エベンキ族とは?
エベンキ族と言う名の民族がいます。知っている人はあまりいないかも知れません。どこに住んでいる人たちなのでしょう。彼らは今のロシア連邦に居住しています。彼らは昔からシベリアの民として厳しい自然の中で暮らしてきました。
そして、この少数民族が現在にわかに注目されるようになりました。いったいどうしてなのでしょうか。その訳は、最近の研究で、この少数民族が韓国人の先祖であるということが発表されたからなのです。
旧エベンキ自治管区に住む民族
広大なシベリアの中で、ひっそりと旧エベンキ自治管区に住むこの民族は、その出自をたどると、ツングース語に関連する言葉を母国語とする諸民族の一つです。さらに、もっと詳細に分類すれば、北方ツングースのエベンキ語群に分類されます。
この民族は、少数ながらも広範に分布しロシア連邦の他、中国やモンゴルにも住んでいます。近年のDNA解析等を駆使した研究によって、この民族が現代の韓国人の祖先であるということがわかってきました。
エベンキ族の特徴
この民族のいくつかの特徴について紹介しましょう。この民族は、今でこそひとつの場所に定住している人が多くなってきましたが、その昔はテントを使用して、シベリアの平原を縦横に移動生活していました。
エベンキ族の特徴①:顔
特徴は、一口に言うと、典型的なモンゴル系であり、一番の特徴は、切れ長の細い目です。また、極寒の地で硬い食べ物を食べていたので、頬と顎が育ちました。これは、いわゆる、エラが張った顔になったのです。
また、寒い中で暮らすために、できるだけ小さくなったものには、鼻も挙げられます。鼻の穴もできるだけ小さくなって、外気から身を守るようになりました。このように、顔そのものが長い年月をかけて変化していきました。
エベンキ族の特徴②:狩猟と飼養
この民族はシベリアの平原で鹿などを捕獲し、肉を食用とし、皮を身の回りの防寒具等に使用しました。また、アザラシ等の肉も食べていたので、海で漁をしていたこともわかります。移動はトナカイを利用していました。これらは男性の仕事でした。
一方、女性は放牧しているトナカイの飼育や管理を行っていました。このトナカイは非常に有用で、これから乳をとったり、肉などを食用にしていていました。これらは重要な栄養源となっていたのです。まさにトナカイがこの民族の生活の要になっていたのです。
エベンキ族の特徴③:衣服と住居
衣服の特徴は、トナカイ皮の衣服を身に着け、外套などを羽織っていました。また、住居については、トナカイの毛皮や樹皮で作った天幕式住居(テント)に住んでいました。この生活様式は現在にも及び、今でも天幕式住居やその他の種類のテントを設営して野営をしています。
もっとも、現在ではいつも野営をしているというのではなく、放牧をする必要がない通常は近隣のロシア人らと同様の家に住んでいます。そしてトナカイと共に放牧地を移動する際には、伝統的な天幕式住居のお世話になります。
エベンキ族と朝鮮半島の歴史
遠い古代に朝鮮半島に住んでいた人はどのような人なのでしょうか。そして、どのような歴史の流れで、居住者は移り変わって行ったのでしょうか。そして朝鮮半島の歴史はどのように進んでいったのでしょうか。以下に詳しく説明します。
最初にいたのは縄文人だった
紀元前5000年頃の朝鮮半島は、見渡す限りの荒野であり、誰も人が住んでいませんでした。この荒野に最初に分け入ったのは、他ならぬ縄文人です。はるばる日本からこの地まで縄文人が出かけて行ったのです。昔は倭人と呼ばれていましたが、まぎれもなく日本人の遠い先祖です。この時代の地層からは縄文式土器も発見されています。
ちなみに、朝鮮半島で発見されたこの頃の時代の人骨遺跡のDNA分析をすると、倭人の特徴と一致します。これは、倭人である縄文人が朝鮮半島へ移り住んで、縄文式土器を作り、農業をしながら生活を営んでいたことを意味します。
古朝鮮の歴史(その1)
最初の建国は、檀君(だんくん)が紀元前2333年に平壌城で即位し建国したと言われています。もっともこの檀君は実在の人物であるか否かは定かではありません。物的な証拠がひとつも発見されていないのです。したがいまして、これは事実ではなくいわゆる神話の世界とみなされています。
しかし韓国の中学校や高校の検定教科書には、この王朝が存在していたのは歴史的事実として記載されています。そのため韓国の中学生や高校生は、この王朝の存在を事実と信じています。そしてこの後、箕氏(きし)朝鮮が生まれたとされています。
古朝鮮の歴史(その2)
これも実在した国であるかは定かでありません。いずれにしても物的な証拠が発見されておらず、これも神話の一環ではないかと言われています。記録によれば、この王朝は紀元前194年まで続いたことになっています。
次に登場したのが、中国から来た衛満(えいまん)が建てた衛氏(えいし)朝鮮ですこれは、中国の記録によって実在が確認されています。朝鮮半島の王朝で初めて実在したと確認できたのです。(これは紀元前195年から紀元前108年ころに当たります)。
エベンキ族の南下と三民戦争時代(その1)
この後前漢が衛氏朝鮮を倒します。紀元前108年のことです。朝鮮半島のほとんどは中国の領土になりました。この時、朝鮮半島の南の一部だけは征服を免れました。そして楽浪郡を含む4つの郡ができます。すると今度は、3世紀の終わり頃から、北方民族が南下して来ました。
そのうちの一つに中国の東北部から来たツングース系の民族、高句麗があります。これが313年に中国の一大拠点だった楽浪郡を倒し、さらに南へ向かいました。その頃南部にあったのは、弁韓と辰韓と馬韓で、いずれも小国でした。
エベンキ族の南下と三民戦争時代(その2)
南方にあった3つの小国は2つにまとまりました。そのひとつ百済は馬韓から建てられ、もうひとつの新羅はエベンキ族の多い辰韓から建てられました。弁韓はしばらくしてから百済と新羅に統合されてしまいました。なお、356年に倭人の国である志良岐(しらき)を征服したのは新羅です。
これからしばらくの間が三民戦争時代と呼ばれる争いが絶えない時代に入ります。特に高句麗は拡大していきます。これを危険視した中国の隋は、繰り返し攻め入りました。しかしながら、全て追い返してしまいました。
エベンキ族が朝鮮半島を統一
その後新羅は660年に、百済を倒しました。これは唐の力を借りてのことです。これは日本では白村江(はくすきのえ)の戦いとして知られています。参戦した日本はあっけなく敗れこの地を去ります。その後、勢いをつけた新羅は668年に高句麗も滅ぼしてしまいした。
白村江の戦いに敗れた倭人たちは一斉に日本に引き揚げていきましたが、一部の人たちは残りました。しかしその後は無残なことになります。男性は捕らえられて殺され、女性は強姦されました。そのため、倭人とエベンキ族との間に子供が生まれたのです。この子孫がこの後重要な鍵を握ってきます。
エベンキ族と韓国人のDNA鑑定結果
最近では、出土した人骨から取り出した資料成分をDNA分析することによって、その人骨がどのような人種に属するのかを正確に示すことができるようになりました。この技術を用いてDNAを分析した結果は、誰もが驚くべきものとなりました。
エベンキ族は韓国人のルーツ
現代の韓国人のDNAを調べた結果、ミトコンドリアDNAの解析結果からは、女性の遺伝子は日本人の先祖とされる縄文人と似ており、一方核DNAの分析結果からは、男性の遺伝子は、日本人の遺伝子とは全く異なっていることが判明しました。
この分析結果によると韓国人は、父親がエベンキ族の人で、母親が倭人である縄文人との間に生まれた混血であることがわかりました。このことは白村江の戦いでエベンキ族の男性が縄文人の女性を強姦して混血の子供たちが生まれたという史実にも合致します。
均一なDNA
韓国人のDNAを広範に調査した結果、個人差が驚くほど少ないということが判明しました。つまり、DNAの配列が世界に類を見ないくらい均一なのです。統計的手法を用いて分析したところ、これは非常に近い間柄で、子孫を繰り返し作らないと達成不能のレベルであることが分かりました。
つまり、家族の中で親子間でのヘビーな近親相姦が行われていたということが分かりました。しかもこれは少数の家庭で行われていたのではなく、広範囲にしかも長期に亘って繰り返し行われていたということが分かったのです。
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歴史が生んだ近交弱勢
朝鮮の民は中国に押さえつけられてきました。そして定期的に、しかも大規模に綺麗な娘たちを中国に献上し続けてきました。この結果、美醜にかかわらず、そもそも女性の数が少なくなってしまいました。女性が足りないため、自ずと近親相姦が繰り返されるようになってしまったのです。
一般的には多様な遺伝子があれば、劣勢遺伝子は優性遺伝子により劣勢形質が減殺されますが、近親関係ですと、劣勢が増幅されてしまいます。その結果、近交弱勢が進み、火病(ひびょう、ファビョン)の原因にもつながっている可能性が高いと言われています。火病とは、朝鮮民族特有の文化依存症候群の一つです。
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日本人・中国人とのDNA比較
日本人の成り立ちは、もともと日本列島に住んでいた縄文人と、これとは異なる弥生人とが混合し、さらに大陸からの渡来人たちの血も混じり合って出来上がっていきました。そして、日本人の遺伝子を韓国人のものと比較すると、かなり異質なものであり、同質性は低いことが判明しました。
中国人のDNAは現在ではほとんどが漢民族です。ところが歴代王朝は多種多様な民族が覇権を競っていました。そして、ここが重要なのですが中国の王朝は、一旦征服すると前王朝の民族をほとんど根絶やし同然に抹殺してきました。このように多くの民族の血が混じり合うという生成過程をとっていませんので、日本人とも韓国人とも異なります。
エベンキ族に対する韓国人の反応は?
現代の韓国人は、この民族をどう思っているのでしょうか。そもそも、エベンキ族が韓国人の祖先であるということは一般的に知られているのでしょうか。もしこのことを知っているとすると、面と向かって聞いてみたら、どのような反応が返ってくるのでしょうか。
エベンキ族はワイ族?
ここでもうひとつの民族名が登場します。それは「ワイ族」です。これは紀元前五世紀ころの中国の史書に登場します。この名前は、「汚れている」とか「きたない」を意味します。実は、この民族はエベンキ族から分離した朝鮮人の士族です。
どうして中国人がこの呼びかたをしたのでしょうか。いくら何でも他国の民族につける名前としてしてはひどすぎるのではないでしょうか。でも、その理由を調べてみると、うなづける点が出てきます。
ワイ族は不衛生
ワイ族という言葉の由来は、古代中国人が彼らを「汚い」と感じて「汚い」を意味する「ワイ」と呼んだことから始まります。どうしてこんなひどい呼び方をしたのでしょうか。実際の彼らの行状は、衛生的に問題があり、見るからに汚かったため、そのように呼ばれても仕方なかったようです。まさに衛生観念の欠如した生活習慣だったのです。
その一端をご紹介すると、彼らは排泄物の中でも平気で暮らしていたようです。そもそも、排泄物を所構わずまき散らすということに対して罪悪感がなかったのです。また、飲み水についても濁った泥水を平気で飲んでいたということです。(気分を悪くなされたら済みません。)
エベンキ族が韓国のルーツと配信すると10分以内に消去される?
かつて存在した韓国のインターネットサイトの掲示板に、この民族が祖先であると書き込むと、運営サイドが素早く見つけて、10分以内にその書き込みが消去されたそうです。韓国人は、とかく「汚い」とか「野蛮である」とかと見なされているこれらの民族については、できるだけ関わりたくないというイメージを持っています。