岡田健史の本名と芸名の由来は?高校野球部時代や俳優デビューの背景も

これまでも野球に専念し、根気強くやり続けてきた岡田健史。しかし両親の思いは「覚悟を持ってやらないと通用しない」という厳しい意見でした。しかし演劇への気持ちは変わる事はありません。

なので失敗しても自分で責任を取ると覚悟を決めて、1ヵ月に渡って説得。「自分の人生だから好きな事をやらせて欲しい。」と頼み芸能界入りを果たします。

岡田健史は高校時代に演劇部の経験もあった?

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続いては岡田健史が俳優の道を志すキッカケとなる出来事についてのお話です。打ち込んでいた野球を卒業する時に運命は思わぬ方向・演劇への道に進むのです。

野球部引退後に助っ人で舞台へ立つことに

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野球部を引退後、演劇部の先生、そして何と校長先生から助っ人で舞台に立たないかと打診されるのです。甲子園という大きな目標を失った今、何か役に立てる事があればと引き受けます。

地区大会、県大会と勝ち進み、遂に九州高等学校演劇研究大会に出場します。演劇の初舞台は原爆が題材の「髪を梳かす八月」という作品で岡田健史は特攻隊員役でした。

そこで見事に創成館高校は最優秀賞を受賞したのです。岡田健史はこれまでの演劇は未経験だったにもかかわらず審査員から高評価を得ることが出来、演技の面白さに目覚めました。

審査員の言葉が役者を志すきっかけに

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岡田健史が俳優を志す決め手となったのが、今回の舞台での審査員の言葉であると言われています。大勢の前で審査員や観客に名指しで評価されたこと。人生初の演劇の経験に今までに感じた事のない気持ちいい感覚に襲われました。

そこで俳優になりたいとはっきり決める事が出来たそうです。緊張より楽しさが勝っえていたという。そして舞台に立つ快感を知った岡田健史は、野球での悔しい経験も俳優としての糧にしたいと前向きに考えるようになるのです。

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