岡田健史の本名と芸名の由来は?高校野球部時代や俳優デビューの背景も

岡田健史は2018年放送のドラマ「中学聖日記」で有村架純の相手役として俳優デビューしました。岡田健史は本名ではなく芸名だった?意外な本名や人々を引き付ける演技と存在感について、また野球一筋だった学生時代に演劇の道へと導かれた彼の生い立ちについて調べてみました。

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岡田健史とは?

最近ドラマなどで見かけるようになった岡田健史とはどのような人物なのでしょうか?気になる本名は?まずは岡田健史の魅力あふれるプロフィールをWiki風でご紹介していきます。

岡田健史のプロフィール

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芸名 岡田健史(おかだけんし)
本名 水上恒司(みずかみこうし)
生年月日 1999年5月12日
血液型 A型
出身地 福岡
身長 180㎝
体重 67㎏
出身校 創成館高校
趣味 筋トレ
職業 俳優
所属事務所 スウィートパワー

岡田健史は昨年3月に高校を卒業したばかりの20歳。岡田健史は本名ではなく芸名です。また趣味は筋トレと若さ溢れる彼の魅力について順に紹介していきます。

岡田健史の経歴

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岡田健史の初舞台はは長崎県の創成館高校にて高校三年生の時です。九州高等学校演劇研究大会に出場「髪を梳かす八月」の特攻隊員役で出演。初舞台ながら見事に最優秀賞を受賞します。

2017年現在の事務所スウィートパワーに所属し芸能界入り。2018年にドラマ「中学聖日記」の有村架純の相手役『黒沢晶』役でドラマデビュー。『週刊ザテレビジョン』主催第99回ドラマアカデミー助演男優賞を受賞。

ドキドキハラハラの禁断の教師と生徒の恋愛を描いたドラマ。岡田健史は等身大の高校生の姿を感情むき出しに演じお茶の間の心を鷲掴みにしました。デビュー作とは思えない圧巻の演技はとても話題になりました。

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2019年7月、FBS福岡放送50周年記念のスペシャルドラマ『博多弁の女の子はかわいいと思いませんか?』でドラマ初主演。東京(あずまみやこ)役を演じています。「今日から俺は!!」のプロデューサーが企画するラブコメディー。

地元福岡の作品で、福岡から東京に転向した男の子の設定でまさに岡田健史の為のドラマと言えるでしょう。ドラマの中で多用される博多弁も魅力の一つとなっており、地方初のドラマならではの温かいストーリーとなっています。

岡田健史の本名は?

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岡田健史という名前は芸名?本名?よくある苗字ですが実際はどうなのでしょうか?芸能人となるとやはり気になるのが本名ですよね。その点についてもご紹介します。

岡田健史の本名は水上恒司

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岡田健史の本名は水上恒司です。読み方は『みずかみこうし』といいます。本名も芸名にしても良さそうな素敵な名前です。『恒司』という名前はとても珍しいです。

「岡田健史」の由来は?

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「岡田健史」という芸名の由来がとても気になります。また、なぜ本名は使われなかったのでしょうか?実はこの名前の由来は定かではありません。

恐らく本人を特定されないように名付けられたのではないかと思われます。ネット上では「健司」から『剣士けんし』とイメージさせているとい説が出ています。

今後海外で活躍することがあった時に日本人らしいネーミングがいいのでは?と考えられたとの事。本名もカッコイイのですが熟考されて芸名になったのですね。

岡田健史は高校時代まで野球一筋!

岡田健史が野球を始めたのは小学生の頃。本格的に野球に打ち込む為高校では親元を離れ長崎県での寮生活をするのです。幼い頃から野球に打ち込んでいたことはとても有名です。

彼は高校時代どのような生活をしていたのでしょうか?芸能人として光るものはすでにあったのかなど、現在の岡田健史の土台となる学生時代について詳しく見ていきます。

高校時代は創成館で捕手を務める

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岡田健司は高校で甲子園を目指す為、地元福岡から長崎の創成館高校へ特待生として進学します。高校3年間は寮生活をし、雨の日も雪の日も練習に明け暮れました。

ポジションはキャッチャーでした。残念ながら甲子園には出場出来ませんでしたが青春時代を全て野球に捧げました。悔しい思い、そして結果を出せなかった負い目を感じてしまいました。

野球のために5年間スカウトを断り続けた

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イケメン高身長でスタイル抜群の岡田健史。実は中学生の頃から様々なところからスカウトを受けていたのです。しかし甲子園に出場する夢があり、野球に対しても思いは強くスカウトを断り続けていました。

しかし野球部を引退した後に演劇に興味を持った彼は、粘り強く交渉を続けていた現在の事務所スウィートパワーにお世話になる事になったのです。

岡田健史は長崎県の高校へ進学しましたが他の芸能人の出身校について興味はありませんか?こちらの記事もご覧ください。

俳優デビューに両親は反対していた

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岡田健史は高校三年生の時演劇の素晴らしさに気付きます。そして徐々に俳優への志が強くなり両親に思いをぶつけますが厳しい世界である芸能界、当然大反対されたのです。

これまでも野球に専念し、根気強くやり続けてきた岡田健史。しかし両親の思いは「覚悟を持ってやらないと通用しない」という厳しい意見でした。しかし演劇への気持ちは変わる事はありません。

なので失敗しても自分で責任を取ると覚悟を決めて、1ヵ月に渡って説得。「自分の人生だから好きな事をやらせて欲しい。」と頼み芸能界入りを果たします。

岡田健史は高校時代に演劇部の経験もあった?

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続いては岡田健史が俳優の道を志すキッカケとなる出来事についてのお話です。打ち込んでいた野球を卒業する時に運命は思わぬ方向・演劇への道に進むのです。

野球部引退後に助っ人で舞台へ立つことに

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野球部を引退後、演劇部の先生、そして何と校長先生から助っ人で舞台に立たないかと打診されるのです。甲子園という大きな目標を失った今、何か役に立てる事があればと引き受けます。

地区大会、県大会と勝ち進み、遂に九州高等学校演劇研究大会に出場します。演劇の初舞台は原爆が題材の「髪を梳かす八月」という作品で岡田健史は特攻隊員役でした。

そこで見事に創成館高校は最優秀賞を受賞したのです。岡田健史はこれまでの演劇は未経験だったにもかかわらず審査員から高評価を得ることが出来、演技の面白さに目覚めました。

審査員の言葉が役者を志すきっかけに

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岡田健史が俳優を志す決め手となったのが、今回の舞台での審査員の言葉であると言われています。大勢の前で審査員や観客に名指しで評価されたこと。人生初の演劇の経験に今までに感じた事のない気持ちいい感覚に襲われました。

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