市営住宅の建造は京都の中でも特に貧しい人が多かった崇仁地区に行政が積極的に建造しました。現在では老朽化が進み新規に入居する人はほとんどいません。この古ぼけた市営住宅が崇仁地区の独特な景観を生み出しています。
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被差別部落の特徴
全国には各地に部落があります。部落問題は、何かと関西が話題になることが多いですが、もちろん関東にも身分制度は存在し被差別部落は存在しています。ただし関東の場合は戦争で多くの地域が焼失したり、人口移動が激しく関西ほど部落に対する意識は高くありません。
河原のそばにある
穢多非人は人ならざるもとして差別されました。仕事は家畜を殺す仕事が多く、平民の住む地域とは離れた場所で共同生活を余儀なくされました。多くの場合は山奥や沼地や河原のそば。生活しにくい場所に追いやられていたともいえます。部落はそういった場所に多く存在します。
革屋、肉屋、草履屋などが多い
彼らは狩猟した動物や家畜を殺して肉を処理したり、皮をなめして加工することを生業としていました。歴史的には血は穢れているとされ動物を処理する人間も穢れていると考えられていました。人の嫌がる事が彼らの仕事になりました。部落では未だその流れが続いています。
無味乾燥な公営住宅が建てられている
被差別部落は不良建造物と呼ばれる、バラック小屋のようなあばら家が多く存在していました。行政はこの不良建造物対策と福祉の一環で被差別部落に公営住宅をたくさん建てました。そのどれもが無味乾燥な箱を積み重ねたような建物です。現在は老朽化が進み次々と取り壊されています。
被差別部落の人たちはどのような差別を受けていたのか
被差別部落の人たちはどんな差別を受けてきたのでしょうか。明治の時代になり身分制度が廃止され、昭和の時代になっても身分制度の名残や部落差別は残念ながら無くなることはありませんでした。
被差別部落に多くみられる苗字というだけで差別される
部落には独特な苗字が存在します。もともと限られた人が寄り集まっていた地域なので親族一同がその地に住んでいます。苗字が偏ってしまうのは当然のことかもしれません。部落差別の意識が強い人にとっては、名前を聞いただけでピンときてしまうようです。
被差別部落出身ということで結婚に反対される
被差別部落出身者との結婚が許されなかった!これは昭和の時代にはよくあった話です。いつの時代でも若い人は古い慣習にはとらわれません。若い男女が思いを寄せ合い結婚の約束をしても、どちらかが部落の出身だと知れると両親や親せきから猛烈な反発がありました。
就職や昇進で差別を受ける
履歴書に書く名前や住所や通っていた小中学校から被差別部落出身者であることは容易に想像がつきます。被差別部落出身者というだけで面接さえ受けることが出来なかったり、就職が出来ても昇進が出来なかったりという差別がありました。
思ったほど悪くない崇仁地区の治安
現在の崇仁地区は、差別を受け続けた人が一般の人に対して敵意をむき出しにしている地域かというと、全くそんなことはありません。衰退している感じはあるものの、危険を感じるような地域ではありません。
どこにでもある普通の街の光景がある
今の崇仁地区はどこにでもある風景の街並みです。ここが関西でも指折りの被差別部落地域だと説明を受けなければ気が付くこともないレベルです。京都駅に近くて住みやすそうな町だという印象さえ受けます。
地元のソールフード「まんぼ焼き」が味わえる
関西の粉ものは、お好み焼きやたこ焼きが美味しくて有名。京都にも美味しい粉ものがあります。それが「まんぽ焼」です。お好み焼きより薄くて、うどんや中華麺が入るのが特徴です。とろりとした卵を絡めて食べると最高。このまんぽ焼は崇仁地区が発祥の地だといわれています。
京都駅にごく近いにも関わらず家賃が安い
崇仁地区は京都から徒歩10分で行ける超好立地。それなのに家賃は他の地域と比較するとずいぶんとお安めです。現在でもその傾向はみられます。老朽化した建物が古いせいもあります。現在、京都駅東側を再開発する動きが活発になっています。開発が進めば崇仁地区にも光が差すかもしれません。
崇仁地区にはフェンスが多いのはなぜ?
崇仁地区を歩くと非常にフェンスが多いのに気が付きます。それも2m近い高さで有刺鉄線を張ってあるフェンスが多いです。そしてそこら中に空地があります。歯抜けになった感じですさんだ感じがします。
ユーチューブの動画で崇仁地区をご案内します
動画を見た感じはいかがでしょうか?ここは本当に京都駅から徒歩で10分程度の場所です。空き地だらけで人通りが少ないのもわかるのではないでしょうか?そして立っている建物がどれも古いです。この地域だけが時代から取り残されて孤立してしまっています。
空き地の所有者は行政所有の物がある
崇仁地区の空き地は行政が所有するケースもあるようです。県有地や国有地として行政が所有し部落問題を根本的に解決し、京都駅東地域の再開発を図る目的だといわれています。フェンスに囲まれた土地は新しく呼吸を始めることが出来るのでしょうか。
変わりつつある崇仁地区
崇仁地区は高齢化によって人口が急激に減少しています。老朽化して住む人はいなくなった住宅が次々に取り壊されています。徐々に再開発が進み、部落というイメージを払拭するための活動が行われています。
崇仁新町という名の屋台村
京都駅を出て東向きに足をすすめると5分程度で崇仁新町という看板に出くわします。ここは1丁目から4丁目までに区分けされた大小16の店舗が軒を連ねる屋台村。おいしいものが集まるコミュニティースペースとして若い人を中心に大人気です。崇仁という名前を隠さない新たな流れが始まりました。
崇仁新町には京都の旨いものが集結
崇仁新町の屋台村には京都の旨いものが沢山集結しています。ソールフードである「まんぼ焼き」も食べることが出来ます。それでは崇仁新町屋台村に出店している美味しいお店を少し紹介します。一度は食べてみたいお店ばかりです。
- 崇仁茶屋:お餅が進化したわのスイーツ
- 中村屋惣菜製作所:絶品ミンチカツをは肉がとってもジュウシー!
- 鉄板炭火韓国酒場 sulsul:韓国風鉄板料理にお酒が進む!
- 屋台清華園:食べればわかる!地元の定番スナック「ミノテン・レバテン」
- 炭火焼ソーセージ酒場Salumeria:旨すぎるホットドッグが凄い!
- やきやき崇仁新町:ここは外せない!ちょぼ焼のお店
崇仁新町屋台村は期間限定営業だった!
崇仁新町屋台村は今のうちに行かなきゃ損です!なぜかというとこの地区に京都市立芸術大学移転計画があり、それまでの期間限定営業だからです。営業期間は2020年8月いっぱい。ぜひ今のうちに崇仁新町に出かけてください。美味しいものが一堂に会するのは今だけです。
京都市立芸術大学移転計画
京都市立芸術大学が京都駅東地区に移転する計画があることが発表されています。若い人が集まる学園都市として生まれ変わろうとしている崇仁地区。長い差別の末にようやく明るい未来が語れる地域になります。令和という御代に過去から脱却し最も輝かしく発展するのは崇仁地区かもしれません。
崇仁地区が変わるために私たちができること
未来に向かって歩き出した崇仁地区。崇仁地区に住んでいた人たちも自らの祖先から続いてきた「負」の歴史を後世に受け継ぐために自ら資料館を立て、元部落としての知名度を生かした発展さえ考えています。
単なるノリで偏見の目を抱かない
身分制度の陰に落とされた人々の歴史から生まれた部落という地域。ようやくその怨念ともとれる差別から抜け出そうとしています。これから崇仁地区が発展するためには、単なるノリで偏見の目を抱かない事が大切です。
デマや憶測で地域を目の敵にしない
現在でも崇仁地区の事を悪く言う人がいるかもしれません。身分制度や被差別部落は過去の暦にの中に存在し、未来には存在しないのだという事を私達一人一人が強く認識することが大切です。デマや憶測で地域を差別することが無いようにしましょう。
実際に出かけてみて自分の肌で確かめる
崇仁地区は今まさに歴史の中から、新しい形で何かを生み出そうとしています。その原動力となるのは我々一人一人です。小さな歩みを確かなものとするために、崇仁地区の新たなシンボルである崇仁新町屋台村に出かけて楽しんでください。
差別のない崇仁地区を実現させよう!
崇仁地区は身分制度から生まれた負の遺産です。それが在日朝鮮問題とリンクして、複雑かつタブーな問題となっていきました。その忌まわしい歴史が、少しずつ明るい方向へと歩みだしています。令和の御代に崇仁地区は力強く発展していくことでしょう。