元祖ペンギンはオオウミガラス!
私達の知る「ペンギン」が発見されるよりも前から居たため、元祖と言われいます。属名にpinguisとありますが、ラテン語で「脂肪」という意味を表し、転じて「太った鳥」の意味合いです。
その後で、南極で彼らに似ている鳥が発見され、ペンギンと呼ばれはじめました。
オオウミガラスはどんな海鳥?
オオウミガラスについて、詳しく見ていきましょう。どのような動物でどのように生活していたかなどの生態、正式名や住んでいた場所も、ご説明していきます。
オオウミガラスは北半球のペンギン
学名は「Pinguinus impennis」といい、和名は「大海烏」です。オオウミガラスの分類は「チドリ目」とされており北極に生息していました。ちなみに南極に住むペンギンは「ペンギン目」です。
分類も違い生息地も真逆なのに、何故似ているのかは現在も解明されていません。
オオウミガラスの生態・特徴
陸上の移動はペンギン同様よちよち歩きでのろく、飛ぶことができませんでした。しかし泳ぎは得意で、水中では高速で泳いでイカや魚などを捕食していました。大きさは全長約80センチ・体重およそ5キロほどでした。
年に1度、1つの卵を産み、夫婦交代で6~7週間温めました。2~3週間ほどでヒナが巣を離れても、夫婦で子供の世話を焼くなど、夫婦仲が睦まじく、親子の絆も強かったのです。
オオウミガラスの生息域
どこに住んでいたかをご説明します。ニューファンドランド島、グリーンランド、アイスランド、アイルランド、イギリス、スカンジナビア半島など、寒い土地、傾斜した断崖がある、岩場が多い島で、群れを作って生息していました。
このような場所を選んでいたのは、ホッキョクグマに捕食されるのを避けるためです。
オオウミガラスはなぜ絶滅してしまったのか?
当時は保護や動物愛護という概念がなく、人間が乱獲してどんどん数を減らしていったことが原因です。こちらでは、どのように数を減らして行ってしまったのか、年を追ってまとめました。
オオウミガラスの絶滅年表
まずは、年を追って、オオウミガラス絶滅への経過をご説明します。
- 8世紀頃 人間に捕獲されていたが乱獲というほどの数ではなかった。
- 1534年 フランスの探検家J・カルティエ ニューファンドランド島に上陸 乱獲が始まる。
- 1750年頃 数が大幅に減ったが、変わらず乱獲は続く。
- 1820年頃 繁殖地はアイスランドの岩礁だけになる。人が近づけない場所で、しらばく平和に過ごす。
- 1830年 地震により岩礁がなくなり、災害から免れた約50羽がエルデイ岩礁に移住。再び人間が乱獲しにやってくる。
- 1844年 残っていた最後の家族も、人間にあっけなく、かつ無責任に殺され、ついに絶滅。
J・カルティエという人物については、後程詳しくご説明します。人間の乱獲により、どんどん数が減っていきましたが、当時は保護という概念がありません。保護どころか、数が減ったということで希少価値がつき、逆にますます乱獲が進み、ついに絶滅させてしまいました。
オオウミガラスの絶滅理由①利用価値が高い
何故人間は絶滅するまで乱獲したのか?その理由に、利用価値が高かったということがあります。こちらの項目では、人間は何のために乱獲し、どのように利用したのか、ご説明します。
オオウミガラスの肉・卵は食料
航海中の食料として肉を目当てに、漁師等が乱獲しました。食糧のほかに、魚の餌にするためにも利用されました。
また、美味な上に1年に1度しか産まれない卵は、貴重で値打ちがありました。そのため、卵は特によく狙われてしまいました。
オオウミガラスの羽毛には商品価値が
硬くて軽い羽毛は、保温性に大変優れていました。そのため、寒い地域では羽根布団として利用されたり、防寒具、防寒着に使われたりと、商品価値がありました。
オオウミガラスの脂肪は燃料に
大変厚い皮下脂肪を持っていたため、肉や内臓を取り除いてから大量に燃やし、燃料油やランプの油などとして利用されました。当時高価だった石炭や薪の代わりに、燃料としても大変需要がありました。
オオウミガラスの絶滅理由②大群で生活していた
当時は、数百万羽も生息していたオオウミガラス達。私たちにとってのハトやカラスのように、特に珍しくない存在でした。彼らは大群で生活していたため、1度に大量の数を狩ることは容易でした。
オオウミガラスの絶滅理由③警戒心がない
人間にとって、利用するにも大量に狩るのにも都合が良かったというのは、先述した通りです。次にこちらの項目では、動物が好きな方は心をいためてしまうような理由を、ご説明しなければなりません。
オオウミガラスは人懐っこかった
人間を見ると、野生動物は危険を感じ、逃げていくものがほとんどです。しかし、オオウミガラスにはほとんど天敵がいなかったため、警戒心が全くないどころか好奇心が旺盛でした。人間を見かけたら、興味津々でワラワラと寄っていきました。
オオウミガラスの絶滅理由④カルティエの乱獲
8世紀ごろから捕獲利用されていましたが、何故絶滅させるほど乱獲されるようになったのか?きっかけは、フランスの探検家ジャック・カルティエのニューファンドランド島上陸でした。
探検家ジャック・カルティエとは
フランスの探検家であり、北米を侵略した人物で、「カナダ」の名づけ親でもあります。1543年にニューファンドランド島に上陸した際、オオウミガラスを発見しました。
発見後は仲間達と、1日でボート2隻が満タンになるほど殺しました。その数およそ1000羽。ヨーロッパ中にその話が広がり、乱獲に拍車をかけてしまいました。
オオウミガラスは数の減少とともに高値に
自然災害により生息地が減少したことに加え、乱獲によってみるみるうちに数が減少しているところへ、コレクターや博物館が高値を付けて手に入れたがりました。そのため、ハンター達により、ますます狩猟が進み、絶滅させてしまったのです。
オオウミガラスの絶滅理由⑤繁殖力の弱さ
多い時は数百万羽も生息していたのに、何故いなくなるほど数が減ってしまったのか?それは、繁殖力が弱かった点があげられます。
繁殖するよりも早いペースで乱獲し、数の減少に気づいても保護しなかったため、いなくなってしまいました。
オオウミガラスの産卵は1年に1個
年に1度、6月頃の繁殖期になると断崖の岩肌に、1つの卵を産んでいました。卵は大きく、直径は13㎝で重さは400gとかなり大きなものでした。断崖から落ちにくいように、洋ナシ型をしていました。
1年に1羽しか子供が産まれないということは、減ってしまった数を回復するのが難しい、ということです。つまり、繁殖力の低さを意味します。
元々の数が多すぎて、研究対象として学者に興味を持たれなかったため、数が減少していることに気づくのが遅れたのも、絶滅してしまった要因です。
オオウミガラスの絶滅理由⑥繁殖地の減少
運の悪いことに、長い時間をかけて繁殖地も減少していきました。人間に乱獲される以前も、気候の変化で数が減ったと考えられています。
それに加え、人間の手によって数が減り、その後また自然災害により繁殖地が減少する出来事がありました。
小氷期でオオウミガラスの個体数が減少
最初の個体数の減少として、小氷期があげられます。小氷期とは、14世紀半ばから19世紀半ばにかけて、気温低下が1℃未満に留まった時期のことを指します。氷河が河川に押し寄せたり、農村を飲み込んだりと、人間にも打撃を与えました。