彼の役職は、訓練されていたクレートを運ぶ仕事ですが、時折怠ける姿を見せることがありました。それは重い追撃砲の砲弾が入っているクレートを運ぶべきなのに、空の状態の物ばかりを意図的に運んでいたりしたようです。
1944年のモンテ・カッシーノの戦いで手柄をたてる
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そんな彼も1944年に起こった今でも歴史上で大きな戦いといわれているモンテ・カッシーノでの戦いでは、部隊からの指示通りにしっかりと仕事をこなしました。50kg近かった重い砲弾のクレートを、一度も落とすことなく前線まで運び軍隊の勝利に貢献したのです。
ヴォイテクの功績がたたえられ、部隊章のデザインが熊に
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以来この「戦争に行ったクマ」の功績・勇気・戦う意思を讃えて、彼が所属していたと記録されている第22弾薬補給中隊の記章が変更されました。弾薬を抱え運んでいるデザインは、戦時中の彼の姿を描いているものなのです。
戦争終結後ヴォイテクはスコットランドの動物園へ
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戦争中は部隊と一緒に転々と移動を繰り返していたヴォイテク、終戦後は兵士たちが「ソ連に支配されてしまった母国に戻りたくない」という理由からイギリスへと亡命します。もちろんヴォイテクも一緒でした。
兵士と離れ離れの生活
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やがて長い間共に過ごしてきた所属部隊も解散することになってしまいます。子熊の頃から共に過ごしてきた仲間達はそれぞれバラバラになってしまい祖国へ戻る者もいれば新たな場所を求めていく者もいました。そして彼自身は一匹でスコットランドのエディンバラ動物園に預けられることになったのでした。
元ポーランド兵士が訪れると大喜び
移動した先の動物園でもすぐに人気者になりました。しかし、彼はポーランド語しか理解できず、反応もできない日々を過ごす中で鬱のような状態になることもありました。そんな彼を所属していた部隊の元兵士たちが頻繁に訪れて好物のタバコをあげたり、一緒に取っ組み合いをすると大喜びして遊んでいたのでした。
ヴォイテク人気は死亡後も衰えず
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たくさんの人々に愛されていた彼ですが、1963年の12月2日に動物園にて22歳で死亡してしまいます。クマの平均寿命が20〜30年なので、彼はしっかりと寿命を全うしたのでしょう。生前も死亡後変わらず語り継がれ愛されていた事がわかるストーリーをご紹介します。
BBCテレビ番組「ブルー・ピーター」に出演
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愛くるしい彼はイギリスの人気テレビ番組にゲストとしてたびたび出演していました。たくさんの人が視聴するメディアに出演したことで、彼の人気はより高まりヨーロッパ中で話題になっていきました。