エドワード・モードレイクは2つの顔を持つ男?嘘?本当?逸話を紹介

人間は眠らないと死ぬ事はありませんが、精神的な疲労が解消できずに猜疑心や幻覚・幻聴などが現れて正常な思考能力が失われます。精神的な圧迫により危険な状態だった事は言うまでもありません。簡単に当人の幻覚による妄想とは片付けられず、追い詰められ不眠が続き精神が病みとうとう限界を迎えます。

エドワード・モードレイクの死因は?

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最終的に精神的に追い詰められ疲弊したエドワード・モードレイクは己の置かれる恐ろしく呪わしい状況に耐えかねてとうとう猛毒を飲み死んでしまいました。もしも後頭部に自分の意思とは全く反対の表情を持ち、24時間真夜中も眠る事なく恐ろしい話を囁く顔があったとしたら耐えられるでしょうか。

23歳という若さで自殺したエドワード・モードレイク

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自らの命を絶つ事のみで悪夢のような状況から逃れられるすべを持てなかったのは実に気の毒であり、逆に生まれてから死ぬまでの長い年月を良くぞ耐え抜いたと賞賛を贈りたいほどの精神力です。生前に書かれ残された遺書にはエドワードの最後の願いが綴られます。

後頭部の顔を切断するよう遺言があった

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「死んだ後は悪魔の囁く声を聞く事が出来ないように、後頭部の顔を切り取って自分とは別の場所に葬ってくれ」と言うショッキングな内容が記してあり、実際にエドワード・モードレイクの遺言通り執り行われました。

後頭部の顔はズタズタにして別の場所へと埋められた

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遺体から切り離された顔と呼べる部分は、細かく切り刻まれ遺体を埋葬した墓とは遠く離れた森の奥深くの土中へと埋葬しました。ついにエドワード・モードレイクが長きに渡り求めていた安眠を手に入れる事ができたのが自身の死後であったとは何と悲しい結末でしょうか。

エドワード・モードレイクの写真はある?

2019年の現代ではネットで検索するとたくさんのグロテスクな写真が数多くヒットするでしょう、それらすべてはその恐ろしい話を再現するために作成されたものです。現代とは違い全てを写真に収めたい欲求に駆られた人間がそう多くなかった1800年代だとしても、医学的見地からも病気と思しき記録写真は残しておくべきでしょう。

エドワード・モードレイクの写真は存在しない

大英帝国の19世紀に無かった訳ではありませんが最古の写真は1825年頃に撮影されており、肖像写真が貴族などに普及したのは1840年代に入ってからです。著名人では1848年撮影のエドガー・アラン・ポーの肖像写真が知られていますが、やはりエドワード・モードレイクは呪いや病気の自らを写真に残す事は望まないかと考えます。

エドワード・モードレイクを再現した写真や動画は存在する

現代ではネットで検索すれば容易に再現されたエドワード・モードレイクを閲覧する事が可能です。人々の口から口へ噂が広まり始めた当時には真意の問われるものばかりで、さらに人々の恐怖心と興味を引き存在の是非を曖昧にしていったのでしょう。

情報は多くても混乱を招きますが、少なくてもそれを真実と受け止め信じ込んでしまう危険な可能性も孕んでいます。エドワード・モードレイクは実在か、好事家の仕組んだフェイクなのか、後世の情報だけでは真実はまだ見えてきません。

エドワード・モードレイクは本当にいたのか?

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悲運を背負ったエドワード・モードレイクのアイデンティティと言う原点に立ち戻ると、実に怪しく曖昧で無責任な記述のもとに成り立っている事を否定する事はできません。すべて嘘と言う説も無きにしもあらずです。

エドワード・モードレイクの話は嘘という説が有力

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それこそエドワード・モードレイクが生きた19世紀のイギリスに於ける医療は、現代とは想像を絶するほど異なる奇妙なものでした。1849年のイギリスで起きた黒死病と呼ばれたコレラのパンデミックで5万2千人以上の死者を出した事からも分かるように”伝染病は空気感染する”と言う誤解釈の基にさまざまな恐ろしい医療行為が平然と行われた時代です。

公爵と言う高い爵位を持つ貴族のエドワード・モードレイクの短い人生23年間に、全く医者が関与していないとは考えられません。後頭部の顔を治療してくれと頼まれても主治医と思われるマンヴァーズ医師とトレッドウェル医師も稀有な症例にカルテなどを全く残さないのも疑惑のひとつとなり、さらにこの話の発端がそれを濃厚なものに裏付けます。

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