霊能者「宜保愛子」という人物
時の人と言えるほど人気のあった宜保愛子ですが、数十年前に亡くなっているために記憶がおぼろげな方も多いのではないでしょうか。ここでは、まず宜保愛子がどういう人物であったかを簡単にご説明します。メディア露出だけではあまり知ることの出来なかった、意外な来歴も紐解いてみましょう。
宜保愛子の来歴
1932年、宜保は神奈川県横浜市に生まれました。横浜国立大学教育学部に進学し、卒業後は英語教師を20年間勤めています。三人の子供にも恵まれ平穏な日々を送っていましたが、1961年のTV出演から世に知られ、メディア露出も増えていきます。そして様々な功績や論争を残し、2003年、胃癌のために71歳で亡くなりました。
宜保愛子の障害
実は、宜保愛子はいくつかの身体的障害を持っていました。まず、右耳が先天性の難聴によりまったく聞こえません。そして4歳の頃、寝ている間に弟に火箸を落とされたことにより、左目の視力をほぼ失います。
この2つの障害を持ち生活していましたが、聞こえないはずの右耳では霊の言葉を受け取ることが出来ました。欠損した部分を補うように第六感が芽生えたと言っても過言ではありません。霊能力者には欠損があるが故にその力を発揮する人が多く存在しますが、宜保愛子もそんな一人だったのです。
宜保愛子霊能力の目覚め
そんな宜保愛子ですが、本人が能力を自覚したのは6歳の頃。予知能力のように頭の中に不吉な風景が浮かんだり、弟が車に轢かれ亡くなった際はその身体から抜け出す魂を目撃したそうです。また、この頃から霊たちの声なき声も聞こえるようになりました。
宜保愛子の霊能力
では、そんな彼女の能力とはどんなものだったのでしょうか。宜保の能力は世間に驚きを与え、独自の理論やその温かい人柄は多くの人々を救いました。そんな彼女の特徴を、ひとつずつご紹介したいと思います。
宜保愛子の霊視力
宜保愛子の一番得意としていた能力、それは「霊視力」です。霊視力とは「リーディング」とも呼ばれ、普通の人間には見えないもの、過去、未来、運勢、物や人の在り処、祟り、霊などを見る、感じ取ることが出来る能力のことです。
宜保は亡くなった人物や守護霊と会話をすること、そして物質からその持ち主に関する情報を読み取ることなどが得意でした。多くの人が彼女に頼り縋ったのも、このような能力に特化していたためと考えることが出来ます。
宜保愛子の守護霊論
宜保愛子の大きな功績として、それまでの守護霊論を180度覆したという点があります。それまで、先祖というのは必死に供養しなければならないもの、蔑ろにしていたら祟りが起こると考えられ、霊能者たちもその理論で活動をしていました。
しかし宜保は、先祖=守護霊は怖がるものではない、自分の大切な子孫を祟るなどということはないと語り、供養に躍起にならずとも日々感謝し、好きだったお菓子を供えるなど、生きている人間同士と同じ、ごく普通の気遣いでよいと提唱しました。その筋の通った理論は世間を納得させ、大きな支持を得たのです。
スピリチュアルカウンセラーとしての宜保愛子
宜保愛子は当時、メディア露出や執筆活動の他に、霊視によるカウンセリングを行っていました。その高い霊視能力が評価され非常に人気が出ましたが、それ以上に彼女の温かい人柄に救われる人が多かったと言います。
カウンセリング料金は一説によると一回15~20万円ほど。しかし、全盛期には30分30万円でカウンセリングを受けた、という証言も存在します。80~90年代の物価を考えると高額ですが、現代ほどメンタルケアが重視されていなかった時代、彼女の親しみやすく温かな存在に救われた人は多くいたと考えられます。
宜保愛子が有名になるきっかけ
講演会やカウンセリングは続けつつも主婦として平穏な日々を送っていた宜保愛子が、あれほどの知名度を得ることになったきっかけは何だったのでしょうか。そこにはひとつの番組の存在があります。ここでは、それがどのような番組だったのか、そして宜保を一躍有名にした、あるセンセーショナルなシーンについて解説します。
フジ「これが世界の心霊だ!」
宜保愛子のメディア露出に火がついたきっかけは、1983年にフジテレビで放送された「これが世界の心霊だ!」というオカルト番組でした。世界の様々なオカルト現象を紹介し、それについてゲストがスタジオでトークを展開する番組です。霊魂やUFOの話題、霊視を利用した心霊捜査など、当時にしてはかなり衝撃的な内容で話題を呼びました。
この映像は現在動画サイトで観ることが出来ます。彼女が教師として生徒を指導したり、台所に立ち料理をするというごく普通の日常風景も映されており、宜保愛子という存在がまだ世間に浸透していなかったことが分かります。
霊にのりうつられる宜保愛子
この番組の中で宜保は、台湾の心霊スポットへと赴きました。昔殺人事件が起こったという屋敷へ足を踏み入れると、宜保は「とても嫌」「何で来るの」と声を荒げます。そしてすぐに少女の様な口調で「ここは私のお城よ」「ここを出たくない」と、自身について語り始めます。
その霊は「屋敷で働いていたが、この家の秘密を知ってしまい殺された」ことを話し、宜保が持参した花束と線香を見て「ありがとう」と言い残し、宜保の身体から出ていきました。人々に驚きを与えたこの霊視はこちらの動画の6分37秒からをご覧ください。彼女の霊能力者としての迫力、そしてその人柄にも、ぜひ触れていただきたいと思います。
宜保愛子ととんねるず
メディアに登場し一気に知名度を上げた宜保愛子は、その後さらに露出を増やしていきます。そして、その背景にはあの「とんねるず」が関係していました。霊能者の宜保とお笑いタレントのとんねるずに、一体どのような関係があるのでしょうか。
とんねるずが宜保愛子をパロディ化
石橋貴明と木梨憲武からなるお笑いコンビ「とんねるず」は、1980年に結成され、デビュー後は爆発的な人気を集めました。そして、1988年から開始した「とんねるずのみなさんのおかげです」内で宜保愛子をパロディ化した企画が放送され、これが当時の子供たちに大ヒットしたのです。
宜保タカ子
企画内では石橋貴明が「宜保タカ子(イボ・タカコ)」と名乗り、宜保愛子の特徴をパロディ化し、その顔に特徴的な「イボ」をつけた扮装で登場。木梨憲武扮する「みのりもんた」と心霊スポットへ赴き、ドッキリとして爆薬を仕掛けたりゲストを驚かせたりと、破天荒な企画ではありましたが、あっという間に番組内の人気コーナーとなりました。
宜保愛子バラエティへ進出
当時大人気だったとんねるずにネタにされると、宜保の存在は一般の層にまで知られていきます。その後、宜保は一般層向けのゴールデンタイム番組にも出演するようになり、霊視や除霊、霊にまつわる話、心霊写真の鑑定などを披露するようになりました。
宜保愛子ピラミッドを霊視!
宜保愛子の特に有名な逸話として、ピラミッドやツタンカーメンに関する霊視があります。「宜保愛子!ピラミッドの謎に迫る!」という特番内でエジプトを訪れた宜保は、その能力で次々と驚くべき事実を言い当てていきます。この番組は高視聴率を記録。未だに伝説の番組として語り継がれています。
宜保愛子ツタンカーメンの死因を特定!
番組の中でエジプト考古学博物館を訪問、霊視した宜保は「(ツタンカーメンが)次の王である叔父に殺されたと語りかけてくる」と話し出しました。そしてワイン壺の棚の前で「これですよ、これ」とひとつの壺を指さし、その壺に入っていたワインで毒殺されたと言うのです。
当時ツタンカーメンの死因について、ワインによる毒殺という説は有力ではありませんでした。しかしその後番組サイドの必死の調査により、イタリアの論文の中に「ツタンカーメンは(宜保が指摘した)壺のワインを飲んだ後に死亡した」という説を発見。偶然では片づけられない展開に、改めて宜保愛子のすごさを世に知らしめることとなったのです。
ピラミッド内は重力が半減!?
ツタンカーメンの死の真相を解いた後、宜保は実際にエジプトのピラミッドを訪れ霊視をしています。ピラミッドの謎と言えば、あの構造。数千年前の古代エジプトで、約300万個の石が、その隙間に剃刀の刃も入らないほど正確に積み上げられたのです。あれだけ大きな石をどのように積み上げたのか、そこには様々な議論があります。
鳥の神イビスの力
ピラミッドを前にした宜保は「これを積み上げるのにはとても不思議な力が働いていた。この国には超優秀な超能力者たちがいた」と話し始めます。そこで、彼女の見た「建設の指揮を執っていた者」をそのまま紙に描いてもらうと、首の長い鳥の絵が完成しました。専門家は、それは古代エジプトの鳥の神・イビスの姿そのものだと指摘します。
ピラミッド建設指導者の裏付け
宜保は「超能力者たちが、この鳥の神から力を借りた」と主張します。その霊視を裏付けるため、宜保と製作スタッフは、ピラミッド建設指導者の像が所蔵されているドイツのハーバーという国へと飛びます。
博物館へ到着し宜保が早速その像を霊視すると「石は人が運んだが、確かにその重さは半減していた。上に行けば行くほど軽くなっていった」「一時的に(超能力者の)パワーで、引力を弱めるということが出来た」と語り始めました。宜保がエジプトで見た光景とのいくつもの合致に、視聴者もスタジオも色めきたったのです。
多くの霊が宜保愛子に縋ってくる
宜保は、ピラミッドを前にした途端「とても嫌」と表現し、中に入ることを渋りました。しかしその後は内部へと進み、「とても沢山の人が私に縋ってくる」と言い始めます。大回廊の辺りで、耐えかねた彼女は引き返し始めますが「大勢来る、私の肩につかまる、腕のない人もつかまってくる、重たい」と苦しそうに語りました。
なんとか引き返した宜保は地面へ座り込み、「二度とピラミッドに入れないほど怖かった」と言い残しました。ピラミッド建設に霊的な力が働いていたとはいえ、大きな石を積んでいく過程で頻繁に事故が起き、沢山の人が亡くなったのでしょう。4500年前から留まり続ける寂しい亡霊達が、その存在を感じ取れる宜保に縋った結果だと言えます。
「宜保愛子!ピラミッドの謎に迫る!」
多くの功績を遺したこの番組「宜保愛子!ピラミッドの謎に迫る!」は、こちらから観ることが出来ます。ツタンカーメンの死の真相については3分11秒から、ピラミッドの謎については1時間8分から始まります。ぜひ、宜保が実際に喋り、動き、霊視する、貴重なその姿をご覧ください。
宜保愛子明智光秀の墓を霊視!
宜保には他にも沢山の逸話がありますが、その中でも特に日本の史実に関係したエピソードをご紹介します。それはなんと、あの明智光秀の墓の霊視。エジプトの時同様、この時も宜保は歴史の新事実を見てしまいます。
割れた明智光秀の墓
和歌山県の高野山には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など著名な武将の墓が多く存在しますが、その中で、明智光秀の墓は異彩を放っています。なんと彼の墓だけ、墓石が綺麗に真っ二つに割れているのです。なんでも、何度修復しても、何故か同じように割れてしまうとのだとか。
宜保は2002年にフジテレビで放送された「日本列島元気満点!力あわせてゴーゴゴー!!ネプ×宜保×マサイ国際心霊交流スペシャル」にて、ネプチューン、マサイ族と共に、この曰く付きの墓を訪れています。
信長の恨みで割れる?宜保の霊視で発覚した新事実
この墓は昔から、明智光秀に殺された織田信長の恨みにより割れているのでは、と言われていました。信長は、その厳しい仕打ちに耐えかねた光秀により天正10年(1582年)本能寺にて襲撃され、その場で自害しています。皆さんご存知、本能寺の変です。
しかし宜保は光秀の墓を見るなり「光秀は、本当の自分を語ってもらえない悲しさを持っている」と話します。そして「光秀を後ろで操った人がいる。しかし武士として、その人物の名は言えないと言っている。とても強い無念を感じる」と、驚愕の事実を語りました。
光秀を操った人物とは?
では、宜保の言う「光秀を操っていた人物」とは誰なのでしょうか。これに関しては、明智光秀の子孫が同じ説を唱えています。その方の著書には、信長側に光秀を中国へ侵攻させる計画があったこと、一族のためにそれを回避したい光秀が悩んだ末、家康の口車に乗せられ謀反を起こしたことが書かれています。
そしてその後豊臣秀吉が山崎の戦いにて、仇討ちの形で光秀を討ち、すぐに「光秀は己の恨みから信長を殺した」と歴史書に記したと言います。つまり、謀反のきっかけを作ったのは家康、そして史実を捻じ曲げた黒幕は秀吉だということになります。墓を見ただけでその無念さを感じ取った宜保のこのエピソードも、ファンの間では非常に有名です。
宜保愛子の霊能力は本物だったのか!?
これら数々の功績から人気を不動のものにした宜保愛子でしたが、そこには「批判派」も存在しました。どのような人物が何を指摘したのか、また、宜保の霊能力は本当に存在したのか。そのエピソードについてご紹介します。
物理学者「大槻義彦」VS 霊能力者「宜保愛子」
90年代に入ると、宜保の霊能力は果たして本物なのかという批判、議論が巻き起こります。その先駆者として、物理学者の「大槻義彦」という人物がいました。彼は物理学者として「オカルトには自然現象として片づけられるものもあるが、それ以外の超常現象などは存在しない」と主張していました。
また、宜保の著書「宜保愛子の死後の世界(日東書院本社)」にて、大槻の研究の中で生まれたプラズマ実験写真が「心霊写真」として使われていたことが発覚し、更に大槻からの批判を受けることとなります。
宜保愛子の矛盾
では、実際に宜保の能力に怪しい箇所はあったのでしょうか。大槻が物理学者として主張したこととは何だったのか、そして、それに対し宜保はどのようなアクションを起こしたのか、ここではそちらを解説します。
大槻の主張
写真盗用の件を発端に、大槻は宜保の矛盾点を指摘した著書を出版するに至ります。その中には「彼女は事前にリサーチを行い、それをさも見えたかのように話している」「昨今のオカルトブームに見る超常現象は、物理学と矛盾している。それが本当だと言うなら、私は出版した本を全て回収せねばならない」という趣旨のことが書かれていました。
また、宜保がホットリーディング(対象の情報を事前に調べ、霊視の結果として見えたように告げる心理テクニック)を多用しているとも主張し、「霊能力が本物だと言うなら、自分の提示した条件下で霊視を披露してほしい」と訴えました。
宜保の逃亡
そして、実際にTV局側が大槻と宜保の対決を企画。しかし、前日になり宜保側がキャンセルし、その後本人、マネージャー共に連絡が取れなくなったことから、大槻の彼女への不信感は募っていきました。
ロンドンタワーでの霊視
またこの頃タイミングの悪いことに、宜保の霊視に矛盾点が発見されます。宜保は1993年の年末特番「新たなる挑戦2」にて、中世の要塞・ロンドン塔を霊視しました。この塔の上階にあるベッドに、1483年に殺害されたとされるエドワード5世、ヨーク公リチャードの二人が座っているのが見えると話したのです。
史実との矛盾
しかしそのベッドのある階は、二人が死亡した1世紀以上も後に増築された場所だったのです。また、その時の霊視内容が夏目漱石の小説「倫敦塔(ろんどんとう・漱石が実際にロンドン塔を見た時の感想を元に書いたフィクション作品)」に酷似していたことも追及され、宜保の霊視能力に疑問符が投げかけられることとなりました。
宜保の能力の真否は?
では、宜保の能力は全くの偽物であったのでしょうか。いいえ、霊能力、超能力とは本来、不安定なものであってなんらおかしくないのです。普通の人間の体調も日々違うように、霊視能力にも見える日、見えない日があるのが自然です。しかし、ひとつ言い当てられなかっただけでペテン師と糾弾され、消えていった霊能者は沢山います。
宜保の生前の言葉に「皆さんが信じてくださっていると見やすいのです」というものがありました。多忙なスケジュール、必ず当ててくれという制作サイドからのプレッシャー。その中で、繊細な能力が混線してしまうということは充分にあり得るでしょう。よって、宜保の能力が嘘だとは、一概に断言出来ないのです。
オウム真理教と宜保愛子の転落
人気が出た分だけ批判を受けることも多くなった宜保愛子でしたが、メディアは彼女を積極的に起用し続けていました。しかし、あの歴史的事件の影響によってその雲行きが怪しくなっていったのです。
世間を震撼させたオウム真理教事件
1995年3月20日午前7時50分、オウム真理教の手によって、あの地下鉄サリン事件が起こりました。運転中の地下鉄車両内で猛毒の神経ガス「サリン」が撒かれ、死者13人、重軽傷者6,300人以上と、その被害は大きすぎるものでした。
この事件を発端に、同年5月にオウム真理教代表・麻原彰晃 (松本智津夫)は逮捕。事件から20年以上が経った今でも、後遺症に苦しむ被害者、また近しい人を失った人々の悲しみは癒えません。