【青木悠君】身体障害を理由としたリンチ事件の被害者。犯人、家族の現在など

青木悠君は2001年、滋賀県で起きたリンチ事件の被害者です。中学生の時の事故が元で身体に重い障害を負いながらも懸命にリハビリし生き抜こうとした矢先の悲劇。この記事では、そんな青木悠君の生い立ちや事件の概要、青木悠君の家族や犯人の現在などをまとめました。

この記事をかいた人

趣味と実益を兼ねて数秘カラーセラピー歴3年。看護師経験も有り。自分自身のリフレッシュのため、自然を求めて出かけます。

青木悠君とは?

Free-Photos / Pixabay

2001年3月の末、とても少年のした事とは思えない凄惨なリンチ事件の被害者となった少年です。交通事故の後遺症のために左半身が不自由で身体障害2級の手帳を持っていました。助かっても植物状態だと言われた少年は懸命に頑張ってリハビリに励み、足を引きずりながらも何とか歩けるところまで回復していました。

青木悠君リンチ殺人事件の概要

EvgeniT / Pixabay

2001年3月31日、旧少年法の最後の日に事件は起きました。その事を加害少年らが解っていたかは不明ですが、改正前であったために被害者家族は非常に悔しい思いをすることになりました。事件はどのように起きたのでしょう。

2001年、青木悠君は友人の嘘により呼び出される

JESHOOTS-com / Pixabay

努力の末に全日制高校に進学が決まった少年は友人の嘘を疑うことなく呼び出されました。友人が付いた嘘は「お祝いにカラオケおごってやる」という心にも無いものでした。待ち合わせ場所はリンチの現場となる大津市立平野小学校です。

見張り役3人と少年2人に取り囲まれ壮絶なリンチを受ける

aitoff / Pixabay

待ち合わせ場所には直接の加害者2人の他に3人の見張り役、合わせて5人の少年が待ち受けていました。特にリンチ実行者の2人は最初から、身体障害者である少年をボコボコにするつもりで待ち構えていたのです。少年は左半身が不自由でやっと歩ける程度でしたから、たとえ危ないと思っても、走って逃げるどころか身をかばう事さえ出来なかった筈です。

どれほど恐ろしかったでしょう。犯人の1人は空手3段です。空手の有段者が高さ60センチのコンクリート台からバックドロップで頭から地面に叩きつけるという事を2度もやっています。犯人の動機については後に触れますが、全く理由にもならない理不尽な動機で酷いリンチに合わされたのです。

リンチ後発見、病院で治療を受けるが、事件から数日後に死亡

webandi / Pixabay

意識を無くして横たわる少年を放置して加害少年らはパチンコに出かけ、主犯の少年は「オレとB(もう1人の加害者)でボコってやった」と自慢して歩いていました。その自慢話を聞きつけた少年の友人から話を聞かされた少年の母親が救急車を手配し、病院へ運ばれたのはリンチを受けてから3時間も経ってからでした。

友人とカラオケに行くと楽しそうに出かけていったのですから直ぐには信じられず、救急隊には一刻も早く!と要請しながらも頭の片隅では「間違いだったら謝れば良い」と考えていたそうです。

vitalworks / Pixabay

頭ばかりを集中的に痛めつけられた少年は、病院についたときには「助かる見込みは1%も無い状態」で、それでも数日の間、必死に心臓を動かし続け亡くなりました。

少年がおこした事件に関する記事はこちら

青木悠君を殺害した少年2人の処分、裁判の行方は

WilliamCho / Pixabay

犯行が行われたのは少年法が改正されるギリギリ前日だったのです。そのため犯人少年らは旧少年法で処遇されることになりました。旧少年法は処罰よりも、少年の更生に重きがおかれていました。もちろん名前が好評されることは無く、手厚く保護されることになりました。

直接暴行を加えた少年2人は少年院へ

少年Aと少年Bとしましょう。Aは空手3段、「あなたの10年後」について書いた中学の卒業文集には「人を殺して指名手配」のような事を書いていたそうです。冗談でも卒業文集に書くことではないでしょう。

いったい少年Aはなぜこんな事を書いたのか、なぜ、これを見た大人は何も思わなかったのでしょう。もう1人は当時、内装工事の作業員で非行歴は1回、補導歴17回となっています。A,B両名ともに刑事裁判に掛けられること無く、中等少年院に送致が妥当と判断されました。

事件を傍観していた3人は不処分に

3dman_eu / Pixabay

NEXT 事件を傍観していた3人は不処分に