物部天獄が自殺をしたのは相模湾沿岸のエリアでした。彼が死んだ直後、歴史的な大災害でもある関東大震災が起こってしまいます。そして、その関東大震災の震源地は物部天獄が自殺した相模湾沿岸に近い場所だったのです。これも呪いが引き起こしたのではないでしょうか。
リョウメンスクナの移動と災害
ここに、大正時代からの日本で起きた災害を記載しています。恐ろしい事に、実はこれら全ての災害が起きた場所はリョウメンスクナが存在しており転々と移動してきた地域だと言われているのです。
- 1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
- 1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)
- 1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
- 1916(大正5)年:函館の大火事
- 1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)
- 1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
- 1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
- そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災、死者・行方不明14万2千8百名 (引用:恐怖の泉)
Contents
6.リョウメンスクナの出土!呪いはどうなる?
都市伝説や伝記の中だけのお話だと思いきや、実は実際にリョウメンスクナが実在していたと思わせるものが日本で発見されているのです。語り継がれてきた情報と同じような姿で発見された”モノ”について詳しくご紹介します。
リョウメンスクナの埴輪が出土
2006年に近畿地方の和歌山市岩橋千塚古墳群にある古墳の一つである大日山35墳で行われていた発掘調査で顔が前後にある人物埴輪が出土しています。頭部のみの埴輪だったので、手の本数などは確認されていませんが言い伝えられているリョウメンスクナの形に酷似しています。
リョウメンスクナ埴輪のオーパーツ説
この埴輪の顔には矢尻のような模様が刻まれ、両方の顔はまったく違う表情をしているのがとても印象的です。そして、存在理由が解明されていない謎の遺物として「オーパーツ」の一つである可能性もあると言われています。
リョウメンスクナとその呪い
そしてこの埴輪が出土した2006年も様々な災害が日本を襲っています。幾度も訪れる台風被害にあわせて鹿児島県・熊本県豪雨災害、長野県豪雨災害、列車事故などが起きています。果たしてこれらの災害は出土した人形埴輪の呪いによるものなのか、真実は闇の中です。
7.リョウメンスクナの写真は存在する?
ここまでにその禍々しい姿形、そして巻き起こしてきた不幸な災害・事件などをご紹介してきました。話の背景や内容はわかったけれど、実際にリョウメンスクナはどんな見た目だったのかを調べてみました。
ミイラ職人に作らせた見世物用のミイラ
とてもリアルなミイラの写真が、リョウメンスクナの頭部として紹介されている場合があります。これは頭が二つ繋がっているミイラです。これは石川県の寺に実際に保管されていて、実は江戸中期に発見された見世物小屋で使うためにミイラ職人に作らせた人工ミイラなんです。猿の頭を二つ繋げたものがとも言われています。
造形作家の前島氏の作品
一番多く出回っている写真は、造形作家である前島氏の作品の写真です。顔が二つくっついていて体は人魚のような形をしています。前島氏は前述した人工ミイラを参考にし、この造形作品を作り上げたと言われています。
8.両面宿儺を崇める日本
先にも説明したように、リョウメンスクナと両面宿儺は別の人物として捉えます。では、実際に歴史的な書物の中にも記載されている「両面宿儺」は現在の日本でどのように受け入れられているのでしょうか?奇形な姿で恐れられた都市伝説と英雄伝説を比べてみましょう。
奇形ながらにも英雄であった
姿形は同じで顔は二つあり手足も二本ずつの両面宿儺は、異形ではありながらも当時の朝廷には従わずに地域を守ろうとした。と言い伝えられていて現在でも美濃・飛騨においては敬愛されている存在なのです。実際に両面宿儺に関するモノをご覧いただける場所をご紹介します。
両面宿儺洞
岐阜県に存在する両面宿儺が住んでいたと言われている洞窟で、この洞窟の中で宿儺は37日間にわたり国家安全と五穀豊穣の御経を唱えたと言われいます。洞窟内の奥ノ院には宿儺の石像が安置されています。訪れる際には、事前に入場可能かどうかを調べておくといいでしょう。
- 住所:岐阜県高山市丹生川町日面1147
- 駐車場:あり(無料)
千光寺:宿儺像
千光寺は1600年前に両面宿儺が開山したと伝えられています。ここでは宿儺像を祀っている宿儺堂があり、独特な風格を持つ宿儺像をみることができます。その宿儺像は荒々しい心を表現した「憤怒」の表情と慈悲に溢れた心を表現した「柔和」が刻まれています。
- 住所:岐阜県高山市丹生川町下保1553
- 電話:0577-78-1021
善久寺:石膳
善久寺では宿儺が朝廷に反した事で追われる身となってしまい、村を出て行く際に村民が別れの宴を催したと言われています。その際に、贅沢な準備などで村民に迷惑をかける事の無いように寺の庭にある石を膳としてもてなしを受けたという「石膳」があります。
様々な伝承がある
残されている様々な史跡以外に、伝承として語り継がれてきているものを多く存在しています。岐阜県の中でも、飛騨位山、金山町の鎮守山、大日山の暁堂寺・日龍峰寺などではそれぞれ違う伝承が代々伝えられてきています。どれも英雄としてどのように地域に貢献してきたのかを伝える内容です。
9.リョウメンスクナくらい怖い洒落にならないお話
今回は、都市伝説として語り継がれてきた「リョウメンスクナ」について、呪いや恐怖、引き起こされる災害についてなどをご紹介しました。しかし日本にはそれ以外にも、同じように怖い都市伝説が存在しています。寒気を感じるような内容で読んだすが、詳しく読むかどうかは自己責任でご覧ください。
コトリバコ
コトリバコとは「子取り箱」と言って島根県のある地域で伝わる都市伝説です。子取り箱は迫害を受けた村でその迫害に対し怨みを晴らす為に作られたもの。箱には間引かれた子供たちの体の一部が呪いと一緒に入っていました。その箱に触れた女性子供は苦しみながら亡くなるのです。そして現在もその箱はどこかに存在しているといわれています。
ヤマノケ
ある男性が娘と一緒に夜の山のドライブに出かけた時に起きた話です。山奥で出会ってしまったジャミラのような姿の物怪は、男性の娘の体の中に入り込んでしまいます。ヤマノケは女性に憑き、49日経っても祓えない場合は一生治らないという話です。そしてこの話は未解決のまま男性は語るのを止めてしまいました。
リゾートバイト
3人の大学生が夏休みの間リゾートバイトをしていた旅館の女将が不審な行動をしているのに気がつきます。それを解明しようとした彼らは得体のしれない呪いに恐怖を感じバイトをやめ、その足でお祓いに向かった学生は恐怖と戦いながらも呪いを祓います。その呪いとは女将が死んだ息子を蘇らせる為に学生たちにかけた蘇りの呪いだったのです。
リョウメンスクナは今どこに?日本は滅びるのか!?
ここまで様々な「リョウメンスクナ」に関する都市伝説や言い伝え、歴史をお話しました。実は、この呪いのミイラが今現在どこかに存在しているのかという事は分かっていません。山中の隠された寺にある、今もひっそりと活動するカルト教団が持っている、または国外へ持ち出そうとし船が沈没してし海に沈んだという噂もあります。
日本はこれからどうなる!?
日本に限らず、このような恐れおののくような話やオカルト話はたくさん存在しています。日本中で今起きている災害が、あくまでも自然が引き起こしたものなのか?もしくは何かその背景に災害を引き起こすような強い怨念や「何か」があるのかもしれません。