雫石慰霊の森とは?
雫石慰霊の森は岩手県の上空で自衛隊に所属する訓練用の戦闘機と民間の旅客機が接触。双方の機体が制御不能で空中で大破墜落するという痛ましい事故の被害者鎮魂のために作られた施設です。日本の航空機事故の中でも被害の大きい事故の一つです。
岩手県雫石町にある森
航空機の事故により不慮の死を遂げたのは乗客乗員162名。その犠牲者を弔うために作られた鎮魂と慰霊の場所です。心霊現象が数多く目撃されている現場ではありますが遊び半分の軽い気持ちで立ち入ってよい場所ではありません。
過去に森の上空で飛行機事故が起こった
岩手県の上空で自衛隊の戦闘機と民間旅客機が接触事故を起こしたのは昭和46年年7月30日。接触により双方の機体が操縦不能に陥り空中分解を起こし乗員を乗せたまま粉々に砕け散りました。もちろん飛行機に乗っていた人たちの体も機体と同じ運命をたどりました。
死者162名にもなる凄惨な大事故
全日空機には乗客と乗員を合わせて162名が乗っていました。空中で分解した飛行機から生存できる人はいません。音速を越えたスピードで破裂した飛行機から投げ出された人々は激しい損傷を受けています。身元の判明は困難を極める作業でした。
雫石慰霊の森では心霊現象の目撃談が非常に多い
この事故は日本の航空史上稀にみる悲惨な事故でした。162名という命が一瞬のうちに消えてなくなったのです。その人々の鎮魂の為に公園が整備され誰もが自由に手を合わすことが出来る施設になりました。
雫石慰霊の森では今なお怪奇現象が起こっている
ここは被害者の鎮魂と祈りを捧げる施設です。しかし、雫石慰霊の森では現在も心霊現象や怪現象の目撃情報が後を絶ちません。心霊現象で検索すると必ずここの情報がヒットします。どんな場所と比較してもここは霊的な力が強いのです。
心霊体験や、霊の目撃情報が多い
事故の発生から50年近い歳月が経過した現在も雫石慰霊の森では、多くの人が歩いている姿や、話し声が聞こえる等、純粋に供養の目的で訪れれた人の耳に、目に、五感に霊的なささやきが聞こえるといいます。
最恐心霊スポットの一つと言われている
この場所を心霊スポットとして紹介するにはあまりにも背景の事故が重たすぎます。霊が見たいという不純な動機で近づけるような場所でもありません。ただし、ここでは本当に多くの目撃情報があります。自然と日本でも屈指の心霊スポットという評価がついてしまいました。
雫石慰霊の森での恐怖の心霊体験談をご紹介!
鎮魂の為の施設やその周辺で起こった心霊体験とその報告談を紹介します。やはり飛行機事故と関連がありそうなものばかりで胸を突きます。しかし、必要異常な同情は霊を引き付けてしまうといいます。気をつけて読んでください。
心霊現象①-1:家に帰りたいという願いが今も消えず
慰霊の森の付近を車で走っていたAさん夫婦。あたりはもう薄暗くなり空気が一段薄くなるように山道に霧が立ち込めていました。ふと山道の街灯の下に若い女性が立っているのが見えました。女性は手をあげ助けを求めているようでした。女性の横には小さな男の子の姿もあります。
心霊現象①-2:静岡まで行きますか?
女性はAさん夫婦に「静岡まで行きますか?」と聞いてきたそうです。残念ながら静岡とは関係なかったAさん。首を振ると女性は悲しそうな顔をするとスーッと闇の中に消えていったそうです。驚いたAさんが車を降りてみると、フロントガラスには無数の手の跡が。中には小さな子供の手も混じっていました。
手の跡が付く現象は多数報告されています
この地では手形というのが一つのキーワードです。多くの目撃情報で霊の手形が残されます。その手形は霊の気配が消えても何かを訴えかけるように残っています。どうしても家に帰りたいという思いが女性にあったのでしょう。子供の手形が何とも悲しいです。
心霊現象②:静岡県はどっちの方角か教えてください
この地で霊と話をした人の中には静岡県の方角を聞かれた人も続出しています。全日空の機旅客機に乗っていた人の大半は静岡県の団体旅行客だったことに起因するのでしょう。霊になっても家に帰りたかった。あるいは自分が死んだことを認識できなかったのかもしれません。
心霊現象③-1:肝試しに慰霊の森に行くと男の声がスピーカーから
Bさんが20っ詩の頃に2台の車に便乗して慰霊の森へ肝試しに出かけたときの話です。時間は22時を回ったころです。辺りは真っ暗。でも車の中は陽気な音楽が流れ楽しい雰囲気でした。ところが異例の森に近づくと嫌な感じがしてきたといいます。
心霊現象③-2:お前たちは来るな、帰れ
突然エンストしてライトも消えました。Bさんが乗った車は闇の中に取り残されてしまいます。もう1台の車はなぜか事態に気が付かず先の闇の中に消えてしまいました。その時です「お前たちは来るな、帰れ」という声がスピーカーから!翌日もう一台の車の乗った友達にその話をすると「分かっている。何も言うな」と青い顔で答えるだけでした。
スピーカーから声が聞こえるというパターン
スピーカーから声がするというのもココででよく聞かれる心霊現象です。心霊写真現象は霊の怨念が写真に写り込みます。それと同じで音声として現れるのが心霊音です。写真による心霊現象よりも霊の形成現象に近い状態です。
心霊現象④-1:車の上に人を乗せると危ない
彼女と慰霊の森近くをドライブしていたCさん。後方から走ってきたタクシーにパッシングされ停止しました。「車の上に人を乗せたら危ないだろ」タクシーの運転手はそう言いました。もちろん誰も載せていません。運転手の見間違いで話はつきました。
心霊現象④-2:屋根の上に靴の足跡が
コンビニで飲み物を買って屋根の上を見たCさんは恐怖で絶句します。屋根の上に靴の足跡がついていたのです。誰かが本当に乗っていたのか!タクシーの会社名を覚えていたCさんはタクシー会社に連絡してみます。ところがそのタクシー会社は10年も前に倒産していました。
物体形成現象で霊の姿が現れている
この場合は物体形成現象で霊の姿が現れています。現れた霊の姿はタクシーの運転手でしょう。車の上に載っていたとされる女性の霊は姿をみせていません。あるいはCさんとの波長が合わず見えなかったのかもしれません。タクシーの運転手はCさんを守ろうとした道祖神(結界を守る石碑)かもしれません。
心霊現象⑤:冬に慰霊の森に行ったらタイヤが雪に取られて
冬に慰霊の森に行ったDさん。帰り道に道路の雪にタイヤがはまって抜け出せなくなりました。押しても引いても車はびくりともしません。諦めて携帯で救助を呼ぼうとした時です。なんと車がひとりでに動き出しました。
心霊現象⑤-2車が勝手に動いて
Dさんの目の前で勝手に車がスーッと動いて雪にはまったタイヤが抜け出ました。あっけにとられるDさん。どうしていいものか悩み車を一周してみました。すると明らかにDさんの物とは異なる手形がトランクに一つ付いていました。手形は自然と消えてしまいましたが助けてくれたのでしょうか
物質移動現象
車がひとりでに勝手に動く。昔から何かが倒れたり動いたりする現象は多く存在します。これを物質移動現象と呼び、動いた物体が浮遊することもあります。Dさんの場合は危害を加えられていませんが危険なレベルの力を持っている霊です。
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雫石慰霊の森が慰霊の地になった事故「全日空雫石衝突事故」
全日空の旅客機と自衛隊の訓練機が上空で接触するという前代未聞の事故。全日空機に乗っていた162名は全員死亡し帰らぬ人となりました。全日空機は空中分解する直前には音速を越えたスピードの達したといわれています。
全日空旅客機と自衛隊戦闘機が衝突した
上空での飛行機同士が接触したことで2機の飛行機は操縦不能に陥りました。全日空機は機体の操縦が出来ないまま下降を続け音速を超えるスピードに達し空中分解をしました。音速は秒速約340mです。
乗客162名が空中へ投げ出された「人の雨」
事故を地上から目撃した人も多数います。その瞬間の画像も残っています。飛行機は音速を越えるとソニックブームと呼ばれる地響きのような大音響を発生させます。事故現場周辺ではソニックブームを聞いた人が無数にいます。旅客機が音速を超えるスピードになっていた証拠です。
音速で投げ出された人がバラバラになり
音速で空中分解した飛行機から投げ出された人がどうなったか。人の体は音速の衝撃には耐えられません。新幹線にぶつかると人の体は水風船のように弾けてしまうといいます。同じことが上空で起きたと考えられています。
バラバラと降ってきた人の体
事故現場の下にいた人たちは上空からパラパラと黒い豆のようなものが降ってきたと証言しています。この黒い豆のようなものが何だったのかはわかっていませんが、人の体の一部も含まれていたのではないでしょうか。
日本で起きた死者数の多い飛行機事故の一つ
1971年にこの事故は起きました。その時点では過去最悪の飛行機事故でした。その後1985年に全日空機の墜落事故があり被害者数は更新をされましたが、最も悲惨な航空機事故の一つです。過去に合った飛行機事故を簡単に紹介します。
- 1982年:全日空機が空港手前で逆噴射し墜落24人死亡
- 1987年;大韓航空機が北朝鮮工作員にて爆発。115人死亡
- 1985年:日本航空便が御巣鷹山に墜落520名が死亡する史上最悪の事故
1985年日本航空便が御巣鷹山に墜落
東京羽田空港発の大阪丹波空港行の日本航空123便が墜落した事故。単独の飛行機事故では最悪の被害者数を記録しています。不適切な修理が原因で操縦不能に陥り上空で迷走した末に群馬県にある御巣鷹の尾根に激突しました。
事故当時の雫石慰霊の森はまるで阿鼻叫喚の地獄だった
全日空機は上空5000mで空中分解しました。スピードは秒速340mというとんでもない速度です。人間の体は「肉の塊」レベルに粉々に壊れてしまっていました。遺体の回収作業というのは実際には火箸で飛び散った肉を回収する作業でした。
事故当時森の中は地獄絵図と化していた
事故現場となった慰霊の森周辺は正に阿鼻叫喚の地獄と化しました。人の肉片がそこら中に散らばり歩くことが困難なのです。腕があり足があり胴体があるのです。しかも季節は真夏の盛りです。すぐに匂いも鼻をつくようになったといいます。
遺体は原型を留めておらず、肉塊となっていた
遺体の回収は困難を極めました。洋服や着物やストッキングがあちこちの木に引っかかってる。そして人間の物と連想させる「肉片」があたりに散らばっている。飛行機事故の多くはこんな状態だといいます。そして例の森はその中でも特に凄惨だったといいます。
遺体の収容はかなり困難を極めた
ほとんどの遺体は衣服を身に着けていなかったといいます。爆発と落下の衝撃で衣服がはぎとられてしまったのです。子供の遺体が発見される。マニキュアを塗った腕が発見される。そしてそこら中が真っ赤に染まっていたといいます。
頭が地面に突き刺さった遺体
肩から先が地面に突き刺さった遺体があったそうです。捜索に当たった警察官は2人でそれぞれの足を掴み、土の中から遺体を引き抜いたといいます。衝撃の物凄さを語るエピソードです。明るくなって視界が開けるとそんな遺体があちこちにあったといいます。
【観覧注意】事故当時の衝撃映像
事件当時の映像がユーチューブにアップされているのでここでも紹介します。かなり凄惨な光景がはっきりと写っています。苦手な方は閲覧には十分注意してください。気分が悪くなるような映像が連続しています。
遺体の回収と田んぼの落ちた自衛隊機とみられる機体
遺体の回収をしている現場の映像が出てきます。遺体そのものは出てきませんが恐らくそこから運び出したのであろう穴と、遺体をくるんだと思われるござが出てきます。そしてござから穴の中に何かを埋め戻しています。