった後の1977年に、彼との生活をあらわした「奇人でけっこう」を発表しています。現在では古書としてのみ入手可能です。

奇妙で素晴らしい著作「奇人でけっこう」

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左卜全の妻の糸が、夫の亡くなった後の1977年に、夫との生活や彼の人間像についてあらわした「奇人でけっこうー夫・左卜全」という本を著しています。

現在は古書でわずかに手に入るだけのこの本にはいろいろと興味深い点が多いのですが、これまで上記で紹介してきた左卜全とその夫人の関係の通説とは、いくらか異なるものが描かれています。

通説とは異なる「糸さん」像

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まず、本を読んだ感想として読者が口々に取り上げているのは、「気難しい夫に仕える糸さんがとても純粋である」というものです。

そして、通説で取り上げられている「左卜全夫人が新興宗教の開祖」説は取り上げておらず、むしろ彼が心髄する某宗教家にギャラを貢いでしまうので、夫妻はとても貧しい生活を送ったとされています。

この本のなかの左卜全は、夫人の前でも独特の世界観を持った変人だったようです。

左卜全と左とん平との関係は?

左卜全と同じ「左」という名字を使って、同じ芸能界で長く活躍してきた左とん平(1937年(昭和12年)−2018年(平成30年))という俳優がいます。

名字や芸風に近いものがあったため、二人の間には、師弟関係があるのではないか?という噂がありました。

左卜全が左とん平の師匠というのはただのガセ

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両者の間には、特別な師弟関係は全くありません。そもそも左とん平は最初にマネージャーを務めてくれた、後の作家の野坂昭如を師匠として慕っていたそうです。

芸名の由来も、左卜全の「左」は「左甚五郎(江戸時代の伝説的な彫刻師)」、左とん平の「左」は、本名の名字の「肥田木(ひだき)」にあやかったもので、大きく異なります。

左卜全と左とん平はプライベートでも無関係

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二人の「左」の間には、プライベートな付き合いも全くありませんでした。

左卜全は、撮影所においてだけでなくプライベートでも変人ぶりを貫いたため、芸能人の友人は全くいませんでした。当然左とん平とも交流はありません。

左卜全の姉である歌人三ヶ島葭子の人生

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左卜全には三ヶ島葭子という異母姉がいます。彼女は歌人として有名になりますが、その生涯は波乱に満ちたものでした。

三ヶ島葭子は本名を「よし」といい、1886年に生まれました。実母は5歳のとき病没、父親は後妻を迎えます。(後妻の子供が左卜全です。)

彼女は女子師範学校に入学するものの、結核のため中退し、西多摩の小学校で代用教員として働きます。やがて結婚のため退職、上京します。

将来を嘱望された歌人

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彼女は代用教員時代に与謝野晶子の門下に入り、一時は晶子の後継者とみなされました。しかしその作風に疑問を持ち、上京してからはアララギ派の島木赤彦の門下となりました。

しかし親友の道ならぬ恋に関する論文を雑誌に発表したため、アララギ派を破門となり、別の短歌結社に参加します。

彼女の読んだ短歌は生涯で6,000首以上あります。生前刊行された歌集はわずか1冊でしたが、遺児である倉片みなの尽力で、死後に全集が刊行され、創作の全貌が明らかになりました。

病気や家庭不和と戦った現実

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波乱に富んでいても彼女の歌人としての活動は輝きに満ちていました。しかし彼女の現実の生活は、幸せにはほど遠いものでした。

肺の病気を患っているため、生まれた娘は夫の実家に預けられます。そして夫との生活も円満とは程遠く、一時は夫と彼の愛人との同居生活を強いられます。

彼らが去っていった後、ひとりになった自宅で脳卒中のため倒れ、40歳の若さで心身ともにボロボロの状態で亡くなります。

左卜全と宗教

 

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夫人との関係のところでも述べましたが、左卜全は宗教に入れ込んだ人生でもありました。

彼の結婚自体も、心髄していた神道系のある老宗教家が亡くなって、彼にギャラを渡し身の回りを世話する、といったそれまでの生活が終わったためといわれています。

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それほど一途に入れ込みながら「腸が煮えくり返るほど」その老師を憎く思うこともあったそうですから、彼の宗教観は、一筋縄では把握することができません。

結婚後の「夫人=新興宗教開祖」説、あるいは夫人の著作による「(別の)老師のギャラを捧げていた」説のどちらが正しいか、真偽は不明です。

もしかしたら時期こそ違え、どちらも事実だったのかもしれません。左卜全は神道系の新興宗教にかなり耽溺していたことはまちがいなさそうです。

左卜全は変人と言われるものの名俳優だった

左卜全はマイペースな生き方を貫く変人でしたが、あの黒澤明監督ですらその我がままを許してしまうような、素晴らしい演技力を持った俳優でした。

中でも夫人である三ヶ島糸との関係に関しては、奇妙な点がいくつか見られますが、左卜全夫妻の仲が非常に良好であったことは間違いありません。二人は今も同じ墓に眠っています。

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