東海村臨界事故とは?事故原因と被爆者のその後について解説!

本来、国が認めたマニュアル通りに作業をしなければいけません。この事故ではそれが守られず、法律に違反する裏マニュアルが存在し、それさえも守っていなかったのです。「人手と費用を減らすため」と会社は答えています。

裏マニュアルでは臨界を防ぐために、直径が小さく背の高い容器を使用するとされていましたが、当日使用されたのは背が低く直径が大きい「バケツ」のような容器でした。作業の効率化の為だったとされています。臨界が起こる仕組みや危険性を知らされていなかったから起きた事故です。

東海村臨界事故は決死隊の活躍で終止符を打った

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一度は収束したと思われましたが再臨界の可能性があると分かり、事故が起きた9月30日の23時30分、核分裂反応を抑えるため冷却装置の水抜きをすると科学技術庁が発表しました。JCO社員の中からベテランの社員8組16名が指名され、決死隊が結成されたのでした。

冷却水の除去を行い臨海が終息した

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現場の状況を知るため、最初の一組が工場内に入り、大急ぎで写真を3枚撮ってエンジンをかけっぱなしの車に飛び乗り猛スピードでその場を離れました。その僅かな時間で浴びた中性子線は112ミリシーベルト。人が普通に生活しても浴びてしまう放射線量の約100年分です。

作業を始めてみると排水のためのパイプが曲がっていたり思わぬ事態もあり、予定の8組では足らず2組を追加して中には2度現場に入った人もいて、ほぼ全ての水を抜くことが出来ました。10月1日、午前6時14分、中性子線は通常値に戻りましたが18人全員が被爆しました。

偶然成功したという意見もある

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作業ができる時間は限られており、何か1つでも2つでも悪条件が重なれば、或いは水を抜いても臨界が止まらなかったら、どうなっていたのでしょうか。今、何事も無かったように過ごしていられるのは運が良かっただけという意見もあるのです。

原発で大きなトラブル・事故が発生するのは人為的ミスばかりではありません。地震や津波により、電源に問題が生じて事故に繋がるケースもあります。大きな地震の後に頭に置いて置くべきことの一つが火災です。火災旋風という言葉を知っていますか?

東海村臨界事故における被爆者①大内さん

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人が絶対に見てはいけない「青い火」を見てしまった。ウランが臨界に達した時に発する火です。被爆してから最後の日までの苦しみはどれほどだったのか、あまりの凄惨さから日本国内では殆ど報道される事はありませんでした。事故発生から亡くなるまでの83日間を整理してみました。

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