フィラデルフィア実験は本当にあったのか?おぞましい結果と米政府がひた隠しにする実験内容

戦艦が完成しするまえにこの実験が行われたことになるので、あまりにも不自然です。また、海軍の公式記録によればフィラデルフィアの軍港に寄ったことは一度もなかったとなっています。この様にダッジョンの話も軍の公式記録と噛み合わない点が一部あり、謎が謎を呼んでいます。

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彼の矛盾点を簡単に解決できる論法もあります。それはアメリカ軍が情報隠蔽、もしくは情報の機密性を上げるために現場にいた関係者にも一部嘘を伝えていたという事です。例えば戦艦はエルドリッジではなかった。または軍の公式記録でその後10年近く活躍したことになっているエルドリッジの方が替え玉で中身は別の戦艦だったなどなどです。

このようにすることで、現場にいた人間の証言が公式記録と違ってきます。また、立場が違うことで与えられていた情報も違っていたことも考えられます。かれらの証言が噛み合わず自然と信憑性が下がります。いともたやすく気密情報の信頼性を下げ、結果的に機密情報を守ることができます。次のブロックで情報かく乱について詳しく掘り下げます。

フィラデルフィア実験は情報かく乱作戦の一部!?

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テレポーテーションを起こしたとされるフィラデルフィア実験について調べれば調べるほど情報が錯綜していきます。しかし意図的に情報かく乱されているとしたら、どうでしょうか。実際にそう主張する者もいます。意図的にかく乱して利益を得られるのは誰か、そういうことをする必要があったのはなぜかを深掘りしていきます。

隠密に実験が繰り返されたマンハッタン計画

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レインボープロジェクトが秘密裏に進行していた1940年代は、その裏で同時にマンハッタン計画も進められていました。マンハッタン計画とは原子力爆弾の開発計画です。1939年に発足し、1945年に日本に原爆を落とし、1947年にアメリカ原子力委員会に引き継がれて軍事事業としての原爆開発は終わりました。

フィラデルフィア実験はカモフラージュだった

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原子力を使った爆弾ということで当時最高機密でした。1939年の発足当時からウラン濃縮が必要だと言われていて、その工場が建設開始したのが1943年です。5年目にしてでやっとその突破口が見えるのです。奇妙にもこの1943年はテレポーテーションの実験が行われたとされる年です。

この年に、マンハッタン計画の肝であるウラン工場の話が漏れていたら大変です。産業スパイが紛れ込むのもどうしても割けたい。しかし工場の建設となると多くの人手と時間が必要になりスパイを紛れ込ませないことよりも、彼らの情報の信頼度を下げることに注力した可能性があります。

マンハッタン計画に参加する「ノイマン」

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原子力爆弾を開発する「マンハッタン計画」、消磁実験を行う「フィラデルフィア実験」その両方に参加し、しかも中心人物となっていた科学者「ノイマン」がいます。ノイマンはマンハッタン計画でも中心人物として大活躍しました。情報かく乱をするならいっそノイマンの名前も出しておいた方がより混乱を招きます。

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ノイマンは原子力爆弾の開発において多くの提案をし、その多くが採用されていますので、いくつか紹介します。「爆弾は地面で爆発するよりも、空中の無重力状態で爆発させたほうが破壊力が大きいのではないか」これは広島と長崎の原爆投下時に採用されました。

「日本の文化的な拠り所は京都だからそこに原爆を落とすべき」これも採用されましたが悪天候のため、結局京都には落とされませんでした。他にも爆縮レンズという爆弾のコアの部分に32面体を取り入れるなど、ノイマンの原子力爆弾の開発では、影響力も貢献度も計り知れなものでした。

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このように重要なポジションにいたノイマンが、存在したかどうかも疑わしいテレポーテーションが起きた実験に加担していたのは疑わしくなってきます。世間がテレポーテーションや人体の消失などで騒げば騒ぐほど、実際には原子力爆弾の開発のマンハッタン計画も怪しくなっていきます。

情報かく乱をすることで、原子力爆弾の開発の存在感が薄れてしまいます。一言で言えばマンハッタン計画の隠蔽です。マンハッタン計画が早期に明白になれば、他国に開発内容を悟られて競走に負けるかもしれません。国際社会から非難されることも割けられません。これは当時のアメリカにとって手痛い不利益です。

ノイマンの最期

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ノイマンは大きくアメリカ軍に貢献しましたが、(貢献しすぎた副作用と言うべきか)晩年は悲惨でした。アメリカ軍からは情報漏えいされると多大な被害が及ぶとマークされてしまい、監視病棟に入れられました。家族の面会も許されず外部との一切の交流が絶たれました。

最期は53歳という比較的若い年齢で亡くなってしまいます。膵臓がんに羅患してしまい、全身に転移。猛烈な痛みに耐えながら数人の軍人に看取られる形で亡くなりました。ノイマン博士は一体何を見て、何を感じたのか。そういった資料が少ないまま亡くなった今では推測の域をでません。

他にもあったアメリカの情報操作

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今や世界を引っ張る大国アメリカですが、情報操作もその国策の一部です。冷戦時代にはスパイ合戦を行っていました。現代ではさらに高度化し、陸海空に次ぐ軍事空間と言われるサイバー軍も世界一を誇っています。そんなアメリカがこれまで行ってきた情報戦略についてあまり知られていないものを紹介します。

アポロ計画の予算を引き出す月に関するプロモーション

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都市伝説好きな人にとってはもはや常識であるアポロ計画の月面着陸”捏造説”の事、ではありませんのでご注意ください。この節では捏造論は置いておきます。本題はの前提としてアメリカのアポロ計画には250億ドルという莫大な予算が必要でした。これを国民にどう納得してもらうかが当時の国策で議論されていました。

もちろんそのままでは国民が黙っているわけも無く、何らかの説明をする必要が有りました。そこでアメリカ政府は新聞、雑誌映画などのマスコミを使ってまず国民を洗脳しました。「2001年宇宙の旅」や大統領が”着陸を目標とする”と発表しキャッチー、とわかりやすさを織り交ぜて国民に意識付けを行っていきました。

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実際のところは国民に夢を与えることはどうでもよく、国際社会的な意味でロシアに勝つことが目的でした。そんな事を国民は知るよしもなく、アメリカ国民の世論は宇宙に対するロマン、夢と希望で溢れていました。この月プロモーションが成功して250億ドルもの大金を投入することに成功したのです

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