平家蟹にまつわる呪いと悲しい話:歴史に埋もれた平家の怨念とは?

江戸時代の浮世絵師歌川国芳が残した作品にも登場するヘイケガニ。10匹もの蟹が描かれている「大物之浦海底之図」ではその内4匹がヘイケガニで、「壇浦戦之図」では5匹の蟹が描かれています。いずれも人面の蟹を描くことにとって平家の怨みを表現したのではと言われています。

ヘイケガニを詠んだ歌集

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大昔から様々な学者や偉人たちがヘイケガニについて研究、議論を繰り返していましたが、江戸時代には歌人や絵師などの手によって文化の一つとしてもヘイケガニは取り上げられていました。ここではその中でも一風変わった歌集をご紹介します。

江戸時代のトレンド?「狂歌百物語」

妖怪画本・狂歌百物語

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錦絵や花屋敷、見世物小屋など様々なサブカルチャーが発展した江戸時代。そんな時代に描かれた狂歌百物語は、妖怪をテーマとした狂歌にイラストが添えられた妖怪図鑑であり、当時の人々に親しまれていました。ヘイケガニに関する狂歌も多数収録されており、現在でも狂歌百物語の翻刻版として出版されている「妖怪画本・狂歌百物語」は妖怪研究家の重鎮、京極夏彦氏による丁寧な解説付きです。

平家蟹と連子鯛

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ヘイケガニは平家の男性が死後に姿を変えたとの伝承がありますが、同様に壇ノ浦の戦いで犠牲になった女性も人間とは違ったものに姿を変えたという言い伝えが残っています。

連子鯛とは?

関門海峡付近で多く水揚げされるキダイと呼ばれる鯛です。関東にはあまり流通せず、西日本で多く見かける事が出来ます。キダイの別名を連子鯛と呼び、漁獲量の多い山口県や長崎などでは連子鯛の名前で親しまれています。

平家の女官の化身

九州地方で連子鯛と呼ばれるようになったのは、壇ノ浦の戦いで安徳天皇と共に海中へ身を投げ出した女官たちが鯛の姿になったという伝承が残っているためです。

安徳天皇を竜宮に導く役目

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何故女官たちは鯛の姿に変わったのかという理由については、海へ身を投げ出す直前に安徳天皇を抱いていた女官たちが「波の下にも都がございます」とまだ幼い安徳天皇を慰め、深海にある竜宮城へと導くために鮮やかな鯛の姿になったのだとされています。

ヘイケガニだけじゃない!人の魂が乗り移った生き物たち

人が亡くなった後、どこへ行くのかは宗教や国によって現在も捉え方は様々ですが、古い時代の日本では人は死後、人間とは違った形で現世にとどまることがあると考えられていました。そんな文化の中で生まれた生き物の言い伝えをご紹介します。

日本一有名な怪談 番町皿屋敷

日本人であれば、誰もが一度は耳にしたことがあるであろう怪談が「お菊さん」で有名な番町皿屋敷。江戸時代に起きた、縛られた女性のような形をした蛹が大量発生した事件の際に町の人々の間では、殺されたお菊の霊が虫に宿ったのだと噂が持ち切りになったそうです。

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