未だ残る負の遺産京都崇仁地区!影ある過去から光ある未来へ!

部落問題を複雑化した背景には朝鮮合併による朝鮮半島の日本化の歴史と、日本に渡来した在日朝鮮人や在日韓国人が大きく絡んでいます。日本国内だけの問題だった部落という問題が、民族差別やヘイトスピーチといった問題へと発展させてしまったのです。

在日朝鮮人ってどういう人たち?

日本に住む在日の韓国人を在日韓国人と呼び、北朝鮮の人を在日朝鮮人と呼びます。単に在日と称する場合もあります。2018年の統計では約48万人の朝鮮、韓国国籍の外国人が日本で生活をしています。1910年に日本と韓国が合併した日韓併合。これにより朝鮮半島は日本となり、朝鮮半島に住む人は日本人となりました。

朝鮮半島から日本にやってきた人達

日韓合併の時代には,季節労働者や留学生として多くの朝鮮人が日本にやってきました。当時の日本は西洋の列強と伍して戦う一等国です。賃金の格差や遥かに良い労働条件から多くの朝鮮人が日本にやってきました。それが現在の徴用工という問題に発展しています。現在の韓国が主張するような徴用工が存在した客観的な証拠はありません。

終戦後の北朝鮮の弾圧から日本に亡命した人々

大東亜戦争が終結すると朝鮮半島は北朝鮮人民共和国と大韓民国に分かれました。北朝鮮では酷い弾圧や虐殺が横行し多くの人民が亡命し日本へも流入しました。こうして日本の中に在日朝鮮人だけが住む地域が作られました。これらの中でも特に貧しい場所を特殊部落と呼びました。崇仁地区にもハングル文字が目につきます。

北朝鮮、共産党、左翼が入り混じったカオスに

在日朝鮮人の人たちが所属する団体が朝鮮総連です。戦後の政治思想の中で、北朝鮮、共産党、左翼といった赤い思想に取りつかれた人々によって「人権」がおもちゃにされ在日朝鮮問題は政治の道具に利用されます。共産主義の思想で世界中で数千万人の死者が出た時代です。日本でも拉致がありました。そこにヤクザも絡み付けられない問題に。

身分制度が無くなったのはいつ?

江戸時代まで続いた身分制度は、明治維新によってなくなりました。賎民という身分を廃止し平民に組み入れたのです。しかし社会では旧賎民と同じ階級になることを嫌がり「新平民」という呼称で彼らを差別します。

部落と呼んだのは行政が最初だった

行政が福祉の対象として「被差別部落民(略して部落民)」と呼称したのが部落という名称のはじまりです。行政は特別な保護の必要がある人々の福祉のために使った言葉でしたが、結果として差別を助長する言葉として定着してしまいました。

被差別部落は全国に何か所ある?

総務所の発表によると、1993年(平成5年)の時点における部落地区の数は全国で4,533地区です。各県あたり100以上の部落が存在していたことになります。4,533地区が部落なのでそこに住む人数を掛け合わせると、部落に住む人、部落出身者の人数は数百万人以上に上ると推計できます。

在日朝鮮人が多く住み着いた

朝鮮合併により朝鮮半島は日本の一部でした。大東亜戦争が終了したのちも日本に残った在日朝鮮人の多くの人が差別を受け、一部で固まって生活をしました。これらの朝鮮人が部落と深いつながりを持つことになります。1920年以降の崇仁地区の人口増加は在日朝鮮人だったといわれています。

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