常紋トンネルとは?基本情報を紹介
人骨の発見や、怪奇現象の目撃情報の多い場所ですが、常紋トンネル自体は北海道に作られた路線内のトンネルの一つです。そもそもどういったトンネルなのか、着工時期や目的等の概要を詳しく紹介していきます。
常紋トンネルは常紋峠にまたがる全長507mのトンネル
JR北海道石北本線にある今現在も使用されています。北見市の常呂群と、遠軽町の紋別群の頭文字を取って、常紋と名づけられました。同線の難所にもなっており、標高約347m、全長507mのかなり大きなトンネルです。
常紋トンネルの着工と工事年数
工事は明治時代の1912年3月に着工されました。大正時代の1914年の10月に完成、開通し、約36カ月にも及ぶ長期間の工事となりました。全長507mに及ぶかなりの距離と、標高347mにも及ぶ過酷な環境での工事もあり、かなりの長期間になったようです。
常紋トンネルの「タコ部屋」とは?
現代で工事を行う場合、労働者の報酬や休息をきちんと与え、安全第一で行われます。しかし過去の建設工事は、今となったは考えられないような無茶苦茶な労働を労働者に強要することで進められたのです。
「タコ部屋」は人権無視の労働制度でひどい労働環境だった
明治後期の北海道において、労働者達は長期間拘束され、劣悪な労働環境で重労働を強いられていました。労働者は人権無視され、タコ部屋と呼ばれる粗末な小屋の中に監禁され、出入り口は逃亡しないよう鍵がかかり、監視員が見張りをしていました。
労働者は貧しい暮らしの人々が多く、「ポン引き」と呼ばれる悪質な労働斡旋業者に騙され、高い仲介料も取られていました。経費回収の為にもタコ部屋での労働期間は最短でも半年以上にもなりました。
重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れた
冬は極寒、夏場はヒグマの出没もある北海道での労働であっても、ほんの僅かな食料、ボロ切れ同然の粗末な衣服しか与えられず、また十分な休息、睡眠時間も与えられなかった労働者たちは、脚気によって次々と倒れ、亡くなった方も少なくありませんでした。
脚気とは、ビタミンB1の不足により起こる心不全や手足の痺れを伴う疾患の事です。最悪死に至る事もある脚気が、過酷な重労働と栄養不足により発症し、適切な治療が無ければ死に至ることは明らかです。
常紋トンネル以外でも北海道ではタコ部屋があった
一番最初は囚人たちに労働を課した1890年の北炭室蘭鉄道工事です。罪を犯した囚人たちに非人道的で過酷な強制労働を行い、工事を進めていました。1908年に監獄法が制定されてからは、囚人達の非道な強制労働はなくなりました。
しかし、法の目を潜り強制労働を課す為に作られたのがタコ部屋でした。北海道の鉄道路線である網走線や、根室線等や、路線内にあるトンネルの殆どがタコ部屋の労働によって建設されました。昔の北海道では日常茶飯事で、珍しいことではなかったのです。
常紋トンネルの「人柱」のついて
タコ部屋の存在や強制労働の話は、あくまで確証のない噂話として広まっていました。しかし、十勝沖地震の発生によって発見された「人骨」により、タコ部屋が存在していた過去が明らかになったのです。
「人柱」と見られる人骨十勝沖地震の際に見つかった
1968年5月16日にマグニチュード8前後の大地震、十勝沖地震が発生しました。その影響で老朽化が起きていたトンネルの壁面が破損した際に、破損した壁の中から、立ったままの1体の人骨が見つかったのです。見つかった人骨の頭部には損傷があり、暴力を受けたような形跡も多々見られました。
人柱は労働者への見せしめのためだったと言われている
壁の中から発見された人骨の様子から、頭部の外傷で亡くなったのではなく、暴行を受けた上で生きたまま壁に埋められたことが伺えました。タコ労働ではケガや病気などで満足に働けなくなった者や、逃亡者などを処分、見せしめの為に、人柱として生き埋めにすることは珍しくありませんでした。
人柱と見られる骨以外にも大量の人骨が続々と見つかった
壁の人骨以外にも、トンネル周辺からも人骨が発見されました。人骨の多くが骨折、砕かれた形跡があり、暴行を受けた痕跡が多々見受けられました。過酷な重労働、怪我や病気に倒れ、満足な休息や治療も無く、力尽き死体になれば、適当に穴を掘って埋める等の乱雑な扱いを受けていたことが伝わってきます。
犠牲者は100人以上で遺体は近隣に埋められた?
人骨の発見から、建設の際に過酷な強制労働が行われていたこと、タコ部屋の存在は、れっきとした事実だと判明しました。人権無視の強制労働による犠牲者は、少なく見積もっても100人以上だと言われています。
北海道開拓の犠牲になった労働者は100人以上
労働者達は栄養失調や病気になっても治療も無く、満足に働けない者や逃亡者には体罰や、人柱などの見せしめとなり処刑されたり、余計に酷使するなど殺害とも言える惨い扱いを受けていました。結果として、亡くなった労働者は見つかっている人骨の数だけでも100人以上、未だに多くの方々の人骨が見つかっていません。
倒れた労働者は体罰を受けて治療さえしてもらえずに死亡
怪我や病気の労働者達は、役に立たなくなれば殴る、蹴るなどの体罰、さらにひどい時は線路に生き埋めや、夏場に全裸で木に縛り付け虻や蚊に刺された痒みにより発狂死させるなどの非道極まる体罰、私刑が行われていました。
労働者が残したであろう手記には、労働者に対する非道な扱いへの恐怖と嘆き、自身の境遇を「惨め極まる」という無念の思いが綴られています。なお、この手記を残した方が生存していたとされる記録も残されていない為、恐らくこの手記の方も無惨な死を遂げた被害者なのだと考えられます。
労働者の遺体は隧道や現場近くの山林に埋められた
亡くなった労働者の方の遺体の扱いもそれは乱暴なものでした。壁に生き埋めにされた人、死後死体を線路脇に纏めて埋められた人もいました。殆どの方が線路やトンネル付近の山林や、壁内などに乱雑に埋められたものと考えられます。
心霊スポットとして有名な「常紋トンネル」
非道なタコ部屋によって、無惨な死を遂げた労働者達は、トンネル完成後の十勝沖地震発生により、人骨が発見されるまで、供養どころか、存在する知られていませんでした。生前も含め、死後も蔑ろにされた彼らの無念は、労働者達の霊となって様々な心霊現象が現れました。
常紋トンネルでは完成当時から怪奇現象が多く起こっている
1914年のトンネル開通直後から、付近では度々様々な怪奇現象が発生していました。トンネルを列車で通過しようとすると、線路上に血塗れの男性が立っており、慌てて止めて確認するも誰もいない事や、トンネル付近にいると苦しげな呻き声が聞こえてくる等の怪奇現象が数多く寄せられました。
トンネル内に限らず、付近の駅に勤務した駅員がノイローゼなどの精神障害を起こし、中には発狂する者現れることもあり、また近隣住民の若い女性が、突然走行中の列車の前に飛び込み、自殺したなどの話もありました。
常紋トンネルでは現在も怪奇現象が起こっている
人骨が発見されたことを契機に本格的に調べてみた結果、1980年には金華駅にある高台に無惨な死を遂げた労働者達を弔う為の慰霊碑が建てられました。しかし、今現在でも使用されているこのトンネルでは今もなお血塗れの男をみた、呻き声が聞こえる等の怪奇現象や、霊の目撃証言が後を絶ちません。
常紋トンネルでは列車の急停車事故も多発している
常紋トンネルでは、トンネル内の線路上に血塗れの人が立っている、倒れている等の人物の目撃証言が非常に多く、実際列車を運転している際に霊を目撃した運転手による急停車事故も頻発しています。
運転手の話によると、トンネル内を列車が通過している最中にふと見ると血塗れの男性が線路に立っており、慌てて停車し、おりて確認すると誰もおらず、また列車を発進させると線路上に血塗れの男性が再び立っていたという気味の悪い話もあります。
常紋トンネルと同じく有名な心霊スポット杉沢村
他にも多くの人が亡くなり有名心霊スポットと化した場所があります。たった一人で多くの村人を惨殺し、心霊スポットとなった、杉沢村という場所です。日本の犯罪史上において最も多くの人々をたった一人で惨殺した脅威の事件と言われています。この杉沢村の話については下記の記事にて詳しく解説しています。是非こちらもご一読下さい。