謎に包まれたサンジェルマン伯爵とは?不老不死の男?時空の旅人?

謎に包まれたサンジェルマン伯爵をご存知ですか?様々な時代に出没し、見た目が変わらないことから不老不死の男と言われて、時空を旅するタイムトラベラーとも言われている人物です。彼はいったい何者で現在は?サンジェルマン伯爵について詳しくご紹介します。

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サンジェルマン伯爵とは

サンジェルマン伯爵はヨーロッパで実在したと言われていて、さまざまな伝説と才能に関する多くの記録が残されています。数々の謎にみちたサンジェルマン伯爵の人物像について一つ、一つ、探ってみましょう。

多くの外国語を話す

多くの外国語に堪能で、フランス語をはじめ、英語、ラテン語、ポルトガル語、ドイツ語、アラビア語、中国語など約12か国語を自由にあやつる語学力の持ち主で、外人でありながら王の密使として外交で国外へ行くことが多く、妬みの対象にもなったようです。

財産が膨大にあるお金持ち

質のよい貴金属や宝石類が縫い付けられた彼の身につけている装飾品や衣装は、サロンでの人々の興味の対象であり、いろいろな噂が広まったとされいます。彼の持つ金や宝石類に関してのエピソードはいくつかありますが、そのどれもがこれらは自分が作った物であり、購入した物ではないと言っていたので、彼の持つ宝石の数の多さから莫大な財産の持ち主ではないかと思われていたようです。

多芸多才で経験が豊富

才能は語学だけでなく、音楽に関しては、バイオリンや発明されて間もないピアノを弾きこなすことができ、絵画に至っては画家が彼に教えを請うこともあったと言われています。絵画、音楽、化学と多岐にわたって精通し、高度な教養をも身につけていて、話し方も紳士的だったそうです。高度な技術を要する絹や革製品の染め物技術もできたことから、有能な化学者として認められていました。

錬金術師

王族の所有するシャンポール城と、その付属施設を研究室・作業場として使用許可を得て錬金術の研究をしていたようです。ここで錬金術を使ってダイヤモンドや金を作っており、錬金術師が求める「賢者の石」を手に入れたのではないかと噂されても否定することはなかったそうです。女性に人気があったそうですがその理由として、「賢者の石」で作った女性の肌を若返らせる「生命の水」を持っているからとの噂があったとされています。

錬金術とは

紀元前1世紀ころ以前にエジプトからヨーロッパへと広がった卑金属を人工的手段によって貴金属の金に変えようとする化学技術で、古代ギリシャのアリストテレス達は「万物は火・気・水・土の四大元素から構成されている」という考えから卑金属を貴金属に変成させる「錬金術」が生まれました。その錬金術における究極の物質が「賢者の石」です。

全盛をきわめた錬金術

エジプトのアレクサンドリアを中心とした秘教化学において発展し、アラビアを経て10世紀頃に確立され、ヨーロッパに広がっていきました。14~15世紀に全盛をきわめた錬金術は、化学的側面と魔術的側面をあわせもち、近代化学の先行形態とされる反面、不老不死の仙薬を得られるといった魔術的、呪術的要素が社会への影響を考慮されたそうです。

錬金術における至高の物質「賢者の石」

「賢者の石」という言葉を「ハリーポッター」で知った人も多いかと思います。「賢者の石」とは一体、どういった物なのでしょうか。「賢者の石」とは卑金属を金に変えて、病や傷を瞬く間に治し、若返らせることのできる神の物質であると考えられていました。なんと、このいくつもの才能を持った伯爵はこの魔法のような物質の錬成に成功した錬金術師の一人なのです。

なぜ不老不死の男なのか?時空を旅している?

今の時代では知りえないことをまるで見てきたかのように語ったり、四千年生きていると言ったりと周りが驚くようなことを話していたとされる不老不死の男、サンジェルマン伯爵のエピソードにはどのようなものがあるのでしょうか。

生まれは?実在していたのはいつ頃?

18世紀のヨーロッパに実在していた人物なのですが、どこで生まれたかは未だ謎のままです。出身に関しては諸説ありますが、ハンガリア出身と言われ、両親はスペイン王妃マリーとユダヤ系貴族メルガル伯爵との私生児という説が有力のようですが、正確な記述は存在していません。

様々な時代の人がサンジェルマン伯爵を知っている

自身の年齢を2000歳とも4000歳であるとも称していましたが、彼を知っている古い人物にはソロモン王やシバの女王、アレクサンダー大王やイエス・キリストがいて、彼らと面識があったと話していたようです。また、十字軍の騎士として加わった際に、リチャード1世とも話したとも言われています。

彼が死亡したと記録されている1784年以降にも多くの目撃証言があり、ナポレオンがエジプト遠征の際には伯爵と会い彼から忠告を受けたとも、イギリスのチャーチル首相が敵対するドイツの助言を受けたとも言われているのです。

未来の技術を知っている

彼の活躍していた時代(18世紀)にはまだ発明されてもいない、知り得ることなど到底できるはずがないであろう飛行機や汽車、蒸気船などを知っていて、これらをまるで実際に見てきたかのように詳しく話していたそうです。

時空を旅しているのか虚言癖か?

バビロンの都を見たことがあり、アレクサンドロス大王が入場する際の行進曲をピアノで演奏したとも、カナの婚宴に立ち会って水がめの水を葡萄酒に変えるのを目撃していて、ジュリアス・シーザーのローマ凱旋を見たと語っていただけではなく、彼が死んだとされた後にもサンジェルマンと会ったという人やフランス革命中、処刑広場での目撃情報が多数あったと言われています。

サンジェルマン伯爵は亡くなったという説も!

死亡説については死亡した年についても定かではなく、17984年とも1777年とも言われています。息を引き取った場所についてはどの説もドイツであるとされており、ドイツ・ヘッセンの邸宅でうつ病とリュウマチに苦しみ亡くなったと伝わっていますが、エッケルフェアデ教会には1784年2月27日に亡くなり3月2日に埋葬されたとの記録が残されています。

サンジェルマン伯爵の逸話が凄い

多くの外国語を話し、多芸多才で錬金術をも操り、トラベラーとも言われる他にも数々の不思議な伝説が残されています。

誰も若い頃の経歴を知らない

数々の逸話があるにも関わらず、前半生はほとんど知られていないのです。生まれた年も1691年とも1707年とも言われていて定かになっておらず、彼がパリで有名になったのが1750年頃から1760年頃なのですが、それ以前の経歴で分かっていることは、1735年にオランダのハーグにいるという自筆の手紙に書いていたということと、1743年に王位を要求してチャールズ・エドワード・スチュワートのスパイ容疑で逮捕されたということだけなのです。

丸薬が食事!?

「自分は不老不死なので、霊薬を口にする他は食事は必要ない」と言っており、実際に彼が食事をしている姿を見た人はなく、晩さんに招待されても、丸薬とパンとカラスムギを口にするだけと言って断ったといいます。この食事に関しての面白いエピソードとして真意を使用人に尋ねたところ、「私はまだ300年しか伯爵を知りません」との返事が返ってきたと言われています。

テレパシーの能力

テレパシーの能力については、遠くの都市や国家で彼が必要な時はそれを感知し、相手が何の質問をするのかを察知することが出来たと言われています。また、扉を利用せずに部屋に姿を現したり、出たりする習慣があったと伝わっていますが、これは催眠術にも長けていたため、術を使ったことがこういった証言に繋がっているようです。

弟子が凄い!

ドイツの詩人で、小説家、劇作家、生物学、自然科学者、政治家、法律家でもあるドイツを代表するヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが弟子であったと言われています。

イルミナティのリーダー!?

イルミナティと聞いても知らない方も多いかと思います。イルミナティとはラテン語で「光に照らされたもの」を意味しますが、種々の狂信的グループに与えられた名称で、特に1776年ドイツのバイエルン中部の都市に創設されたのが有名で、古代秘儀と啓蒙思想の影響を受けた独自の思想を掲げ、多くの貴族や政治家、文化人が参加した密結社です。彼はそのイルミナティのリーダーだったと主張する人もいます。

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