常紋トンネルから大量の人骨?タコ部屋労働や人柱伝説の真相に迫る!

しかし、法の目を潜り強制労働を課す為に作られたのがタコ部屋でした。北海道の鉄道路線である網走線や、根室線等や、路線内にあるトンネルの殆どがタコ部屋の労働によって建設されました。昔の北海道では日常茶飯事で、珍しいことではなかったのです。

常紋トンネルの「人柱」のついて

タコ部屋の存在や強制労働の話は、あくまで確証のない噂話として広まっていました。しかし、十勝沖地震の発生によって発見された「人骨」により、タコ部屋が存在していた過去が明らかになったのです。

「人柱」と見られる人骨十勝沖地震の際に見つかった

1968年5月16日にマグニチュード8前後の大地震、十勝沖地震が発生しました。その影響で老朽化が起きていたトンネルの壁面が破損した際に、破損した壁の中から、立ったままの1体の人骨が見つかったのです。見つかった人骨の頭部には損傷があり、暴力を受けたような形跡も多々見られました。

人柱は労働者への見せしめのためだったと言われている

壁の中から発見された人骨の様子から、頭部の外傷で亡くなったのではなく、暴行を受けた上で生きたまま壁に埋められたことが伺えました。タコ労働ではケガや病気などで満足に働けなくなった者や、逃亡者などを処分、見せしめの為に、人柱として生き埋めにすることは珍しくありませんでした。

人柱と見られる骨以外にも大量の人骨が続々と見つかった

壁の人骨以外にも、トンネル周辺からも人骨が発見されました。人骨の多くが骨折、砕かれた形跡があり、暴行を受けた痕跡が多々見受けられました。過酷な重労働、怪我や病気に倒れ、満足な休息や治療も無く、力尽き死体になれば、適当に穴を掘って埋める等の乱雑な扱いを受けていたことが伝わってきます。

犠牲者は100人以上で遺体は近隣に埋められた?

人骨の発見から、建設の際に過酷な強制労働が行われていたこと、タコ部屋の存在は、れっきとした事実だと判明しました。人権無視の強制労働による犠牲者は、少なく見積もっても100人以上だと言われています。

北海道開拓の犠牲になった労働者は100人以上

労働者達は栄養失調や病気になっても治療も無く、満足に働けない者や逃亡者には体罰や、人柱などの見せしめとなり処刑されたり、余計に酷使するなど殺害とも言える惨い扱いを受けていました。結果として、亡くなった労働者は見つかっている人骨の数だけでも100人以上、未だに多くの方々の人骨が見つかっていません。

倒れた労働者は体罰を受けて治療さえしてもらえずに死亡

怪我や病気の労働者達は、役に立たなくなれば殴る、蹴るなどの体罰、さらにひどい時は線路に生き埋めや、夏場に全裸で木に縛り付け虻や蚊に刺された痒みにより発狂死させるなどの非道極まる体罰、私刑が行われていました。

労働者が残したであろう手記には、労働者に対する非道な扱いへの恐怖と嘆き、自身の境遇を「惨め極まる」という無念の思いが綴られています。なお、この手記を残した方が生存していたとされる記録も残されていない為、恐らくこの手記の方も無惨な死を遂げた被害者なのだと考えられます。

労働者の遺体は隧道や現場近くの山林に埋められた

亡くなった労働者の方の遺体の扱いもそれは乱暴なものでした。壁に生き埋めにされた人、死後死体を線路脇に纏めて埋められた人もいました。殆どの方が線路やトンネル付近の山林や、壁内などに乱雑に埋められたものと考えられます。

NEXT 心霊スポットとして有名な「常紋トンネル」