平家蟹にまつわる呪いと悲しい話:歴史に埋もれた平家の怨念とは?

有名な日本の怪談の一つ「耳なし芳一」も平家と深い関わりがあります。盲目の琵琶師であった芳一の元に、ある武士が訪ねて来て、貴族の前で演奏をして欲しいと頼む事から始まるストーリーですが、前途の貴族とは壇ノ浦で亡くなった平家達の事であり、芳一はこの世のものではない平氏達に得意としている壇ノ浦の弾語りを七日七晩披露します。

芳一を世話する和尚は連日朝帰りする芳一の異変に気づき事の真相を聞き出すと魔除けにと、芳一の全身に般若心経を写します。その晩芳一の元に現れた武士の霊は芳一の姿を見る事は出来ませんでしたが唯一、般若心経を書き損じていた耳を刀でそぎ落とし去って行き、二度と現れる事はありませんでした。

1人海から引き揚げられた建礼門院

平清盛の娘にして安徳天皇の実母である建礼門院。安徳天皇が海へ身を投げ出した姿を見送って自身も入水自殺を図りますが、のちに救助され後年に渡るまで生き延びています。戦後は京都に護送され余生を送り、死後は実子の安徳天皇が眠る水天宮で共に祀られました。

場所によって名前が変わる平家蟹

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ヘイケガニ以外にも戦乱の時代に命を落とした武将たちの名前を由来とする蟹が日本中に存在します。どの人面蟹にも「海で戦死した武将」の冠している共通点があることから、当時の人々は戦で戦死した武将たちの無念が蟹に宿ったと考えたのだと推測されます。

キヨツネガニ

江戸時代の儒学者、貝原益軒によって書かれた大和本草という当時の生物学を著した書物によれば、ヘイケガニは「キヨツネガニ」と紹介されています。名前の由来としては、平安時代に豊前国(現在の北九州付近)で入水自殺した平清経から取ったとされています。

タケブンガニ

1331年の鎌倉幕府倒幕運動の際に起きた元弘の変により、摂津国(現在の兵庫県)の海で戦死した「秦武文」という武将から由来しています。タケブンガニの大きさは30センチほどで、ハサミに白い斑点を持つ特徴があります。

シマムラガニ

1500年代、室町時代の後期に戦国大名の細川晴元に家臣として仕えていた「島村貴則」という武将から由来します。島村は戦の最中に敵兵を複数人捕らえ共に海へ身を投げ出しそのまま帰らぬ人となりました。のちに摂津に生息する人面模様の蟹をシマムラガニと呼ぶようになりました。

平家蟹が見られる場所

生きたヘイケガニから標本、浮世絵まで日本各地にヘイケガニを見ることが出来るスポットがあります。ここではヘイケガニゆかりの地、山口県を中心にヘイケガニが見られる施設、作品をご紹介します。

下関海響館

山口県の下関市にある海響館では関門海峡に生息する海洋生物を多く展示しています。ヘイケガニもそんな展示物の一つで、寿命が短く飼育が難しいとされているヘイケガニを育てています。卵から孵化したばかりの赤ちゃんヘイケガニも見ることが出来る日本でも珍しい水族館です。

赤間神宮社務所

壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を始め、様々な皇族や偉人を祀る神社。平家一族を祀っていることでも有名なほか、耳なし芳一の舞台としても縁が深くパワースポットとしても名高い土地です。竜宮城のような外観は安徳天皇が死の直前に思い描いた海の中の都を彷彿とさせます。

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