立島夕子とは?画家で人形作家!
立島夕子という画家について詳しく調べてみました。絵画活動以外に人形作家・パフォーマーとしての顔も持っています。東京で1974年に生まれ 女子美術大学に進学し、絵画学科の版画コースを専攻。卒業後は個展など精力的に開きます。
立島夕子の代表作「わたしはもうお嫁にいけません」はストーカーによる強姦未遂被害の後に制作された作品です。20歳の時に実母が死去したことも重なり精神状態が悪化、境界型人格障害と診断されています。
また彼女の作品には広島の原爆をテーマに最多作品も多く存在します。その理由は立島夕子の幼い頃に周囲に被ばく者がいたこと、小学生の時の広島県出身の担任が見せた被爆者の写真を見て逃げたことによる罪悪感からきていると語っています。
有名な立島夕子の絵「わたしはもうお嫁にいけません」とは?
「わたしはもうお嫁にいけません」の絵をネット上で見たことがある人は多いのではないかと思います。一時期、ネット上では検索してはいけない言葉として有名になりました。この絵は赤を基調にした油絵で、首がとんでもなく長い少女がこちらを見開いた目で見つめています。見る人を不安にさせるこの絵が完成したいきさつを詳しく紹介していきます。
描いた人が自殺したという噂が流れていた!
あまりの絵の不気味さに、恐怖画像として拡散され精神病の患者が自殺する前に描かれた絵としてネット上に拡散されました。実際そういわれてみると納得できそうなくらい不気味な絵です。見てはいけない、検索してはいけないなどとおどろおどろしく紹介されたら見たくなるのが人間ですよね。
実際は本当の作者は自殺などしてはいなかったのです。この絵は不気味な絵としてまたたく間に有名になり立島夕子の代表作となりました。作者が判明した今でもなお、検索してはいけない絵として語られています。
立島夕子がストーカー被害に合った末の精神状態で描いた絵
この有名な絵は1999年、立島夕子が24歳の年に制作された絵でした。この当時、立島夕子が信頼していた人物から24時間付きまとわれ、精神的に疲労していた時期でもありました。「戦慄!世界の心霊・恐怖画像」という書籍で検索してはいけない言葉特集を組んでいて、立島夕子のこの絵に込められたメッセージを語っています。
現在この書籍は販売されていないため、国立国会図書館を利用するしか見るすべはありません。
その他検索してはいけない言葉に興味のある方はこちら
立島夕子の「病気説」の真相
怪絵「わたしはもうお嫁にいけません」の発表後、ネット上では作者が何か心身に病気を抱えているのではないかという噂が出回りました。Twitterのプロフィール欄には心と体の病気が羅列されています。画家は制作中に自身の内面と向き合う時間があまりに長く、病んでしまうことがあるといわれていますが実際はどうなのでしょうか。
ストーカーの恐怖で心臓発作・性暴力の経験から精神を病む
身近な人物からの執拗な干渉や付きまといによって、立島夕子が精神的に病んでしまうのにそう時間はかかりませんでした。またその人物から強姦未遂の暴力を受け、恐怖により一時的に心臓発作の症状が出ることになり救急車を呼ぶ騒ぎにまで発展し、心身ともに疲弊した彼女は非常に不安定になってしまいます。
立島夕子はリストカットの経験も語っている
元々家庭環境も健全なものではなかったと語る立島夕子は、自身の家族についてこう語っています。父親は高圧的で支配者のようにふるまい、誰に対しても情が薄かったようです。半面母親に対しては心を開いていたらしく、今でも個展には母親の遺影を飾っているとか。
そんな母親も早くに亡くしてしまった立島夕子は、精神的に不安定な時期が重なりリストカットも経験したと後に語っています。リストカットとはストレスの発散方法としても用いられ、命がけの言葉にならないSOSともいわれています。
立島夕子のホームページ「立島夕子の地下要塞」の絵画
立島夕子は自身のホームページを立ち上げています。「立島夕子の地下要塞」と題したホームページには彼女の略歴や制作した絵画、人形や写真などが掲載されており個展記録も詳しく書かれています。
立島夕子の絵画①「美里自決」
少女が泣きながら薬のようなものを飲みこんでいる様子が描かれています。黒や藍色を基調とした背景に横たわる少女。この絵は立島夕子の自殺した友人を描いたものだと言われています。
立島夕子の絵画②「郁枝出棺」
郁枝出棺は棺に横たわる死人が花に囲まれている様子が描かれています。死人の枕元には手紙が置かれ体はたくさんの花に囲まれています。周りは嘆き悲しむ人々が何人かいますが遠巻きにこちらを見ている人もいます。この絵は人形作家をしていた立島夕子の友人が事故死してしまい、その友人の追悼の為に描かれたと言われています。
立島夕子の個展は個性的なテーマが魅力!
立島夕子は定期的に個展を開催しています。2000年11月に行われた二度目の個展では「爆心地のマリア」と題されました。彼女の個展は様々なテーマがあり、現在も精力的に個展を開催しています。
立島夕子の個展は個性的なテーマが魅力!
カルチャー雑誌EATERで「爆心地のマリア」個展についてこの個展のテーマは原爆であると語りました。立島夕子の小学校時代の教師が持ってきた被爆者の写真集「原爆のケロイド」を恐怖に漢字逃げてしまった罪悪感が今も残っていて、その後図書室で広島関連の本を片端から読みふけったそうです。
「何か、ずっと10歳のころから広島に呼ばれている」と語った立島夕子はその後も度々被爆者の絵を描き続けています。
立島夕子は2019年現在も作品展を開催!
2019年には人形博物館「花魅地獄太夫展」「犬神佐兵衛の密かな愉しみ」に作品を出展していることがSNSで発表されました。このイベントは古民家で行われていて中に無数の人形が展示されています。和人形やアンティークドールが並び、花魁の人形、少女の禿がうつろげな表情をしているさまがよく現わされています。