昭和の劇場型犯罪!「金嬉老事件」の全てと犯人の人物像、その後をご紹介

裁判で金氏は人質事件で迷惑をかけたことを謝罪するとともに、自身の生い立ちや受けてきた差別などについて意見陳述をしました。これには多くの人々が動かされましたが、一方で英雄像からかけ離れた実態もありました。

拘置所内での特別待遇

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金氏は面会が自由だったほか、通常は入手できない出刃包丁ややすり、ライターなどを所持していました。金氏が何度も自殺をほのめかして看守から差し入れされ、規則違反が段々エスカレートしていったためです。包丁を差し入れた看守は厳罰を受け自殺しますが、金氏は何の反応もなかったそうです。

また、特別弁護人が今回の事件について「差別を受けても他の人たちは殺人をしていない。民族差別だけでなく、金氏自身にも問題があるのではないか」という旨の発言をしたところ、金氏は「日本人にそんなことを言われる筋合いはない」「他の朝鮮人は勇気がない」という旨の発言をしたといいます。

金嬉老事件で使われた凶器

金嬉老事件では金氏が暴力団二人を射殺したり立て籠もり時の武装としてライフルを使ったりしています。銃刀法による取り締まりが厳しい日本で使われたライフルは一体どのようなものだったのでしょうか?また、手に入れることができるものなのでしょうか?

狩猟用・スポーツ用だった豊和M300

犯行に使われた銃は「豊和M300」という、豊和工業で製造されている小型自動小銃です。「ホーワカービン」という名前でも知られます。アメリカで設計された軍用自動小銃M1・M2カービンの銃をもとに改良され、狩猟用やスポーツ用として使われていました。

悪用され銃刀法が改正に

金嬉老事件以外に1965年に起きた少年ライフル魔事件でもこの銃が使われ、多くの人が殺傷されました。これらの事件を受けて銃刀法が改正され、銃を持つことは困難となりました。免許がなく銃を所持すると、それだけで懲役刑や罰金刑になります。

豊和製のライフルは警察でも起用


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金嬉老事件以降、警察でも犯人の制圧や人質があった場合救出するために狙撃部隊が結成されました。狙撃隊は2年後の1970年に発生した瀬戸内シージャック事件で初出動し、活躍しています。現在もテロ対策のために日々訓練を行っており、自衛隊との共同訓練も行われています。

狙撃隊で使われる銃

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最初に使われたのは「豊和ゴールデンペア」というライフルです。豊和M300とは異なり、ボルトアクション方式の新型狩猟用ライフルです。1967年に初披露され、アメリカと日本で販売されることとなりました。その後フルモデルチェンジした「豊和M1500」が発売されたため、そちらが使われるようになりました。

壮絶な人生!金嬉老とはこういう男だった

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殺人事件、監禁事件を引き起こした金嬉老氏はどういう人物だったのでしょうか。裁判での争点にもなった在日朝鮮人としての生い立ち、そしてその中で形成されていった金嬉老氏の人格について迫ります。

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