齋藤飛鳥の母親はミャンマー人?どんな人?家族の情報も!

CMの他、子供向けバラエティ番組『ピラメキーノ』にも出演。乃木坂46以前の芸能活動でも才能を発揮されていたようです。それほど、可愛さが際立っていたということでしょう。

母の故郷ミャンマーへの旅

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テレビ番組『情熱大陸』のなかで「アジアのかたとの交流が増えていくことに母親がすごい喜んでくれるので、何か(国際交流に貢献するようなことが)出来たらなぁと思っている」と語っていた齋藤飛鳥さん。

乃木坂46シングルのヒット祈願でミャンマーを旅した2016年のテレビ企画は、飛鳥さん母娘にとって喜ばしい出来事だったことでしょう。

ミャンマー旅ロケで”ゴールデンロック”にヒット祈願

飛鳥さんは、絶妙なバランスを保つ巨大な岩、ゴールデンロックを訪ねました。お釈迦様の聖なる髪の毛の力のおかげで、落ちないのだと言われています。

参拝者が貼り付けた金箔で全体が黄金に輝いているゴールデンロックですが、実は女性が触ることは禁止されています。

飛鳥さんは最大限に近寄れる位置から、楽曲ヒットのために心を込めてお祈りし、現地ガイドの男性に代理で金箔を貼り付けてもらいました。

ミャンマーで母方の親戚と再会

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番組中、お母さんの姉と妹、そして妹の夫さんが飛鳥さんに会いに来てくれました。飛鳥さんは驚きながらも「あ、覚えてる!」と嬉しそうな声。

しかもこの日は飛鳥さんの誕生日だったで、日本語で「誕生日おめでとう」と言ってくれたのです。

異国の地で、親戚からの暖かいサプライズ。飛鳥さんにとって、自分のルーツを感じられる貴重な体験だったことでしょう。

ミャンマーと日本はどんな関係?

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グーグル翻訳で「こんにちは」と入力すると「အဲဒီမှာမင်္ဂလာပါ」と変換されます。全体的に丸みを帯びたこの文字は、ミャンマー語。見慣れない人には、文字というより紋様に近い印象かも知れません。

多くの日本人にとって、ミャンマーは「よく知らない国」ですが、ミャンマーと日本にはどのようなつながりがあるのでしょうか。

太平洋戦争中にミャンマーを占領した日本

ご存じなかった方には衝撃的な話ですが、大日本帝国は東南アジアを軍事的に占領するために活動しており、ミャンマー(当時の国名はビルマでした)も数年間、占領下にありました。

日本軍支配下では食べ物や生活用品の不足、強制労働やミャンマー人への虐待が発生したという記録が残っています。

ミャンマーの人たちは太平洋戦争を冷静に捉えている

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彼らは学校の歴史教育を通じて日本占領期の苦しみと抗日闘争について学んで十分な知識を有しているが、一方で、そこで得た知識を今の日本と直接的に結び付けることはしない。(引用:WEDGE Infinity)

現代のミャンマーの人たちは祖国の戦時中の苦しみを学んでいても、日本の過去の罪と、今の日本人を切り離して考えていると言われています。

仏教が広く信仰されているため、過去の怒りにとらわれず穏やかな姿勢を選ぶ人が多いのでしょうか。

私たちは過去の日本が東南アジアで犯した過ちに関する史実を冷静に学び、先方が抱くこの時代の歴史認識に対し、謙虚な対応を心がけるべきである。(引用:WEDGE Infinity)

一方、私たち日本人は、戦争の危険をふたたび招かないように厳しく見張る役目を国際社会から期待されています。

平和を願うのは誰にとっても当たり前のことですが、元加害国に住む私たちにはより強い決意が求められるのです。

齋藤飛鳥さんとそのご家族のように、日本国外に縁がある人はこれからも増えていくでしょう。国際社会で友好的な関係を築くためには、近代日本の過去の過ちについて学んでおくのが良いと言えるでしょう。

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