范文雀の一生をまとめてみた!スピード離婚の理由は?死因の病気は?

昭和の時代に巻き起こった空前のバレーボールブームでの「サインはV」に出演し人気を博した范文雀さんを覚えていますか?台湾出身で人気の絶頂期に結婚と離婚でも話題になり、晩年悪性リンパ腫の心不全を死因に惜しくも亡くなられた范文雀さんについてご紹介します。

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ROCKとマンガと家事が大好きなイケてるパパ(自称)
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范文雀とは

アジア人ならではのエキゾチックな顔立ちで当時の男性諸氏を虜にした美人女優です。大学に在学中から芸能活動を開始し共演者の寺尾聰さんと結婚し芸能界を引退するも1年で離婚し芸能界に復帰。2002年に亡くなるまで多くのテレビ番組や舞台に出演した范文雀さん人生に触れていきましょう。

范文雀のプロフィール

1948年の4月15日に東京都中野区で台湾国籍のご両親の元に誕生しました。5歳から広島の祖父母の家で過ごし、15歳で家出して東京に戻り清泉女子大学英文別科を卒業、上智大学外国語学部比較文化学科の在学中に「特捜最前線」で女優デビューを飾ります。范文雀は本名で「孔雀の様に美しくなるように」と名付けられました

范文雀の経歴

当時大流行したバレーボールマンガを実写ドラマ化した「サインはV」では骨肉腫を死因にこの世を去る悲劇の混血アタッカー「ジュン・サンダース」を演じ全国のファンから多くの助命嘆願の手紙が届くほどの人気が爆発、その後の当時の婦女子の憧れの職業・スチュワーデスをモデルにしたドラマ「アテンションプリーズ」で大ブレイクしました。

その他范文雀さんは「野良猫ロック」「プレイガール」など多くの作品に出演されましたが、後述に画像や動画を記載してありますのでお楽しみください。

范文雀の波乱万丈な人生!

人一倍感受性が鋭く聡明であり大物男優が相手であっても気に入らなければ共演を辞退し、決して人に媚びり事がないストイックを貫く姿勢が多くのスタッフやファンを魅了した范文雀さんの波乱万丈な人生をご紹介します。

范文雀の幼少期

范文雀さんは東京都中野区に誕生し台湾国籍でしたが、両親ともに日本育ちだったので中国語は全く話せなかったそうです。5歳の時に音楽家の父親が台湾に帰国してしまったので広島市内で中華料理店を営む祖父母の家で育ちました。可愛がってくれた祖母にはどうしても馴染めず15歳で家出し東京に戻り高校・大学と進学し女優の道を歩みます。

范文雀のブレイクと絶頂期

1969年に放送されたドラマ「特捜最前線」の端役での出演がきっかけになり、1970年の「プレイガール」や、混血のアタッカーを演じた「サインはV」の第10回から出演したにもかかわらず大人気を博し、「アテンションプリーズ」ではヒロインの親友を演じ人気の絶頂期を迎え、その最中に「2丁目3番地」で共演の寺尾聰さんと知り合います。

范文雀の離婚と女優復帰

共演をきっかけに1971年から交際を経て1973年の寺尾聰さんとの結婚を機に芸能界を引退するも1年5ヶ月ほどで破局を迎え、1974年の11月には離婚が成立して芸能界に復帰しました。離婚の記者会見には結婚式の仲人を務めた石原裕次郎さんと奥様のまき子さんがそれぞれに寄り添う形で行われました。

芸能界に復帰後も数多くのテレビドラマや映画・舞台に出演していた范文雀さんは、新たな出会いで「愛の嵐」で共演する荻島真一さんと交際・同棲を公表、しかし結婚には至らず破局を迎えます。また、いとこの余貴美子さんもその1年前の1976年に范文雀さんに憧れ女優として芸能界入りを果たしています。

范文雀の最期

MabelAmber / Pixabay

結婚や離婚を経てその後独身だった范文雀さんは、1998年には腋のリンパ節の悪性リンパ腫のため半年間の入院生活を送り、一時期は小康状態に戻りましたが2002年に症状が悪化し同年11月5日死因を心不全とし54歳と言う若い年齢でこの世を去りました。

范文雀の元夫・寺尾聴とは?2人の馴れ初めは?

グループサウンズ時代に人気を博したバンド「サベージ」のベーシストであり、石原軍団の俳優としても活躍。後年「ルビーの指輪」の大ヒットで知られる寺尾聰さんと范文雀さんの結婚の馴れ初めは、1973年のテレビドラマ「2丁目3番地」での共演がきっかけとなりました。

范文雀の当時の交際相手

実は范文雀さんと寺尾聰さんが知り合った当時はお互いに別の交際相手がいた事も知られています。范文雀さんはショーケンの愛称で知られる歌手・俳優の萩原健一さんと、寺尾聰さんは台湾を代表する歌手ジュディ・オングさんと交際していました。范文雀さんは萩原健一さんとほどなく別れ俳優の石橋正次さんと短期間交際され結婚はされていません。

范文雀がスピード離婚!その理由は?

結婚期間1年5ヶ月と言う短期間で離婚された理由については、寺尾聰さんは石原裕次郎さん夫妻のような家庭を築きたかったが俳優と女優と言う職業柄すれ違いが多い生活が原因とされ、范文雀さんからは「性格の不一致や最初から相い入れないものがあった」と、やはり当事者以外には理解し得ない離婚理由があったのでしょう。

仲良く見える夫婦であっても離婚の噂が立つ場合もあります。芸能界きっての仲良し夫婦江口洋介・森高千里夫妻に於けるまさかの離婚の噂に関しての記事はこちらから。

范文雀と荻島真一

1971年に劇団四季の「信長記」で舞台デビューし、テレビドラマや映画でも現在で言ういわゆるイケメン俳優として人気のあった荻島真一さんとの出会いは1977年のテレビドラマ「愛の嵐」での共演がきっかけです。

范文雀と荻島真一の接点!

日本テレビ系列の火曜劇場で人気だった香山美子さん主演の「愛の嵐」では、主人公の夫の弟役を演じる荻島真一さん、その夫の愛人役の范文雀さんがドラマさながらに出会い、交際・同棲を始めます。お二人の関係はマスコミにもオープンにされていましたが結婚までには至らなかったようでした。

范文雀と荻島真一のその後

残念な事に荻島真一さんも范文雀さんが亡くなった2002年11月5日から2年後の、2004年11月11日に死因を胆管がんと言う癌の中でも早期発見が難しい癌を患い58歳でこの世を去っています。

范文雀の死因は何?若すぎる死とは?

范文雀さんが2002年に若くして亡くなられてから死因が「心不全」と公表されましたが、正しい死因は「悪性リンパ腫と言う癌による心不全」と言う事です。この世代の俳優・女優の若くして世を去る原因の多くが癌にまつわる死因である事からも癌検診は多くの方に必要ですね。

范文雀が抱えていた病気

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