中川勝彦(中川翔子の父)の死因は白血病?スキャンダル画像流出の真相も

しょこたんが夏に自宅で眠っていた時に金縛りに遭い、パソコンが勝手に起動しキーボードを叩く音まで聞こえた事があったそうです。その数カ月後、普段は使わないメールソフトに1件の下書きがありました。開いてみると件名には「katsuhiko」アドレスは「nakagawakatsuhiko」、下書きを保存した日付は1999年7月20日となっています。

その日はなんと父・中川勝彦さんのバースデーでした。夏にパソコンが勝手に起動した事を思い出して、これは悪霊なんかではなく生前からいつもいたずら好きだったお父さんが天国から見守っていてくれるサインだと喜びました。母・佳子さんがその画像をカメラに収め動画内で見る事ができますので確認してみて下さいね。

中川勝彦にまつわるエピソードまとめ

実はミュージシャンより俳優デビューの方が早かった中川勝彦さんの初出演は、1981年公開「ねらわれた学園」です。主演の薬師丸ひろ子さんの相手役オーディションの最終選考を残り、僅差で高校の1年後輩の高柳良一さんに合格され個性的な同級生役を演じました。ここではさまざまなエピソードを紹介します。

ビジュアル系アーティストの先駆け的存在

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80年代当時はまだ少なかったビジュアル系アーティストです。日本のグラムロックでは本田恭章さんと双璧をなす実力とルックスの持ち主ですが、気さくで腰の低い方で業界でも人気がありました。ラジオでも下ネタ発言で謹慎処分を食らうなど茶目っ気たっぷりで、共演の兵藤ユキさんや北野誠さん・桑田晴子さんとも親交が深い関係でした。

またデビュー当時はムーンライダースがバックを務め全面的にサポート、カルチャークラブ来日公演のオープニングアクトも務め、さらに日本を代表する世界的ギタリストのCharさんとはひょんな事から偶然知り合いその後ユニット「Maji-Magic」を結成。充実した音楽性で11枚のシングルと12枚のアルバム・メモリアルアルバムをリリースしています。

できちゃった婚で中川翔子を授かる

1984年頃中川勝彦さんが交際していた佳子さんの妊娠がわかり結婚、翌1985年しょこたんが誕生しました。しかしビジュアル系アイドル路線で活動しスキャンダルはご法度でもあり信頼できる親しい関係者や友人以外には全て秘密だったため、しょこたんがタレント活動を始め自ら「父は中川勝彦」と明かすまで、業界でも知る人は極々わずかでした。

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