そもそもロストテクノロジーとは?
ロストテクノロジーを日本語に訳すると「復元不可能な技術」ということになりますが、ただ失われたわけではなく、「過去の優れた技術としてその完成品は残っているが、復元できないもの」という意味合いが込められています。
その作成法は後世に伝えられずに、資料さえ残らないものをさします。そんなすごいロストテクノロジーは日本にもたくさん存在します。
過去には存在したが現存しない失われた技術
例えば過去の中国の北栄の青磁は、美しい透明感のある青磁です。その復元に向けてあらゆる努力が試みられていますが、未だに再現に成功していません。また古代の「ローマ帝国」で常用されていた「ガルム」という魚醤は、その製法が伝承されていないので完全な再現には至っていません。
そして有名な所では、ヴァイオリンの「ストラディバリウス」です。何億円もする名器ですが、、同じように作成の秘密は失われたため復元できないのです。そんなロストテクノロジーは今も残っています。
ロストテクノロジーはゲームの題材にも使われる
有名なのは、ゲームの世界で大ヒットとなった「SDガンダム」です。そのシリーズに「戦国伝」なるものがあります。その中に「輝羅鋼」という人気のパーツがありました。その生産手法が失われたという事態に陥っているということです。再現はされても、いまだ「代用品」で間に合わせているそうです。
しかしその出来栄えは「獅龍凰」などが以前より見劣りするようものになってしまって、評判は悪いそうです。そこで再現が待たれていますが、実現は今だしていないといいます。ロストテクノロジーには人の心を引き付けるものがあるのでしょう。
日本のロストテクノロジー「日本刀」
我が国のロストテクノロジーとしてよく引き合いに出されるのが、我が国の「古刀」です。古いものは「お宝」としてTV にもよく出てきます。歴史的価値は解りますが、それ以外にも今のテクノロジーでも復元できない秘密があるようです。
新刀と古刀の違い
「新刀」と「古刀」の違いは厳密な所では「江戸時代」前後に分けられますが、「現代刀」という意味での違いを考えます。一番大きな相違点は、その「手触り」です。「古刀」はざらついています。それは「切れ味」をよくするために「研ぐとき」によく砥石にかかる為です。しかし「新刀」はガラスのようにつるっとしていて、研磨がしにくいのです。
それと違いの大きいのは「曲がり易さ」です。「古刀」ほど曲がり易く「新刀」曲がりにくいのです。その為「初心者」名は「新刀」を使わせる場合が多いのです。また「錆の出かた」にも差があります。「古刀」は刃の鍛え目からのみ錆びますが、「新刀」はどこから錆びるか解りません。作り方は同じなのに大きな相違があるのですから不思議です。
古刀が製造できない理由
基本的には「古刀」の製造法は現代では謎です。製法もさることながら、鉄の材質さえ完全には解明されていません。「古刀」の材質は当時の輸入品で、いくつかのものを配合されていた可能性があります。その配合の率さえわかっていません。
それにその完璧な復活は「江戸時代」から試みておられますが成就していません。またその製鉄方法も従来のものではない可能性があるのです。「古刀」に関してはすべての時代ごとの「製作方法」が不明なのです。
日本のロストテクノロジー「戦艦大和」
日本のロストテクノロジー「戦艦大和」:第2次世界大戦の当時、戦力の強化を争っていた日本は「戦艦大和」を作りました。なぜこのような類を見ない大砲を備えた巨大な戦艦を作ったかというと、当時はパナマ運河を通過できる戦艦は33メートル以内という決まりがあったためである。
そうすると大砲の大きさは41㎝以下になるとにらんだ日本は、戦況を有利にするために46㎝の大砲を作ったのでした。後にこの大きさの戦艦は、その技術が受け継がれなくなり、ロストテクノロジーとして長い間にわたり語り継がれているのです。
戦艦大和とは
戦艦大和とは:大和は太平洋開戦のすぐ後に、日本の連合艦隊の戦艦として登場しました。世界最大の「大和」は最大の大砲を備え、戦艦同士の戦いにおいて絶大なる威力を発揮するために期待が持たれたのです。しかし時局は空母による「戦闘機」の時代でした。
その爆撃の威力とアメリカの「機動部隊」の力に屈し、坊ノ岬沖で撃沈されました。前にも後にも「大和」より巨大な戦艦は存在せず、歴史に語り継がれる存在となりました。
大和型戦艦が復元できない理由
大和型戦艦が復元できない理由:戦艦大和を作るのに「主砲の」存在を考えずを得ません。このような大きさの大砲を作るには「硬い鋼材」を削る技術が必要です。その時の「摩擦熱」の劣化を防ぐため、「冷却と削り出し」を微妙な技で行う必要があります。そこで高度な職人技を持つものがいました。
しかし今日ではこのような巨大な大砲や戦艦を作るニーズも技術も職人も失われ、多くの設計図などの貴重な資料とともに失われてしまいました。「空母」により「機動部隊」の時代となったのです。放射線を含まない「陸奥鉄」の確保も今日ではできなくなり、大和は幻の戦艦となってしまいました。
日本のロストテクノロジー「和算」
「和算」という呼び名は、今日ほとんど聞いたことがありません。しかし「和算」は西洋の数学がやってくるまで、日本で確立された独特の数の学問です。ではその痕跡は全く残っていないのでしょうか?いいえ一応それは残っているのです。しかし数学の導入とともに使われなくなりました。だから「日本のロストテクノロジー」とみられているのです。
そもそも和算とは?
そもそも和算とは?:一番解り易いのは「鶴亀算」です。これならば一度聞いたことがありますでしょう。あるいは「ねずみ算」等はかなり有名です。数の学問なのですが、大きな特徴があります。問題の出し方がとても面白く、恋愛をテーマにしたものなどがあるほどです。
「和算」の体系を完成したのは「関孝和」という人でその中には「西洋の数学」よりも早く「行列式」を完成しています。当時はその問題の解けたことを感謝して「絵馬」にして奉納したほど流行しました。日本人は優秀だったのですね。
和算が廃止された理由
「和算」が世間から忘れ去られて「ロストテクノロジー」になった理由は、「学校教育」が原因です。つまり「明治政府」が小学校の教育に「西洋の数学」を取り入れたからです。小さい時から「西洋の数学」を覚え始めた子供たちはやがて成人して「和算」を使わない時代になったのです。
しかし最近はその面白さから若者の間でブームになりつつあります。そして一部の私立学校では授業に「和算」を取り入れ始めた」ところも出てくるなどして、復活の兆しも見られています。
日本のロストテクノロジー「銅鐸」
稲作が行われ始めた太古の日本に、「銅鐸」はどういうことに使われたかは完全にはわかっていません。「日時計」に使われたとか、果ては「ユダヤの悲報に関するもの」というような怪しげな諸説があります。しかし今日では稲作のお祭りの時に、「祭器」として使われたというのが有力な説です。
つまり弥生時代の謎としてのこっており、「ロストテクノロジー」といえるのではないでしょうか。本当に不思議な存在といえるのではないでしょうか。
銅鐸とは
おもに「西日本」発掘される「銅鐸」は何と400くらいあるといいますから、弥生時代には大切なものだったのでしょう。しかしその使い道が解らないという、困った謎が存在します。発見されたところは「農業」を行っていた所だったので、農業のお祭りなどに使われていたという推測でしかありません。その利用法は今だ不明だというのです。
現代の技術でも銅鐸の再現は難しい
現代の技術でも銅鐸の再現は難しい:なぜ現代技術をもってしても再現できないかというと、その厚みに問題があるのです。弥生時代の「銅鐸」はたった2ミリしかありません。しかしこの2ミリという厚みは、現代の鋳物技術では不可能なのです。今の時代は5ミリが限界なのです。最高の技術者が挑戦してもできないのです。
ただ一つ可能な方法がありますが苦肉の手法で。旋盤で削る事だけだといいます。当時な旋盤などなかったはずなので、どうやって作ったかは不明なのです。
まだまだある!日本のロストテクノロジー
日本には他にも私たちが知らない「世界に誇るべきロストテクノロジー」がたくさん存在します。その中には見たことがあるものや、今ではお目にかかれないものまで色んな技術があります。その一部を挙げてみましょう。
組継ぎ
釘を一本も使わないで、形だけの組み合わせで木と木をつなぎ合わせる技術は「組継ぎ」といって日本に古来から伝わる伝統技術です。海外から驚異的な目で見られるこの技術は「宮大工」が今も引き継いでいます。では何故「ロストテクノロジー」なのかというと、この継ぎ方は「一般の大工」には出来ないからなのです。
接着剤でも使用しないで複雑な形の切込みを入れた木同士をつなぐ技術は「驚異」としか言えません。何とか伝承してロストテクノロジーとならないように、残してもらいたいものです。
鏡師の技
見事な模様が入れられたこの芸術品のような小物は「鏡」です。あまりにもレベルが高いこの装飾は「メンテナンス不可能」だといいます。そして開ければ「鏡」が出てくるのですが、その完成力は半端じゃありません。本当の難点は内部の鏡の出来栄えです。
その極端に柔らかい金属は研磨が不可能だといいます。ぜひとも残してもらいたい技術ですがお手上げ状態なのは残念です。世界に誇れる技術ですからなおさらです。
ロストテクノロジーとなってしまう日本人の素晴らしい技術力
ロストテクノロジーとなってしまう日本人の素晴らしい技術力:日本には他にもロストテクノロジーとして消えかけている伝統技術は多数あり、また既にそうなってしまった技術もあります。
元来「優秀な民族」といえる日本人のいるこの国に、海外の人が日本にやってきてその技術を受け継ごうとしている「TV番組」が後を絶ちません。本当にその価値に気づかなくてはならないのは「日本人自身」なのでしょう。